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川崎市民ではない私がフロンターレを1年間応援して感じた「おらが町のチームがある幸せ」


この記事は川崎フロンターレアドベントカレンダーの第13日目に寄稿するものです。

こんにちは!フォアリュッケンと申します。

本題に入る前に私の自己紹介を少しだけさせていただきます。

私は、2007年とか08年頃からフロンターレを応援し始めました。ですが、当時はまだスタジアムに観戦しに行くことはありませんでした。スタジアムで観戦する習慣がつかなかった1番大きな要因は「スタジアムが遠い」ことだったと思います。

私は神奈川県出身ではあるものの川崎市民ではなく、部活などをしながらスタジアムに気軽に行ける距離で生活していたわけではありませんでした。

ですから、初めて等々力でフロンターレの試合を観たのが、16年の天皇杯準々決勝の浦和戦、シーチケを買って等々力に通うようになったのが今年からというまだまだ新米サポーターであります。

フロンターレの試合を1年通して現地観戦するようになったのは、今年が初めてだったわけですが、そこで気づいたことが1つあります。それは、「自分の地元にその地元を代表するようなスポーツチームがある幸せ」でした。

このnoteではこのことについて、川崎市民ではない私が感じたことを書いていきたいと思います。



1.初めての等々力で受けた衝撃

私の生まれ育った市町村には、プロスポーツチームがありません。そんな環境の中で野球が小さい頃から好きだった私は、ベイスターズを応援するようになっていました。

ただ、横浜も私の地元から近いといえる距離ではないことや小学校に入学してすぐに野球を始めたことなどもあり、現地観戦の頻度はそんなに多くなく、年に1回・2回ぐらい横浜スタジアムに行っていた程度でした。基本的には、テレビ観戦というスタイルでした。

当時幼稚園生、小学生だった私にとって横浜スタジアムに行くということは、一大イベントでした。家族みんなの予定が合って、観戦が決まるとその日から応援歌を口ずさむことが増えたり、何を食べようかとかグッズは何を買おうかなどを考えたり、とにかく待ちきれない気持ちが強くなったのを覚えています。おそらくですが感覚的には、「家族でみんなでディズニーランドに行く」のと一緒です笑

中学生になって部活が始まると、よりスタジアムに行くことはハードルが高くなっていきました。平日の休みは1日ぐらい、土日は両日とも練習や試合という状況の中では「現地観戦」という発想自体がなくなっていったように思います。

このような環境で育った私にとってスポーツ観戦は、「基本的にはテレビで見るものであり、現地観戦はビックイベントだからなかなかできるもんじゃない。」というものになっていました。

この感覚が形成された状態でいよいよ等々力に訪れることになります。私が初めて等々力に訪れたのは、初めて等々力で試合を見た16年の天皇杯浦和戦ではありません。その前に、高校球児だった私は等々力球場で試合をするために等々力に訪れたことがありました。これが人生初等々力です。

この時の私はものすごいワクワクしながら等々力球場に行きました。その理由は2つあります。

まず1つは「あのテレビで見ていた等々力に行ける」というものでした。別に陸上競技場に行くわけではないのに、それだけですごくテンションが上がったのを覚えています。

2つ目は「この日に陸上競技場でフロンターレの公式戦が開催される」という理由でした。野球の試合が終わったらフロンターレの試合を見に行けるわけではなかったのですが、うまくタイミングが合えばサポーターの応援の声が聞けるかもしれないなどと思うとワクワクが止まりませんでした。(この日は本当に野球どころではありませんでした笑)

そんな高揚感を覚えたまま野球の試合が終わり、ミーティングが終了したところで帰宅のためにバス停に向かって歩き出しました。すると、しばらくして驚きの光景が目に飛び込んできました。

それは「自転車に乗ってスタジアムに向かうフロサポの大群」です。

(おそらくこの角度から見た景色だったと思います。)

