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多分このまま100まで

年齢が一桁だった頃に読んだ本のこと、覚えていますか?

どうもこんばんは、火曜日のnote更新です。

ロアルド・ダールは『チャーリーとチョコレート工場』があまりにも有名だけれど、幼少期の私がとびきり好きだったのは『マチルダは小さな大天才』。何度も読み返したので表紙の絵も覚えているくらいだけれど、最後に読んだ時から約30年の時が経過しているので、流石に細かい内容は覚えていない。

どんな感じだったっけ…とWikipediaを覗いてみたら、抑圧された子どもの話だったので”なるほどね…”と納得した。

6歳くらいの頃の私は”私の良さを誰にも理解してもらえない”という気持ちが強かったから、それで『マチルダは小さな大天才』のような物語が必要だったんだろう。賢くて、大人も出し抜けるようなマチルダにこっそり自分を重ねて読んだ日々のことを思い出した。
当時の私は担任の指示が理解できず、図画工作のクラスでひとりだけ頓珍漢な作品を作って叱責されたりしていた。担任の女教師に叱られながら、それでも内心、”私以外の39人はボンクラで、私だけが賢い”と無根拠にも信じていた。担任の頭をさぞかし悩ませたことだろう。

リプライやリツイート先で挙げられていた作品で、マチルダ〜と同じくらい私が好きだったのはエーリッヒ・ケストナー。『ふたりのロッテ』、『点子ちゃんとアントン』、何回も何回も読んだ。

ケストナーもダールも、子どもは大人と同じかそれ以上に、大真面目に自分の人生に向き合っているということを理解してくれている作家だったと思う。

子どもは大人が自分のことを軽んじたり、お前の悩みなんて大したことはないと心の中で思っていると、それをすぐに見抜く。4歳の子どもがいるので児童書を最近よく読むけれども、可愛い絵と平易な文章に包まれた欺瞞を感じ取ると、少なくとも私はものすごく嫌な気持ちになる。

ロアルドダールやケストナーよりもっと幼い頃に読んで心に残っているのは五味太郎だね。児童書で五味太郎に勝てる作家はいない(※個人の意見です)。

人生の寂しい部分や暗い部分を子ども騙しで誤魔化さずに絵本を作れるのは五味太郎だけなんじゃないかなと私は思います。

上のツイートに質問箱で回答してくれた人もたくさんいた。ありがとうございます。その中でも、タイトルを見ただけで懐かしい気持ちになったのは『大どろぼうホッツェンプロッツ』シリーズ。全く内容は覚えていないのに、ホッツェンプロッツという文字列を見た瞬間、久しぶりにかつての親友にあったような、そんな懐かしさに襲われてジンとしてしまった。


子どもと一緒によくこの本屋に行っている。そこにも『ホッツェンプロッツ』シリーズはあった。絵本ってすごいな、30年以上の時を平気で超えて今も現役でいる。

そういえば、福音館書店に行った時、この本も見つけた。かつての私が擦り切れるほど読んだ本だと、背表紙を見た瞬間に分かった。どうして今の今まで忘れていられたんだろう…。

児童書って大人になってから読む本とは全く違う。私に大きな影響を与えてくれたのに、その存在も内容も忘れるような不義理をしても許してくれるのは児童書だけなんじゃないかと思う。

なぞなぞの本を読むかつての私を遠く離れた30年後から眺めてみる。"どんな難しい問題にも必ず答えとそれに結びつく理屈があるのがいい"という声が30年前の私から聞こえてくる。なんだ、クイズが好きな今の私と全然変わっていないじゃないか。

Big Love…