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HLAB Alumni Interview #3-1 林剛弘(今の仕事とHLABのつながり)

HLABは2011年以来、高校生、そして大学生の多くの参加者が、各々のフィールドで活躍しています。今回は、HLAB Alumni Interviewの第3弾として、2012年に高校生としてサマースクールに参加し、2016年に大学生メンターとして活動されていた林剛弘さんのインタビューを掲載します。

高校生としてHLABに対して抱いていた熱い想いから、大学生メンターとして戻ってくるに至るまでのストーリーを、全4回に渡ってお送りしてまいります。(続き:第2回 / 第3回 / 第4回

第1回は、現在の仕事がどのようにHLABでの活動とつながっているのか、当時担当していた「クリエイティブ」としての仕事内容などについてお伺いしました。

──いま、何やっているのか教えてもらってもいいですか?

林さん: 会社員をしています。業務内容としては、主にウェブ制作の割合が多いです

が、最近では、オフィス空間をはじめとする空間のプロデュースや、イノベーションが起こるプラットフォームづくり、新規事業立ち上げのお手伝いをするプロジェクトも増えてきています。僕がやってる仕事は、ディレクターとしてゲームのキャラクターをクリエーターさんと一緒に作ったり、農業分野のイノベーションを支援するイベントの運営をいます。自分自身が手を動かしてデザインをするというよりは、プロジェクトマネジメントが主な仕事です。

──もともとそういうことを仕事にしたいと思ったきっかけはあるんですか?

林さん: HLABもそうなんですが、いわゆる裏方と呼ばれるポジションが好きで、大学時代にはHLAB以外にも大学の学園祭の運営委員もやっていました。裏方として企画や広報といった様々なチームと連携しながら一つのイベントを作っていくところにやりがいを感じるだけでなく、その中で自然と全体を俯瞰したがる性格に気づき始めたことが自分向いているんだろうなって気持ちでHLABもやっていていました。

──HLABに大学生としてかかわったときにどういうことをしていたのかということを教えてもらってもいいですか。

林さん: 高校2年生の時に参加してから大学生実行委員としてずっと戻りたいと思っていました。そこで、大学では経験を積むためにも学園祭の実行委員をやっていました。

──SFCの学園祭というと大変そうですね。

林さん: 結構特殊でしたね。一般的な大学の学園祭は、大学から予算が割り当てられていると思いますが、SFCの学園祭の中でも僕が所属していたサークルが運営する七夕祭は、学生たち自身でお金を集める渉外活動からやっていかなくてはならず、大変でした。その中で僕は毎年変わる学園祭のテーマに合わせたロゴを作ったりもしていました。

──じゃあ、その時からデザイン的なことをやっていたということですか?

林さん: そうですね。デザイン系を目指す学生はいっぱいいたので、少なからず影響を受けていたと思います。

ただ、HLABに戻ろうと思った大学3年の時は最初、企画チームに入ろうと思っていたんですね。そもそもクリエイティブと呼ばれるチームがHLABの組織内になかったんです。

そんな中、僕がHLABに戻ろうと思っていたちょうどその年に千葉さんからお声がけがありました。たまたま学園祭でイラストレーターやフォトショップを触った経験があったということで、2016年の3月に入ってすぐにHLAB 2016のポスターなどを作成し始めました。最初はクリエイティブとして動いているという意識はなかったのですが、4月に入ってポスターやチラシの印刷が落ち着いたタイミングで正式にクリエイティブという形で動くことになっていたんです。

──その時クリエイティブ担当は林さん一人だったってことですか?

林さん: そうですね。

──じゃあ、ポスターやリーフレットなど全部、一人でやったんですか?

林さん:HLAB 2016の他の運営メンバーが入ってくる前のタイミングだったため、一人でやっていました。

──そのあとチームメンバーは増えましたか?

林さん: いや、増えなかったです。

──増えなかったの?

林さん: クリエイティブは僕一人で、グッズや、ウェルカムパッケージを作る人はいたけど、という状況でした。だけど、さすがに一人では良いものも作れないし、全然クリエイティブじゃないな、一人で黙々とやってても良いものは生まれないなと思ったんです。

そこで、東京のサマースクールのオープニングムービーを作ろう、みたいな話になったときに、チームのメンバーに映像取ってもらって、自分はアドバイスをしながら関わりました。そして、ほかの地域にもそうしてもらいました。

グッズを作ったりや、ウェルカムパッケージをはじめとする高校生向けのパンフレッドみたいなのについても、基本的に僕はあまり手を出さず、それぞれの地域の人に作ってもらえるように、いわゆるディレクションとして動いてました。

とはいえ、現実的に無理だったんです。現実的に、4地域分すべてのグッズとウェルカムパッケージを作るのは難しかったので、自然とそうなったんです。別にディレクションとかかっこいい言葉使うまでもなく必然的にそうなりました。

──その時は楽しかったですか?

林さん: 楽しかったですね。自分で手を動かして作ったものもあったんですけれども、ロゴとかは全部自分でやりましたし。HLABのサマースクールがうまくいくためには大学生自身が楽しんで高校生と接したりすることが大事だなって思いました。自分自身も当時高校生として参加した時も、大学生がキラキラしてて、そういう大学生を見てすごく影響を受けていたんです。なので、やらされてやってる感じではなく、「自分たちでやったんだ」という雰囲気を作っていくことが大事だなって思ったんです。

なので、クリエイティブでも、クオリティーよりも、より多くコミュニケーションとって、チームの中でグッズを作ったとか、みんなで編んだものだったりとか、そういう感覚を作っていくことを意識していました、また、4地域それぞれの地域にチームがあって、それぞれの地域でやってることが多かったんですけれども、クリエイティブに関しては、4地域が一つに、一つのチームとしてできてたらいいなってことを考えながらやってました。

グッズももちろん高校生に思い出の器になってもらうために作ったんですけど、大学生にとっては「みんなで考えて作ったよね」みたいな思い入れがありました。なので、実際に高校生が使ってくれてるというと、作り手として、クリエイティブのやりがいがありました。

僕自身、サークルに入っていた時も、ステージ担当に入っていて基本的にステージ周りのタイムラインを引いていました。ステージは学園祭でもメインじゃないですか。メインが、どうパンフレットと連携してるのか、企画と連携してるのかという点を、お客さんに一番見えるところで管理していかなきゃいけないなって思っていたので、必然的に他の部署とも連携が増えるんです。そういう、いろんな部署にいって、裏からうまく連携することが好きだったんです。

──話を聞いてると、チームをどう作っていくかという点も意識しながらやっていますよね。

林さん: HLAB 2016の大学生チームをどうよくしていくかということを考えていました。そしてそれが難しいなって思ったところもありました。

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