見出し画像

“優秀な人材を育成します”という学校教育の壮大なる詐欺

 子どもを持つ親なら誰しもが、子育てに不安や悩みを持ったりすることだと思う。かくいう私も2児の親になり、それなりに悩みはあるものだ。とくに思春期を迎えた子どもを持つ親が持つ悩みとして、こんなものがあるのでは?

 ・どの学校に入れたら子どもが伸びるのか?
 ・子どもは学校でついていけるか?
 ・学校はきちんと「いい大学」にいけるように面倒みてくれるのか?

 
 などなど、不安を持ちつつも、それでも学校には過度な期待も抱いているだろう。そこで、あえて批判覚悟で言うが、「学校は優秀な人材を育てるところではない」。その理由を、学校制度の始まりから考えていきたい。

学校制度の始まり

 そもそも学校制度の始まりは?というと、明治5年(1872年)にはじまった。その目的は、日本の歴史でも習ったことはあると思うが、「富国強兵」だ。当時は欧米よりも、産業も遅れており、まともな軍隊もなかった。

 なんとか欧米に追いつかないとというので、まず「まともな労働者」であり、「まともな兵隊」を作り出すため、そこそこ字も読めて、そこそこ知識があって、そこそこ人の指示に従う、「そこそこできる人間」が急いでほしかったのだ。当時、この「そこそこの人間」をつくるために、知識を詰め込み、一斉に指導者の言うことを聞かせ、指示にただひたすら従わせる方法は非常にマッチしていたので、ものすごくうまくいっていた。

現代の学校教育

 それに対して、現代の教育はいったいどうなっているのかというと、これは文科省が言っていることだが、

①知識及び技能
②思考力、判断力、表現力
③学びに向かう力、人間性

 以上のような力を身に付けた人材を育成したいと思っている。また、これに対して私立中高一貫校などのHPなどにはたいがい「グローバル人材の育成」や「時代を先駆ける優秀な人材の育成」のようなことが書かれている。

なにが問題か?

 1872年の学校制度のはじまり以降、現在にいたるまでその制度の中身はほぼ変わっていない。つまり「何をしたいのか?」「どんな人材を育成したいのか?」は当時とは全く変わってしまったにもかかわらず、その目的を達成するための方法は全く変わっていないのだ。
 もう一度いうが、学校制度始まったときの目的は「そこそこの人間をつくること」なのだ。当時はその目的と手段が一致していた。しかし、現在掲げる目的は「グローバルに活躍する超優秀な人材の育成」に変わった。なのに、そのための方法は明治のままだ。
 もう結論はおわかりだろう。「そこそこの人間」をつくる方法で、「超優秀な人材」ができるわけがない

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

ポンコツ先生

現役の私立中高教師。教師→自営塾→教師→ネット広告のベンチャー→教師(今ここ)教師のセカンドキャリアを考える。教育業界とビジネスの世界をボーダーレスにしたい。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。