2020/07/07 ノートかnoteか

また書くことから離れてしまった。みたいなことを書くのは何度目だろうね。離れてしまった、って、書くことから離れることがなぜ自分にとってマイナスなのかというと、書かないと、考えたことや思いついたことが、頭に浮かんだ端から消えていってしまうから。書いた方が、考えていた事が悩みで終わらずに、考えて、少しずつ前に進んでいける気がする。手書きの日記を毎日つけていた時期は、グルグル回りながらも毎日何かが起こっている手応えがあった。考え始めると同時に筆を取って文字にしていっていた。

何を書かないかだけ決めていて、だけど自分のことはどれだけ書いても平気なような気がしていた。実際、頭に浮かんだことをそのまま書いていくことがほとんどだった。自分のことを書いても平気だと感じていた理由は、書かれたそれは書いた瞬間からもう過去で、今の自分とは別のものだから。別ものだと自分が感じていたから。つまり日記に書いていることはわたしの主張や意見ではなく、あくまでその瞬間のわたしが考えていたことで、後から読んだ人に、あの日の日記にこう書いていたけど、と言われても、それを言われた瞬間のわたしはもうその日記に書いてあるようには考えていなくて、なんならそんなことを書いたことすら忘れているのであった。

また日記を書き始めたいなとかなりの頻度で思って、書き始めては、書き続けられずにいる。

こういうところに書くよりもペンでノートに書く方が、脳みそ直結という感じで筆が進む。どうしても変換がまどろっこしかったり、人に読まれたいという欲を自分の中に感じてしまう。感じてしまうと手が止まる。何か有益なことを書かなければとか、書きたいなとか、いいねの数とか読んだ人の数とか、そういうのが気になる自分の存在を感じる。ノートだと書いている瞬間は、わたしとノートだけだから、少しまし。結局ネットに載せるんだから同じではあるんだけど。

あとなんかやっぱりちゃんと書かないといけない気がしてしまうんだと思う。話が急に飛んじゃいけないなとか、段落をつけないと、とか。

かれこれ2月くらいからほとんど収入がない状態で生きてきているんだけど、なんやかんやと生きてこれていて、やっぱり昨日の自分とは違う自分が今日の自分で、死ぬ準備をしていると書いて色んなものを外に残そうとしていた自分ももう過去の自分で、今のわたしはあそこにはいない。なんてこれは動画とかポッドキャストを更新していない言い訳でしかないのですが、録ってある分はなんとしてでも外に出したいとは思っております。

すっかり自分が誰を救いたかったのかとか、救うなんて考えていたのかとか、どんなふうに生きていきたいのかとか、そういうの忘れちゃった。そんな時期もあります。パソコンで書いてると読み返せるし、書き直せるし、その辺りも多分なんかもぞもぞしちゃう原因な気がするな。

おわり。

やっぱりなんか、自分のために書いてるって感じがしないんだな。自分のために書いてるけど、ノートに書くよりも、もう少し、人に読まれたいという欲を突きつけられる感じがする。





最後までありがとうございました。