「月がきれい」様へ、ありがとうございました


放送当時から買いたいな~買いたいな~と思ってた「月がきれい」をようやく買えました。微妙にお金が足りなかったのでここまで延びました。おかげで数量限定のべにっぽは私の家にはありません。コミケも買い逃しました。もうだめぽ。悲しみ。


なぜこんなに「月がきれい」が好きなのかと言えば、自分の失敗が一番です。まあ作品に自分の人生を重ねても意味は無いというか自分に変化はないというか仕方のないことですが。


最初は特に印象が無かった、というか制作スタジオがfeel.さんだったので見ようかな程度でした。俺ガイル二期はありがとうございました。重苦しくて繊細なつくりが非常によかったと当時思ってました。


一話を見て、なるほどこれがやりたいのかぁって思いました。あらすじとか見てなかったのでタイトルの意味もここでなるほどとなり。放送当時は音楽少なくて会話の空気感を味わう作品にしたいんだなぁって思いながら見てましたが、この音楽って会話とか心情に応じて変化する音楽なわけで。コメンタリーを聞いて気付いたんですけど、店内の音楽が普通に流れてるのはやられたなぁと。別の回ですが、運動会も動揺で普通に流れてるわけで。何も意識できませんでした。ただ普通の日常の音のうちの一つで。もうただただ中学生の日常の一つを見せてもらってるなぁと。


収録はプレスコだったそうで、後から絵の動きがついてるんです。だから会話の間が普通の日常のもののようで、こういう話し方するよなぁって思いながら見てました。親と一緒に飲食店入ってたら小恥ずかしい感じとか、うまく思ってることを言葉にできなくて「分かんない」っていらだつ感じとか。会話の間という形式が現実に近くて、それに乗せる内容もリアルだなぁと。そこが本当にフィクションのはずなのに限界まで現実に近づいてる要因なんだろうなぁ。


フィクションなのは、結末まで巧く都合がよかったところかなぁ。というかそこが自分にとっては一番刺さったところですが。言葉にしないと分からないことはあるし、言葉にできなくてどうしようもないこともあり。自分の失敗の原因はそこで。引きずってるというか心残りのところ。なので、フィクションでもそんな事態にはならないでくれ頼む頼むと祈りながら見てましたが、そうはならないでくれて、本当に安堵しましたし、それで泣きましたし。それまでのリアルさのおかげで結末までそれはやめてくれと思ってたので、フィクションくらいは幸せになってくれと。本当によかった…。自分のように失敗した結末にならず、自分の代わりに叶ってよかったなぁみたいなことを思って安堵して泣いてって感じでした。色々表現の方法はあるけど、少なくとも登場人物が幸せになって本当によかったです。それに尽きます。


見た方は登場人物に対してそれぞれ思うところはあるでしょうが、だって人間だよ?って感じですよね。そんなすぐ整理つくわけもなくというか気になってしまうものは仕方ないというか。「月がきれい」が目指したものが普通のアニメとは異なり、ただの日常だよってところですし。だから余計に人間っぽいんですよね。筋書き通りにならないというか予想しても無駄なのが現実の人間なのであって。


そういった普通の作品と比べたときのイレギュラーさがありつつも、全体の筋道としてはフィクションなわけです。細部に現実は現れてるのに、全体としてはフィクションが損なわれずにむしろフィクションを引き立たせているように感じました。だからどこかで見た景色(実際は川越)というか、視聴者の中学生もしくはそれに準ずる時代の頃に見ていた景色の中にある空気感が刺さる人には無茶苦茶に刺さってしまうというか刺さったのが私です。登場人物たちに現実感があり、というかそこにいる。彼ら彼女らがやっていることは当時を思い返せばなんとなく理解してしまう情景。思い出の断片をくすぐってのたうち回るような感覚とフラッシュバック。だからこそ登場人物たちの幸せを祈らずにはいられない。結果として刺さりに刺さって最終回のラストからEDにかけてはボロ泣きでした。本当に安堵しかなかった。達者で暮らせよ…。そんな具合にきれいな終わり方を見せてくれたので、もう感謝しかありません。「月がきれい」を見てくれ。できれば買ってください。