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HLAB Alumni Interview #3-2 林剛弘(高校生として参加した夏)

HLABは2011年以来、高校生、そして大学生の多くの参加者が、各々のフィールドで活躍しています。今回は、HLAB Alumni Interviewの第3弾として、2012年に高校生としてサマースクールに参加し、2016年に大学生メンターとして活動されていた林剛弘さんのインタビューを掲載します。

高校時代からアメリカでの留学生活まで、全4回に渡ってお送りしてまいります。( 第1回第2回 / 第3回 / 第4回

第2回では、2012年に高校生としてサマースクールに参加したときの思い出を語っていただきました。

──もともと高校生参加者だったと思うのですが、高校時代にHLABに参加したことでの感想や、その後にどのような影響を与えたか教えてもらえますか?

林さん:僕は高校が都内のいわゆる進学校と呼ばれる学校でした。特進クラスみたいなのが作られて、一つの学年に一クラス、勉強できる人だけ集めたクラスがあって、「東大に何人合格しました」ということを学校として大事にしている感じでした。なので、学校では、成績で人を見るみたいな習慣が当たり前になっていて、当時の僕は、ほかの世界を知らなかったので、「まあ、こういうもんだろう」って思ってたんです。

部活でソフトテニスをずっとやってたんですけど、顧問となかなかうまくいかずに辞めてしまって、高校時代なにをしようかを考えていた時に、に新聞でたまたま説明会の情報が載ってたってのがHLABとの最初の出会いでした。

一人ですごくおっきなオフィス街みたいなところに行って、説明会の会場について一番前の席で。そしたら当時運営委員長をしてた伏見さんが、格好よく英語で登場して、「めっちゃかっこいいな、この大学生」と思いました。

また、僕が参加したのは2年目だったので、一年目の参加者の方々が来ていて、「去年こんな感じでした」という話をしていたんですけど、超仲いい感じが伝わってきたんですよね。「同じ世代で、こんな楽しい思いしてる人いるのか。うらやましいな。」という気持ちになりました。

そのあとにHLAB恒例のテーブルディスカッションみたいなのあるじゃないですか、その時に横山さんのテーブルでした。横山さんのことはその時どういう人か全く知らなくて、「大学生運営してるっていいながら、なぜかひとりだけおじさん来てる」みたいなことを最初は思っていたのですが、終わった後は絶対応募してやるみたいな気持ちになっていました。その場で横山さんとFacebookで友達になって、メッセージで「どうしても行きたいんですけど、エッセイどうすればいいですか?」みたいなことを聞き始めました。

英語が全然できなかったのですが、そのことで逆に初めて学校って場がいいなって思ったんですよね。「学校には英語の先生いるじゃん」みたいなことですよね。そこで、自分が伝えたい事を日本語で書いて、それを先生に添削してもらっていました。その時初めて、学校で生き生きしてるなって感じられました。

──そのとき高校何年生だったんですか?

林さん:高校2年生の4月末でした。

そのあと、合格通知がメールで来たときは、もう泣きましたよ、本気ですよ。一人で家族も別に誰もいなかったんですけど、でリビングで号泣して。いまだにわからないんですけど、人間はうれしい時はほんとに泣くんだということを思いました。HLAB本当に行きたかったんだなって思いましたよ。

そのあとに大量の課題が来て、受かったら受かったでやることがたくさんありました。また、今まで男子校だったんで、Facebookで事前にグループができて、めっちゃ女の子と友達になったり。高校生同士のグループができてみんなで友達になっては「宜しくお願いします、楽しみだね」みたいなやり取りをしていました。

──実際に参加してみてどうでした?

林さん:つらい場面も結構ありましたね。やっぱり圧倒されるんですよね。みんな普通に大学生、海外の大学生と英語でしゃべってるみたいな感じで。

タレントショーも最初は出るつもりだったのですが、圧倒されちゃって、自分そんなタレントないなって思い始めちゃって、中盤くらいから閉じこもる時期がありました。本当に圧倒されっぱなしで9日間あっという間に終わっちゃいました。

東大のキャンパスにて、ハウスで撮った集合写真

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