今思えば、大群というほど自転車に乗っていたフロサポが多くいたわけではないかもしれません。

ただ、Jリーグの試合を観に行くために自転車に乗っていく人がいるということが当時の私にとっては衝撃でした。なぜなら、私にとってビックイベントだった現地観戦がこの自転車に乗るフロサポにとっては「ちょっと公園行ってくるわ」という感覚と同じなんだろうなと思えたからです。そのために「大群」に見えたのだと思います。

当時の私は、この環境が単純に羨ましいなと強く感じました。この環境とは、自分の住んでいる地域にプロスポーツチームがあり、そのチームが地域の人々の日常に溶け込んでいるというものです。試合をスタジアムで見るわけでもないのに等々力に行くことだけにワクワクしていた自分にとって、気軽にスタジアムに行ける環境があるという事実は、本当に衝撃的でした。

そして今年1年間私の地元から等々力に通ってみて、改めてこの環境に対する羨ましさを強く感じました。これは単純に遠いと行き帰りが大変ということもあるのですが、自分の生活圏の中で非日常的空間を体感することができるという環境に対してだと思います。



2.ファンと地元とを結びつけるチームを応援するという行動

いきなりですが、皆さんが今住んでいる地域もしくは生まれ育った地元について、日常生活の中でそれを意識する瞬間ってどのくらいあるでしょうか。正直私には思いつきません。強いてあげれば、ゴミ収集車が流している市歌を聴くことくらいです。

なぜこのような話から入ったかというと、地元を意識するということは、人口減少が進む社会の中で重要であると考えているからです。

特に、人口減少の打撃を受けるのが都会よりも早い地方都市にとって地元に対する愛着を住民がどのくらい持っているのかは、死活問題ではないでしょうか。もし、地元に対する愛着があったらその地元にとどまるという選択をする人が増えるかもしれない、一度東京に出て行ったとしてもUターンで戻ってきてくれる人が多くなるかもしれない。

ですから、地元に対する意識と地元への愛着に相関関係があるとすれば、地元を意識することは重要であるといえます。

では、どのようにしたら地元を意識する機会を増やしていけるのでしょうか。その機会になり得るのがプロスポーツチームだと思うのです。

先日Twitterで見かけたFC今治を対象とした研究でも、ファンであるチーム(この研究ではFC今治)と自分自身が強く結び付けられるとそのチームがある地域(今治という町)に対しての愛着が高くなる傾向にあることが示されています。

それでは、チームと自分自身が結びついていく過程にどのような要素が関わっているといえるのでしょうか。

これは、様々な要素が挙げられると思います。例えば、グッズを買うことやファンクラブに入ることは、自分とチームが結びついていく過程で発生する行動だといえるでしょう。

ただ、ここで取り上げたい行動は上の2つではありません。最も優先して取り上げたい行動は、「応援」です。ここでは「応援」を『試合前後や試合中にチームを後押しすることを目的としてチャントを歌ったり、声援を送ったりすること』と定義します。

その上で「応援」という行動が地元に対する愛着と結びつくかもしれないと感じた試合について話をしていきます。


それを感じた試合はアウェイ柏戦です。この試合は連敗中のフロンターレがアディショナルタイムのゴールで逆転勝ちを収めた試合です。私はゴール裏で観戦していたのですが、それはそれはもう大興奮といった状態で帰路につきました。そして、この帰り道で初めての感覚に襲われました。今までフロンターレの試合を見た後に感じたこととは全く異なる感覚でした。

それは「あれ?自分って川崎市民なのでは?」というものです。

もう少し言うと、この試合の直後、川崎市民ではない私が「心は川崎市民だ」と感じました。簡単に言うと、「Love川崎!!!!」という感情に支配されたのです。
つまり、川崎という街に対してまるで自分の街であるかのような意識が芽生えたということです。

