見出し画像

「頑張ってこなかったコンプレックス」から抜け出せなかった私へ

2019年3月1日午前9時20分、卒論を提出した。

やっと、やっと終わった。
たった2ヶ月。だけど、本当にちゃんと、やっと頑張れたよ、私。


2018年11月。受けたHealth Economicsの授業があまりに面白くて、それまで進めていたCSRの卒論を思い切って全て捨てた。学部生活の集大成としての卒論をどうしてもそのフィールドで書きたくなった。
いろんな調整を済ませて公式にテーマを変えてからというもの、文字通り卒論のことを考えない日はなかった。それが昨年の12月半ば。クリスマスホリデー直前だった。

1月、期末試験を受けてから本格的にそのテーマに関するリーディングを始めた。
興味ある分野の論文はこんなにも面白いのか。いつもは論文1本に20分かかるの私のリーディングフォルダがびっくりするスピードで埋まっていった。
論文を取捨選択するのがうまくなった。「いい論文」と「いいジャーナル」もなんとなくわかってきた。いい論文を書きたいと思うようになった。

また、STATAを1から学び始めた。
授業で学んだのはSPSSだったから、なんで卒論はSTATAなの!と正直絶望したけれどスーパーバイザーの意向なので仕方がない。トライアンドエラーを繰り返しながら徐々に、よたよた歩きで前へと進んでいった。
何度も通せんぼされては転び、何度も同じ交差点に戻ってきた。
どの道に進めばいいのかわからなくて、まさに迷子の気持ちを味わった。
不安。絶望。
私の場合、迷子でいられる期限が決まっていたので尚更であった。
加えて膨大な、論文とは関係ないSTATAのコマンドや解釈、統計学そのものを学ぶ時間。理解できない要素がたくさんあって、卒論に直接還元されないこの時間が辛く、何度も何度も心折られた。自分の理解能力のなさに失望もした。
もっと賢ければ!と何度思ったことだろう。正直これからしばらくは統計とは距離を置きたい。
ただ、今では学べて良かったと思っている。STATA、本当に素晴らしい統計ソフトだ。開発した人は間違いなく天才である。

そして2月になってようやく執筆作業を始めた。
2月1日時点でたった300wordsしか書けていなくて、まだベースの統計も勉強途中。有意な結果も出ず、そもそもデータが駄目なのではと根本的な問題にぶつかりもした。
10,000wordsの卒論が1ヶ月で書き終わるのか。そもそもそんなたくさんの英語を書いたことのない私。論文かSTATAを触っていないと不安で、何日大学に泊まっただろう。

辛かったなあ。本当に終わらないんじゃないかってずっと思ってた。

ちゃんと終わったなあ。


少し自分の話をする。

(文脈から察する人もいるかもしれないが)私は今海外の大学で学位を取得するために正規入学していて、いま最終学年をやっている。今年でここにきて4年目になる。

日本にある普通の公立中学校、公立高校を卒業して選んだこの進路。
海外進学をする人たちの中ではちょっとだけ珍しい私のバックグラウンドはたまに有用で、たまにコンプレックスだ。

バックグラウンドそのものがコンプレックスなのではなく、そのバックグラウンドに付随する「頑張ってこなかった過去」がずっとコンプレックスだった。


私は高校を卒業するまで、自分の小さな世界の中ではそこそこできる奴だった。
勉強や運動でそこまで困ったことはないし、手先も器用な方だったからどんな分野でもある程度の評価を得ていた。

頑張らなくても生きていけた。頑張らなくても人よりできた。

そんな世界で王様の椅子に座って、歪んだ考えに浸りながら遠くを見つめることが私の幸せだった。

しかし、海外の大学に進学すると決めてから、その椅子がブリキでできていることに気がついた。そこには黄金さえも杖にして前に進んでいる人がたくさんいた。

人生の節目節目に真剣に向き合い、戦い、美しく輝く武器を手に入れてきた人がそこで戦っていた。彼らは椅子ではなく、杖を、剣を、進むための何かを求めていた。

私は何も持っていなかった。

私はそれまで、進むために頑張ってこなかった。

私は彼らにもう追いつけない。小さい頃からずっと戦ってきた人と、今更戦えるわけがない。一緒に戦う資格すらない。
美しい武器をひけらかす事すらしない戦士たちに勝手に嫉妬し、羨望した。時には育ってきた環境の違いを呪ったりもした。

ただ。
ただ、どんな言い訳をしようと最後は自分のせいだった。
ただ、私が努力してこなかっただけなのだ。
私の持ち物は私の人生の空っぽさを映していて、それがずっと私のコンプレックスだった。


卒論が終わった今、私のポケットには磁石が入っている。初めて手に入れた進むための武器だった。

卒論そのものはそんなに素晴らしいものではないかもしれない。統計の結果は先行研究と不自然に異なる箇所があったし、モデルだってもっと発展させる余地がある。アカデミアへの貢献という視点で見れば、データはまだしも、ディスカッションが弱すぎる。

だけど、私、頑張ったよ。
椅子を手に入れるためではなく、武器を手に入れるために初めてちゃんと頑張れたような気がする。

磁石は武器にしては弱すぎて、もちろん前線にいるつわもの達とはまだまだ一緒には戦えない。
それに戦うことが全てだと思わないし、進むことが必ずしも正しいとも思わない。椅子を求めることも、何も求めないこともまた、同じように選択である。そこに優劣はない。
だけど、この磁石を手に入れたことは私の人生にとって、とてもとても大切なことだったような気がするのだ。

「頑張ってこなかったコンプレックス」はこれからも変わらずに抱え続けるだろう。過去は変えられないから。
それが今の頑張りで塗り替えられるとは思わない。私は頑張ってこなかった。それは事実だ。

だけど、それでも、少しずつ武器を増やしていくことはできる。
その武器を大事にして生きていくことで、過去の自分に少しだけ優しくなれるかもしれない。

この磁石がどんな風に人生の道しるべになってくれるのかはまだわからない。
ただ、磁石を信じて道を選んでいく。そんな風に生きていきたいと、そう思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?