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若さとは

先程成人式の後撮りを行いました。
前撮りでやりたかったのですが、母の前で着飾るのがなんとなく嫌で避けておりこのまま振袖を着ずに生涯終える気でいたものの、今しかない!と思い切って撮影したのでした。
それなのに後悔しています。
私の母は抜群にスタイルがよくどんな服を着てもサマになるしメイクいらずの顔をしています。父も世間的に見ればかなり顔が整っています。私の妹は母の体格をそのまま受け継いだ美しさです。私もその両親のもとに生まれたのだから(そもそも容姿の話なんてしたくないですが)それほど醜い姿はしていないはずなのですが、家庭ではこの両親を持った割にそれほどずば抜けたスタイル・顔でないことから、圧倒的に私が失敗作として扱われてきました。
特に母です。「化粧大変そうだね、私化粧必要ないタイプだから尊敬する笑」とか「妹と横に並んでみ、足の長さ太さ全然違う」とかそんな調子です。
自分のことを凄く醜いと思っていましたが、ここ3年くらいでネットの人達や友人を見て、素の美醜に縛られず堂々とやりたい格好をする人が1番美しいと思うようになったし、自分にも自信がついて美醜への執着から解放されました。
それで母の前でも振袖を着ようと思ったのに、です。当日朝から「そんな顔浮腫んでていいの?」ヘアメイクや着付けした帯を見て「これだけ見てたい」などと口にするし、撮影中もポーズを指定される私を見ていちいち嘲笑するような感じでした。写真選びの際も半笑いで「どれでもいいんじゃない?」そんなです。
あくまで家族との関係は良好で、最終的にそんな娘が可愛くて仕方ないのだという気持ちも伝わるのです。愛されています。それでもやはり容姿の話題ではいつも貶され、一生に一度の振袖姿すらも嘲笑されたのがショックでした。今は完成品も見たくないし人にも見せたくないです。帰宅した今涙が出そうです。 容姿より自由な姿が美しいと気づいてメイクやファッションを覚えたのに、結局ルッキズムの中で報われようとしている自分にも腹が立ちます。どのように気持ちを整理すれば良いでしょうか。

お母様は、美しさという戦いの場で今も戦っていらっしゃるんでしょうね。

ここからは女性の見た目に関する話をするので、”なんて感じの悪いことを書くんだ”と思われる方もいるかもしれない。私が書いたことを読んで、傷つく人もいるかも。

何歳でも、誰でも美しいんだよ、みたいなことはこの記事では書きません。

嫌な予感がする人はこのあたりで引き返してください。




よろしいですか?それでは書いていきます。

若い子の美しさに、私は絶対に勝てません。私は今年37歳になります。

35歳くらいの頃、”あれ、私の手ってこんな感じだったっけ?”と思いました。なんか、指が太くなった気がする。手の甲の皮膚は、もっとすべすべだったはずなのになんだか張りがない。一度ついた傷がなかなか治らない。

初めは、手に対してだけそう思っていました。でも、笑った時に目尻に皺が寄ったり、ついた肉が落ちづらくなったりするのを感じて”も、もしかしてこれは加齢による肉体の変化では…!!”とやっと思い及んだのでした。

若い頃は、年上の人間に”若いって美しい”みたいなことを言われても全く響きませんでした。でも、今、声を大にして申し上げたい。若いって美しいんです。

あなたは成人式を迎える年頃だそうですね。きっと溢れ出すような美しさをお持ちでしょう。お母様は、あなたより最低でも15歳は年上ですよね。私と同じくらいの歳か、私よりももっと上のご年齢のはずです。

歳を重ねた人間特有の美しさというものは、もちろんあります。かく言う私も10代の頃から、50代の俳優さんが心の恋人でした(アラン・リックマン)。刻まれた皺も、思慮深さや穏やかさも、とても素敵なものです。

でも、その上で、若さの絶対的な美しさの前には老いの豊かさは霞むなと思う瞬間があります。

新しいことに果敢に挑戦していけること。おそれを知らないこと。若さは傍若無人さです。老いは私にとってもまだ未知の分野ですが、若さの輝きは知っています。それはかつて、私も確かに持っていたはずのものだから。

若さが眩しく見えるのは、私がそれをすでに失いかけているからだと思います。ある程度歳を重ねた人間は、あなたたち若い人たちを眩しいと思っています。内心憎んですらいるかもしれない。若さを浪費してしまった自覚は私たち全員の中にあり、それを今同じように浪費しようとしている若者たちを嫉妬と憎しみの混じり合った目で眺めてしまうのは、仕方のないことのような気がします。

あなたのお母様はスタイルの良い美人でいらっしゃるそうですが、それでもあなたの輝くような若さには絶対に敵いません。お母様にとって、美しさは絶対的な武器なんでしょうね。

私にとっての武器は知識や思考です。知識や思考という戦場に、私の子どもがいつか登ってきて私に勝つ時、私もまた、100%冷静でいられるかは分かりません。できれば、成長を一緒に喜びたい。勝利を全力で讃えたい。でも、悔しさと嬉しさがごちゃ混ぜになって、ちょっと涙ぐんでしまうかもしれません。それくらい、知識や思考に対して真剣でいるつもりだから。

お母様がおっしゃったいろいろな酷いこと(本当に信じられないくらい酷いことを言っていると思います)は、全部、”あなたには勝てない”、”それがとても悔しい”ということです。自分の立場を脅かそうとする人間に対して、人は攻撃的になるものです。お母様は、自身の美しさにしがみつくあまり、あなたに対して攻撃的になっています。

別に、お母様をいますぐ許す必要はないと思います。私も、”親もただひとりの平凡な人間でしかなかったんだ”と思えたのは30歳くらいになってからでした。

インターネットのなんかよくわからんオタクが”お前の母ちゃん、本心ではお前に嫉妬しとるんよ”と言っていたことを辛い時には思い出してもらえるといいなと思います。

Big Love…