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天敵彼女 (48)

 あれからしばらく経ったが、俺はまだ混乱していた。

 奏と俺の偽装恋人計画は、親の同意をあっさり取り付けた。

 むしろ、取り付けてしまったと言った方がいいのかもしれない。

 出来れば、反対までいかなくとも、多少は異議を唱えて欲しかったが、全くの無風状態で、俺と奏は親公認の偽恋人になった。

 こんなに重大な事がこんなに簡単に決まっていいのだろうか?

 奏の為なら何だってするつもりだったが、さすがにこれは躊躇せざるを得ない。

 俺は偽物だ。本物の彼氏にはなれない。

 奏に望まれたとはいえ、俺達はこれから嘘をつくことになる。

 確かに、俺達の周辺は落ち着くだろう。だから、奏の話を聞いて一度は俺も納得した。

 でも、本当にそれでいいのだろうか?

 奏に本当に好きな人が出来た時、俺の彼女のふりをしたことを後悔する日が来ないとも限らない。

 本彼に、俺と付き合っていた時期がある事が、どのように受け止められるか分からない以上、俺は変に奏に関わるべきじゃないのかもしれない。

 奏が好きになる相手が、極端な思想の持ち主でない事を祈りたいが、最悪俺と付き合っていた時期があるだけで振られる可能性も捨てきれない。

 また、奏に好きな人が出来た時、俺との関係を自然な形で解消できなければ、元彼を酷い形で振って新しい男に乗り換えた女という事になる。

 かといって、俺との関係解消に手間取っている内に、奏の好きな相手に彼女が出来てしまう可能性もある。

 どう転んでも、明るい未来は見えない。細い道を踏み外せば、即バッドエンドが待っている。

 どうやら、俺は奏にとってリスクのある事を、何の覚悟もなく引き受けてしまったようだ。

 普段ヘタレてばかりなのに、肝心な時に思慮が足りなかった。

 何だか、自分で自分が情けなくなってきた。

 俺は、奏の目を見られなかった。

 俺が普通の人間だったら、きっと奏に普通に交際を申し込んで、普通に付き合うのだろう。

 そうすれば、こんな回りくどいやり方などせず、奏に嘘をつかせることもなかった。

 縁さんや父さんも、俺達の関係が本物だったら、もっと普通に安心させられたはずだ。

 俺だって、何が自然で、何がまともなやり方なのか位分かっている。みんな俺の負担にならないようにする為に、無理をしてくれているんだと思う。

 それなのに、俺はずっとヘタれてばかりで、多分これから先も彼氏らしい事などしてあげられそうにない。

 俺は、偽装彼氏としてすら失格なのかもしれない。

 そんな俺との空虚な遠回りが、本当に奏の為になるのだろうか?

 このままでは俺と奏は、異性を寄せ付けない為にお互いを利用し合う事になる。

 それはきっと、世間の流れに逆行する事になるだろう。

 恋人を求める年代の男女が、周囲に嘘を広めてまで、異性を遠ざけようとするのはどう考えても健全とは思えない。

 そんな事をしていたら、いつか世間一般のルートに戻れなくなる。その時、俺達に何が残るのだろう?

 俺は、奏から当たり前の幸せを奪ってしまうかもしれない。

 黙り込む俺に縁さんが言った。

「奏は、ずっと我慢して来たの。私の結婚生活が破たんして、大好きだった父親の裏の顔に幻滅して、誰も好きにならないって決めた。でも、最近そんな小さな決意すら踏みにじられそうになって、この子は自分が本当は何をしたいのか考えたそうなの……峻君、奏は自分の意思であなたの所に来たの。だから、出来れば奏と楽しい思い出作ってくれない? 私がこんな事頼める立場じゃないかもしれないけど、この子に我慢ばかり強いてしまったのが親として最大の後悔なの。勝手なお願いかもしれないけど、奏をお願いできないかしら?」

