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ハシでキレるトンカツ屋

あれは、ものすごく暑い夏の午後だった。

 原宿で少し遅めのランチ。
あまりにも暑くて、冷やし中華でも食べれば良かったのだが、私は冷やし中華が苦手なのだ。
なにしろ、あの甘ったるくて酸っぱいタレがダメなのだ。
そして必ず食った瞬間に「ゲホゲホ!」と咽る。
何かで読んだのだが、酢は女性よりも男性の方が咽るのだそうだ。
酸辣湯麺が女性に人気の理由がわかる。

 ランチを探しながら表参道を上の方、伊藤病院のあたりまで来てしまい、もうここまで来たからには、あそこのトンカツだろうという気持ちになっていた。
ロイヤルホストを横目に、ぐんぐん突き進むと、目当ての店が見えてきた。
もちろんそれは「まい泉」である。
この話は、まい泉がサントリーグループになる少し前の話だ。

 その日も相変わらず混んでいて、店内は席が空くのを待っている人達で一杯だった。
こういう時、一人客だと割とすぐに案内してもらえるので得をする。
私は店員さんに一人である事を告げると、すぐにカウンターの真ん中あたりの席に案内してもらう事が出来た。
座ると同時に、いつもの黒豚ロースカツ膳を注文し、トンカツが揚がるのを心待ちにしながら、メニューを見ていた。
頼んでからメニューを見る事に意味があるのか?
そう思われるかもしれないが、私にはそういう癖があるのだ。
頼んだ後でメニューを見て「え?沖縄紅豚のトンカツなんてあったのかよ?」など思いながら、また次の目標が出来るのである。
因みに、カップラーメンも蓋を剥がして注意書きを読んだりデザインを見ながら食べる癖がある。

 同様に、店内の人間模様を観察する癖もあり、この日もお一人様で平日の昼間にトンカツ屋のカウンターに座って食べるのはどんな人なんだろう?と思いながら観察していた。
着物で上品にヒレカツを召し上がる年配の女性、恰幅の良い社長風のおじさん、デザイナーっぽい黒縁メガネのヒゲ男、いろんな人達が居た。
その中で私の視線が止まった人物が二人居た。

 一人はTシャツを着たセレクトショップか何かの店員風で、お金の無さそうな若者。
もう一人は、スーツを着たパンチパーマで、いかにもベンツに乗っていそうな、その筋風の男だった。
この二人が、私を挟み、カウンターの左端と右側の方に座っていた。
若者は、ガリガリの身体だったが姿勢よく座って行儀も良かった。
パンチパーマは、額に汗を垂らしネクタイをゆるめ、シャツのボタンをあけ「アッチーな、クソ・・・」みたいな顔をして扇子でバサバサやりながら、メニューを見て一番高いのを選んで注文した。
そんなに暑いのであれば、トンカツなんぞ食わずに冷やし中華でも食べれば良いのに、と思ったが、もしかしたら私と同じ理由で苦手なのかもしれない。よく見ると派手に咽せそうな顔をしている。

大根おろしをつまみながらお茶を飲んでいると、若者の方から

「コロッケ定食お願いします」

という声が聞こえた。
私は「え?まい泉に、そんなのあんの?」そう思って、つい若者の方を見てしまった。
視線を戻すと、パンチパーマも額の汗を拭きながら若者を見ていた。
扇子をバサバサとさせていて、まだ相当に暑いらしい。
注文の順番は、私、パンチ、若者だったのだが、運ばれてきた順番は、若者、私、パンチだった。
その時点でパンチは不満が顔に出ていたのだが、若者はお構いなしにパクパクと美味そうにコロッケを食べていた。
パンチが食べ始める前に、若者が

「ごはん、おかわりお願いします」

と言った。
驚くほどの早食いなんだな・・・。
そう思いながら、私は自分の黒豚ロースカツを味わっていた。
まったく、トンカツなんて食い物を誰が発明したのか?
豚肉に衣をつけてサクサクに揚げて食うなんてことを思い付くなんて、天才なのではなかろうか。おまけにその名も「とんかつ(豚カツ)」ときた。
もしも「とんかつ」のネーミングを考案したのも同一人物なのだとしたら、これはもう世紀の大発明であり、エジソンやテスラと並ぶ偉人であるのは疑いようの無い事実なのではあるが、彼等以上にクールだと思えるのは、このレシピを開発し、オープンソースとして公開した人物が誰なのか分からないという事だ。とんかつの発明者はブロックチェーンを考案したと言われるサトシナカモトと同様の偉業を100年以上前に軽々とやってのけていたのだ。
そして、トンカツは左から三番目が黄金比であり、一番美味いというのは有名な話だが、その三番目に差し掛かろうとしていた時に、再び若者が

「ごはん、おかわりお願いします」

私は耳を疑った。
そしてパンチは、汗だくで豚汁をすすりながら再び若者の方を見た。
もちろん私も見た。
そしてご飯が運ばれてきた時に、若者は言ってはならない事を言った。

「すみません、寒いんでエアコン弱めて下さい」

その瞬間、端に居たパンチがキレた。

「てめえ!コロッケなんかでメシ何杯食ってんだ!」

そのキレ方に、私はカツを吹き出しそうになった。
しかし、若者は自分の事かどうかも分からず、しっかりとごはんを受け取り、食べ続けた。

コロッケでごはんを何杯食べようが自由だが、次回はプロが揚げる熱々さっくり、箸でキレるやわらかとんかつをご賞味頂ければ幸いである。

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とんかつまい泉 青山本店
定休日:なし
http://mai-sen.com/restaurant/

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