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僕の明日のたりないふたり

先週、『明日のたりないふたり 特別編』を観に行った。
まさかあの漫才をもう一度観られるとは思わなかった。


5月31日から早6か月。あの漫才を楽しんだ後、卒論、学会、最後の学生生活、就活が終わり社会人への準備と過ごしていく中で、何かが変わったのだろう。
1回目の時と違う感想になっていた。もちろん、2回目ということもあり内容が分かった上で観ているというのもあるかもしれない。


始まる前はこの漫才見たら、たりないふたりを卒業するもんだと思ってた。甘すぎる。    
たりてないからこの漫才見てるのに、そんないきなり変われるわけないじゃん。
これからも頑張って生きるよ 

これは5月31日の直後の感想だ。
あの漫才を観て、自分が「たりなくて」良かった。
ずーっとたりないまま生きていくと思って、ツイートしている。



たりないまま生きていくと誓い、12月12日に再びあの漫才を観た時、僕は自分の甘さを感じた。


「まだまだこんなもんじゃないっていう目」を12年前からしている若林さん。
「頑張ったけど無理だったんだよ!」という山里さんの嘆き。

たりない武器が好きで、必要で、手放してはいけないものだと知ったのは、たりてる側へ行こうと努力したからだ。


努力もしていないのに、「たりなくて良かった」、「たりないまま生きていく」なんて軽々しく言えないと、今回明日のたりないふたりを観て感じた。

来年、新社会人になる。
今までに経験してこなかったこと。
それこそ新しい陽との出会い。
コロナが落ち着いたら飲み会。
大人数の現場。etc.


そこで、「たりてないからしょうがない」なんて気持ちで戦っていたら負ける。
たりてる側へ行ってやる!っていう昔の気持ちを、まだまだこんなもんじゃない!って目をして、戦っていかなければならない。
そして、社会人3年目くらいで絶望するらしい。


僕はラジオに出会うのが人より早かった。
年上のおじさん芸人の話を聞いて育ってきた。
僕はそこで考え方や取る行動を多く学んできた。
でもそこで得た考えや行動を発揮するのはまだ先で良いのかもしれない。


だからしばらく、たりないふたりからはさよならしようと思う。



僕が唯一たりてる奴らに勝っているのは、「たりない世界とそこにいる人の温かさ」を知っていること。


そしてまた数年後、「あーたりなくて良かった」と気持ちよく言う。

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