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私はあなたを知っている

・先日、舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』を観てきた。

・ご存知の通り私は約20年来のハリポタオタクである。家のワードローブには杖とローブがしっかりあるし、原作は当然全巻持っている。

・ハリーポッターと賢者の石が日本で発売されたのは1999年らしい。当時の私は12歳だった。近所の本屋に平積みにされた青い表紙の本を手に取ったその日からハリーポッターのオタクになり、ハリーポッターと一緒に成長してきた。

・赤坂でハリーポッターの舞台が始まったのは知っていたが、なんせ映画すら"私の中にある完璧な原作のイメージを崩されたくない"とほぼ観ていないタイプの頑固な厄介オタクなので、あまり興味がなかった。自分の中のイメージと心中するタイプの、原作原理主義のオタクなんです、私は…。

・しかし、夫が"舞台観てみたいな〜"と言い始め、"まあそういうことなら…"と一緒に観に行くことにした。

館内のショップで買ったフクロウのぬいぐるみと一緒に鑑賞した

・入場すると、舞台はかなり近かった。最前列から数えて三列目の真ん中に近い席だ。入場時点で緞帳が上がっており、舞台の様子がよく見えた。舞台上には古びたスーツケースがまばらに置かれ、青っぽい照明の当たり方が美しく、これから始まる舞台への期待が高まるのが分かった。

・ネタバレは良くないので細かいことは書けませんが…

・舞台って、すごくいいですね………

・私は観たい映画があると予め上演時間を調べ、2時間以上なら映画館で観るのを諦めることが多い。それくらい、長時間拘束されるタイプのエンタメが苦手なのだが、今回の『呪いの子』の舞台は途中で全く気持ちがダレなかった。

・展開はどちらかというと矢継ぎ早だ。語られる物語を通して観客の感情を動かそうとしているというよりは、舞台における演出でこちらの心を揺り動かしてくる、そういうタイプのエンタメだった。

・スクリーンで放映される映画とは違って、舞台はどうしても"作り物"感が明らかだ。今この瞬間に劇場の舞台の上にセットがあり、それを動かしている黒子の人たちがいる。出番が終われば役者は袖幕の中に引っ込み、また出番が来ると走り出てくる。

・作り物であることが明らかだからこそ、登場人物の感情や舞台の上で起きている出来事は台詞だけでなく、舞台装置の動きやPAでこれでもかと言うほど表現される。『呪いの子』は私にとってほぼ舞台初鑑賞の場になったのだが、舞台というエンタメの凄さをこれでもかと見せつけられた。

・映画は自然に装われた映像だからこそ、そこに込められた意図を観客が探る必要がある(と私は思っている)。しかし舞台は、"こう見せたい"という演出の意図が丸見えになっている。

・舞台の上で実際に風が吹く訳ではない(吹く舞台もあるのかもしれないが、今回はそうではなかった)。人が飛ぶのはおそらくワイヤーで釣られているからだ。ぐるぐる回転するのは、そういう装置があるからだ。

・作り物であることがはっきりしている、それだけのことがこんなに大きな感動を呼ぶとは思いもしなかった。作り物なのに、"ここには大きな山があって、風が吹いているんですよ"という作り手の意図を感じると、そこには山があるし風が吹くのだ。


ここからは内容のネタバレがあります。



・『呪いの子』はハリーポッターの息子であるアルバスの物語だった。アルバスは父親が英雄であることに強いコンプレックスを抱いている。

・しかし、ハリーポッターをずっと、私自身が12歳の頃から追いかけてきた身としては、ハリーも決して初めから英雄だったわけではなく、ただのわがままで生意気な少年であったことを知っている。

・観劇中、英雄である父親ことハリーポッターに反発するアルバスを観ながら、"違うよ、君のお父さんも学生時代はただのクソガキだったんだよ"と思った。かつて同世代のキャラクターとして、ハリーポッターシリーズを読んでいたオタクの特権ですね、この感情は…。

・未読でしたが、『ハリーポッターと呪いの子』の舞台脚本を買いました。読むのが楽しみです。

Big Love…