 俺は、返事が出来ずにいた。

 それでも俺には越えられない壁がある……ヘタレ続ける俺の背中を父さんが押した。

「峻、私も同じ気持ちだよ。ずっと我慢ばかりさせてしまった。うちのごたごたがなければ、もっと違った生き方が出来ていたんじゃないかと思って、ずっと胸が痛かった。峻、お前もそろそろ自由になりなさい。私と母さんの事にいつまでも縛られ続ける事はない」

 まだ、目の前で何が起こっているのか、理解が追いついていなかった。

 父さんも縁さんも、こんな俺の後押しをしてくれている。

 別に俺は、奏と付き合う訳じゃない。異性よけのお守りとして利用し合うだけだ。

 そんな怪しい動機でリスクのある行動をとる俺達を、この二人は何故こんなにあっけらかんと見守っていられるのだろうか?

 所詮、俺は男だ。どんなに奏を家族同然に思っていても、異性として魅力を感じていない訳じゃない。

 何とか意識の外に追い出そうとしているが、ふとした拍子に却って意識してしまう時がある。

 その度に俺は自己嫌悪に襲われてきた。このまま安易な方向に流されてしまった方が楽になれるのではないかと思ったこともある。

 俺にとって、こんなに近くに奏がいるのは簡単な事じゃない。いつだって必死で命題Xの暴走を抑えてきたんだ。

 これから彼氏のふりをすれば、恐らく俺の心の弱い部分が激しく揺さぶられることになる。

 俺は、果たして耐えられるだろうか?

 そろそろ返事をしなければならないのだが、考え込み始めた俺はなかなか現実世界に復帰できない事が多い。

「コラッ!」

 いきなり誰かの声がした。俺は、思わず顔を上げた。お悩みモードが強制終了され、俺の意識はリアルに反応し始めた。

 それから、視界が徐々にはっきりしてきて、俺は縁さんがこっちを見ている事に気付いた。

「また、考え込んでるでしょ? そうやって一人でどんどん沈んでいくのは峻君の悪い癖よ。奏が望んでいて、私達親も賛成している。あとはあなたの気持ちだけ。別に、危ない事をするわけじゃないんだし、今まで楽しめなかった事を奏と一緒に楽しめばいいだけよ。ほら、奏も何か言いなさい」

 縁さんに促され、奏が重い口を開いた。そこにいたのは、いつもの奏じゃなかった。うまく言えないが、弱々しくて、どこかたどたどしい感じだった。

「……私、ずっと男の人が怖くて、男の人を寄せ付けないようにしてた。あの人たちは、ちょっとした隙に付け込んで来るから、いつも気を張って、無理してた。多分、同年代の人達のような楽しみのない生活をずっとしてた……でも、峻が私の事を守ろうとしてくれて、一緒にいられて嬉しくて……こんな私でも幸せになっていいのかなって思えるようになったの。今だけでもいいから、私も人並みに人生を楽しみたい。峻には苦痛かもしれないけど、お願いしてもいいかな?」

 奏は、不安げだった。いつものような強さはなかった。俺は、これが奏の素の顔なのかもしれないと思った。

 俺は、奏はずっとこんな風に気を張っていたのかと思った。同時に、こんな子を一人にしておけないとも思った。

 俺は、奏を安心させるために、どんな表情をして、どんな声を出せばいいのか考えた。

 ヘタレな自分を追い出し、なるべく落ち着いた声のトーンを意識し、自信
を持つよう心掛けた。

 それでも、やっと口をついたのは消え入りそうな言葉だった。

「う、うん……分かった」

「ありがとう……」

 涙ぐむ奏。縁さんがそっと寄り添った。

「峻、良く言えたな……じゃあ、これからの計画を立てよう!」

 いきなり父さんがプレゼンモードになった。俺はあっけにとられたまま、 いつも間にか父さんが用意していたゴールデンウィークの計画についての説明を聞いた。

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