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「行動したから見えた景色」~取材レポートvol.7-1 志比内地区の若手農家 齊藤峻顯さん~

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 東神楽町は7つの公民館地区で構成されています。
 その中の一つ、「志比内地区」は町の東端に位置した、人口100人余りの地区です。豊かな自然に囲まれ、山村留学(※)を行っている志比内小学校があることが特徴です。

黄線が東神楽町。赤線で囲んでいるのが志比内地区(Google Mapより)

 今回は、志比内地区で育ち、オーストラリアの農家で働いた経験を経て、現在は志比内地区で農家として活躍している齊藤峻顯(としき)さんにインタビューしました。
 齊藤さんの作物は、東神楽商工会青年部がイベントでつくるピザや、志比内小学校の給食に使われており、道内外への販売や新商品の開発にも取り組んでいます。生まれ育った小さい地域からどのように一歩踏み出し、道を切り開いてきたのでしょうか。

(以下の記事に、ピザと齊藤さんのバジルについてのお話あり。)

※山村留学:自然豊かな農山村や漁村で生活すること。志比内小学校では親子で移住することを基本にしています。

「都会ではなかなかできない自然体験活動や,少人数学級でのきめこまやかな指導,地域との交流を通して「生き生き,のびのびと,見通しを持って,自分自身を高めていく子どもの育成」を目指しています。」

引用:「山村留学について」
https://hokkaido-shibinaishou.amebaownd.com/pages/1247047/page_201709051425

離れたから、わかったこと

(本日はお時間を頂きまして、ありがとうございます。どうぞよろしくお願いします。峻顯さんは現在志比内地区で農家をされていますが、生まれもこの志比内地区でしょうか。)

 そうですね、高校時代まで志比内地区で育ちました。地区内の志比内小学校の卒業生です。僕の小学生の頃は当時、全校生徒15人くらいでしたね。
他の学校とはちょっと変わっていて、1・2年と3・4年と5・6年っていう三つのクラスで勉強していました。高校時代は旭川の農業高校に通っていました。

(高校進学の時点で農業の方面に進もうと思ったのですか? )

 いや農業をやろうとは全く考えてなくて。好きだった野球ができればいいかなという感じでした。その後は調理の専門学校に入って、「料理っていいな」と。 そのまま料理人になりました。
 料理人として働いたことで、農業に対する意識が変わりましたね。職場がとても食材を大事にしていたところだったんです。農家からみても 「え、そんなにする?」って思うくらい。例えば、アスパラって寝かせると上に伸びようとするんです。だから、寝かせて置いておくと、「曲がるで!立てておけ!」ってめちゃくちゃ怒られて。そういう出来事がいろいろとあって、食材への熱意を感じましたね。

 ある時、職場のレストランで実家の野菜を買っていただいて、「北海道フェア」というのをやったんです。そのときに自分の父の仕事に対して「あ、すごいな」と、尊敬の思いを感じたのを覚えています。そう感じたのはそのときが初めてでした。それまでは、「こんな汚くてかっこよくない仕事、やりたくないな」って正直思っていたんです。


 そういった経験から、「農業をやろう」と思えるようになったのですが、
「そのまま地元で農家になる前に、いろんな経験をしたいな」と思いました。まず誰も知っている人がいないところに働いてみようと思って、北海道外や道内のニセコなどへ働きにいきました。今まではずっと知り合いが近くにいる環境だったので、知っている人がいない場所に飛び込んですごく新鮮でした。

 同時にその時はかなり孤独を感じました。でもそれもいい経験だったと思います。孤独だったんですけど、一方で新しい人との出会いもあって。例えば、三重県で働いていた時に、本当にすっごいローカルな居酒屋に行って、1人で飲んでたら、常連のおじいちゃんと仲良くなる、とか。そういう新しい人との交流も今思い返せばよかったなと思いますね。
 そうして1年間お金を貯めて、オーストラリアに行きました。

いざ、オーストラリアへ

 オーストラリアでは5戸の農家で働きました。イチゴやチェリー、ブラックベリーなどの農家さんを転々と。ものすごいぼろい車を10万円で買って、農家を回っていました。

10万円で購入したぼろい車。

(英語は得意でしたか?)

