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ラグビー戦術の歩み<2>:ワイドライン戦法(1)

 1990年代後半の大学ラグビー。早稲田大学は低迷期にありました。1990年代を通じて大学選手権優勝はなく、早明戦も1勝8敗1分け。そんな中、1998年に元日本代表監督の日比野弘が監督に就任しました。

 そこで提唱した戦術が「ワイドライン戦法」。ショートライン戦術が主流の時に、真っ向から逆をいく戦術でした。

「ワイドライン戦法」の登場

 この「ワイドライン戦法」。当時観戦していて鮮烈な印象を受けたので、今でもよく覚えています。それを紹介したいのですが、まとまった資料が残っていないようです。

 ウェブ上で検索しても書かれているページは見つからないし、日比野氏本人が2013年に著した回顧録にも記述がありません。

 そこで私自身の記憶と、自宅に残っている『ラグビーマガジン』や『ナンバー』の断片的な記述から当時の戦い方を復元してみます。

ラグビーでの攻撃の3つの方法

 繰り返しますが、15人制ラグビーでは、約70mの幅を持つフィールドで、両軍15人、合計30人がプレーします。1人が受け持つ幅は約4.7m。これを突破しなければトライはできません。

 突破する方法として最もシンプルなのは、まっすぐ縦に突進する方法。

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 この場合、フィジカルな優位が必要ですが、クラッシュしても前に進めるならば、繰り返していけばいつかはトライできます。明治大学の「前へ」のイメージです。

 一方、「横」の揺さぶりを主戦法にするチームもあります。有名なのは早稲田大学ですし、法政大学もそうです。

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 もう一つ、キックでディフェンスの頭を越える戦法もあります。伝統的には、「アップアンドアンダー」と言われたキック戦法を中心に戦ってきたのが慶応大学です。

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「横」で揺さぶる攻撃

 ワイドライン戦法は単なる「横」の揺さぶりではありませんが、「横」をベースにしています。

 「横」の揺さぶりを中心にする場合、ボールは右から左へと動き回ります。

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 ここで以前説明したチャンネル概念を思い出してほしいのですが、特に、「チャンネル3」までボールを回すと、ディフェンスの裏に出られるケースが多くなります。というのも、チャンネル3でボールを受け取るのは足の速いウイング。

ラック戦術

 そしてここまで来るとディフェンスの密度も薄く、スペースがあり、またトップスピードで走りながらボールを受け取ることができるので、正面のディフェンダーを抜くことはそれほど難しくないのです。

 しかし、いくつか問題があります。1つは、ラグビーではパスは後ろ方向にしかできないので、チャンネル3までボールが回ったときには最初の起点からかなり後退していることです。なので、正面のディフェンダーを抜いただけでは実際にはゲインしたことになりません。

 もう1つは、チャンネル3では抜けやすいことがわかっているので、ここに向かってディフェンスサイドのフォワード(主にフランカー)が戻って二線防御を行うことです。そのため、正面のディフェンダー(一線防御)を抜いたとしても、横からやってくる二線防御に捕まってしまいます。

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 1990年代後半で言えば、当時全盛期の関東学院大学が強くて走るフォワードを鍛え上げ、強固な二線防御を誇っていました。
 チャンネル3にはスペースがある代わりに味方のサポートも薄いですから、この時にボールを失う可能性は低くありません。こうしたことから、闇雲にチャンネル3までボールを回すことはしないのは通常です。

単なる横への「揺さぶり」とは異なるワイドライン戦法のポジショニング

 日比野監督率いる早稲田が提唱したワイドライン戦法でいう「ワイド」とは、単に横にボールを動かして「揺さぶり」をかける(=フィールドをワイドに使う)ということではありませんでした。当時はショートライン戦術全盛時でしたから、アタックラインに並ぶ選手は狭い幅で並んでいました。外にスペースを作るためです。

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 しかしこの時の早稲田のワイドラインは全く違うポジショニングで形成されました。外側のスペースがなくなるほど広い幅で選手を並べたのです。

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 現在では、フィールドいっぱいに選手が並ぶことは珍しくありません。オープンサイドのタッチライン際にウイングやフランカーが立っていることはよくあります。

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 しかしこの時代にはそういうポジショニングをしているチームはなく、非常に斬新な立ち位置でした。

 ショートライン戦術のように「外側にまとまったスペースを作る」のではなく、「1人1人のスペースを大きくする」ことがワイドライン戦法の基本です。次回、具体的な戦い方を見てみましょう。

(続く)