このような感覚は初めてだったので、その後なぜこのような気持ちになったのかを個人的に考察してみました。そして、行きついた先が「応援」という行動でした。

「応援」という行動が上記の感覚を引き起こさせたのではないかという結論に至ったのです。以下ではこのことについて言及していきます。

フロンターレの応援をゴール裏で1試合通してし続けたのは初めてのことでした。そこで思ったことは「めっちゃ川崎って言う!」というものでした。これはチーム名に街の名前がついているJリーグクラブだからこそだと思うのですが、チームを応援するとその街の名前を連呼することにつながるのです。つまり、チームを応援する度にそのチームがある街を無意識的に意識することになるのだと思います。

特にフロンターレは1試合で「川崎」と言う数が多いのではないかと思います。「好きです川崎愛の街」から始まり「か・わ・さき!×4」のコール、チャントもほぼ全てに「川崎」と入っています。これによって1試合に何回川崎と言うのか数えたくのが嫌になる程、サポーターは「フロンターレ」とともに「川崎」とも言うのです(この試合の対戦相手だったレイソルもかなりの数「柏」と言っていたと思います。)。

もし、意識と愛着に相関関係があって応援によって街の名前を連呼することがその街を無意識的に意識することにつながるとしたらどうでしょうか。

チームを応援することが無意識的に地元を意識することになり、チームに対する愛着とともに地元に対する愛着を高めていくという仮説を立てることができます。


川崎市民でもない私がレイソル戦の後、川崎市民の一員のような感覚になったのはこの仮説の通りかもしれませんし、そうでないかもしれません。

皆さんはどのように感じるでしょうか。

私は応援という行動がその街を意識させるということはある程度妥当であると考えます。つまり、チームがあることが地元を意識する機会を増やすことにつながるといえる。そのように感じています。そして、先ほどの仮説も意外と当てはまる人が多いのではないかという気がしています。


3.おらが町のチームがある幸せ

ここまで、全試合ではありませんが1年間フロンターレを現地観戦してみて感じたことを「川崎市民のフロサポの皆さんと私との感覚の違い」と「サポーターの応援行動」という視点で述べてきました。

この2つから言いたいことは「やっぱり地元にスポーツチームがあるって幸せだよね!」ということです。それ以上でもそれ以下でもありません。

その上で自分の勝手な意見を申し上げます。それは2つです。

1.「自分の地元に応援するチームがある人は、その幸せを噛み締めてどんな時も応援し続けてほしい
2.「自分の地元にチームがない人も何かのきっかけで好きになったチームを精一杯応援することを通して、自分の地元を少しでも意識してほしい

後者に関しては私がかなりこの1年で自分の地元を意識するようになったので書いてみました。


そして、地元に愛すべきチームがあるけれど、まだそれに気づいていない人がいると思います。そんな人達が1人でも多く「地元のチームを応援できるって幸せだな」と感じるようになっていったらいいなと思います。


最後まで読んでいただいた方に感謝申し上げます。「うーんフォアリュッケンの感覚はこの辺がわからないな」とか「フォアリュッケンのこの感覚は少しわかる」とかあったかと思いますが、遠慮なく意見交換できればなと感じています。お互い気づき得られるといいと思います。

明日はグラッデンさんによる「俺のジンクス2018」です!


4.あとがき

今回のノートはほぼ私の主観になってしまいました。本来ならば客観的なデータなどを示して書いていくべきところなのですが、応援が地元の愛着につながるかなどといったデータを持っていないのでその辺りはご了承ください。最後に、上に挙げたFC今治を対象とした研究地元に対する愛着が就職先を選択する際にどのくらい影響するのかという研究のリンクを貼って終わりとさせていただきます。ありがとうございました。

引用文献
菅文彦・古川拓也・舟崎弘晃・間野義之(2018):チーム・アイデンティフィケーションと地域愛着間の媒介変数に関する考察 スポーツ産業学研究 28(4) 321-335 

参考文献
平尾元彦・田中久美子(2016):就職活動を通じた地元志向の変化,大学教育 13  65-71


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