 全然得意じゃないです・・中学生の頃は「俺、別に海外いかんし」と思ってましたね。一番苦手な教科でした。
 でももうなんか、 なんとかなるんですよ。
 もうめちゃくちゃな英語ですけど、でも何か伝えようとしたら、相手もしっかり真剣に聞いてくれるので。大事なのは「伝えよう」という気持ちなのかな、と思いますね。

(オーストラリアで印象に残っていることはなんですか?)

 そうですね、働く現場で、温かく歓迎してくれたことが印象に残っています。場所を貸切ってパーティーをしてくれたりとか。そういった経験があったので、今後日本に来てくれた外国人に会ったり、もしうちで働いていただけることがあったりしたら、ちゃんとサポートしてあげたいなというのはすごく感じますね。

 農家での出来事以外にも、オーストラリアのド田舎で車が壊れて途方にくれてたら、お子さん3人連れたお母さんが止まってくれて、助けられた出来事もあって。そのときは本当に「俺ここで終わったわ」と絶望したので、今でもすごく覚えてますね。

「動いてみないと何も始まらない」

(海外へ行って、ご自身の中で変化はありましたか?)

 考え方が大きく変わったんじゃないかなと思いますね。
 「動いてみないと何も始まらない」というのは海外での経験で強く感じました。考えるだけじゃなくて、行動して、それで駄目だったらそれでいいじゃん、という考えはしっかり染み付いて残ってるなと思います。
 
 何かやろうかな、って思っても、多くの人が周りの目を気にするじゃないですか。自分もオーストラリアに行くときに、「何か言われるかな」とか「そんなのやめろよ、とか言われないかな」とか考えて葛藤していたんです。でもいざ行動してみたら、そこまで周りは自分のことを見てないし、意外となんとも思ってないんだなって。周りを気にして頭の中で考えるだけなのはもったいないって、すべてのことに言えるんじゃないかと思いますね。

(頭の中で考えるだけだったら何も生まれないですよね。)

 そういう考え方が今回のトウモロコシに表れた(※)のかなと。めっちゃしんどかったですけど、しんどかった分行動して良かったって思いますね。

おいしさそのまま、冷凍トウモロコシ&かぼちゃ

齊藤さんが開発した冷凍トウモロコシと冷凍かぼちゃ

(※今回、齊藤さんが開発した冷凍トウモロコシと冷凍かぼちゃを見せていただきました。

齊藤さん
「トウモロコシは甘さが収穫してからどんどん落ちていきます。スーパーで売られているときは3日、4日と時間がたっているので、採れたてとは全然違うんですよね。このトウモロコシは、甘さが落ちる前に、収穫して6時間以内にはもう冷凍庫に入っている状態にしています。かぼちゃは試作段階で、来年ぜひ提供できるようにしたいと考えています。」)


(オーストラリアへ行くということが、他の国の人と触れ合う初めての機会でしたか。)

 そうですね。 海外旅行も行ったことがなかったので。驚きばかりでしたね。空港に着いたら、職員が笑っておしゃべりしてたり、タトゥーがガッツリ入った警察官がコーヒー屋でずっとコーヒー飲んでたり・・こういうのありなんだ!みたいな(笑)

 あとは、自分がオーストラリアに行ったときは、政治的に韓国と日本の関係が良くなかった時期だったんですけど、ちょうどそのときに韓国人とシェアハウスで一緒に暮らしていて。でも(国同士で)仲が悪いことは関係なしに、すごい仲良くなったんですよね。そのときに、「国と人って関係ないんだな」ということをすごく感じました。

(自分も海外で過ごしたことがあるのですが、日本に戻ってから、情報の見え方が変わりましたね。海外に友達がいるからこそ、その国に思いを馳せるようになりました。)

 そうですよね。わかります。災害とか情勢が不安定になった時、僕も海外で出会った友人の状況が大丈夫かなって思ったりしますね。

(視野が広がりますよね。)

 広がりますね。どう広かったのか言葉にしづらいですけど、行かなかったのと行ったのでは、見え方が違ったのではと思います。


 知り合いのいない場所での孤独や、オーストラリアへ行くまでの葛藤、言葉の不自由さがありながらも、「やってみよう」という気持ちで乗り越えてきた齊藤さんの姿に感銘を受けました。

 後編では、齊藤さんから見た、今の東神楽町・志比内地区について伺っていきます。これからの挑戦についてもお話いただきました。

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