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スライドで授業する世界史

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112.ナポレオン百日天下

①諸国民戦争 ナポレオンの妻マリ=ルイーズ経由でオーストリアから和平交渉の仲介を打診されたがこれを拒否。第四回対仏大同盟が結成された。 ナポレオンはロシアにリベンジすべく、すぐさま軍編成を行った。そしてロシアに向かう途中でプロイセンが立ちはだかる。 ナポレオンはプロイセンなどすぐに蹴散らせると考えていた。イエナの戦いで圧倒したからだ。 しかし、プロイセン軍が強い。 プロイセンは国民軍を創設するため、シュタインとハルデンベルクによって改革が進みナショナリズムが高まった

111.ナポレオンのロシア遠征

①大陸封鎖令 オーストリアをアウステルリッツの戦いで倒し、プロイセンをイエナの戦いで倒し、残すはイギリスだけとなった。しかし、イギリスには一度敗北している。トラファルガーの戦いだ。だから経済的に攻撃することにした。 1806年、イギリスと大陸との貿易を禁止する大陸封鎖令を出した。背景にはフランス国内の産業資本家たちを保護する目的も存在した。 しかし、ロシアやスペインは大陸封鎖令に従わず、イギリスとの貿易を密貿易という形で継続していた。 ②スペイン独立戦争 スペイン=

110.ナポレオンはなんでこんなに強いのか。

①軍の構成 古代ローマ帝国。 有力者たちが職業軍人を雇用し、戦いを行うスタイル。戦いに行く者たちは無産市民が多い。帝国内で雇用を中心に行なっていた。 中世。 ローマ帝国が滅亡すると次第に、王が兵士を金で雇うようになった。傭兵である。彼らは金で雇われているため、金のために戦っている。つまり、国家とかどうでもいいのだ。戦いが長引けば長引くほど、彼ら傭兵は安定した給金をもらうことができた。戦争が何十年も続く要因の一つはそこにある。30年戦争のヴァレンシュタンなどは典型だ。

109.イエナの戦い。

①アウステルリッツの戦後処理 青がフランス勝利。赤がフランス敗北。 アウステルリッツで対仏大同盟を叩き潰したナポレオン。 これで対仏大同盟は三度崩壊した。 オーストリアとフランスの間にあった数多ある小国たちはフランスにつき、ライン同盟としてナポレオン側につくことになった。 ②イエナの戦い 今まで中立、静観を決め込んでいたプロイセンが動かざるを得なくなった。 このままいけば、ナポレオンの次の標的はプロイセンだ。そしてあっという間に飲み込まれるだろう。 プロイセン

108.トラファルガー海戦とアウステルリッツ

①ナポレオン戦争の名目。 ナポレオン「フランス国内の産業資本家どもを味方につけ、戦費調達を容易にしたい。」 仏資本家「イギリスの安い製品が入ってきて、うちらの商品が売れません。」 ナポレオン「わかった。そのうちイギリス製品の輸入を制限しよう。」 戦争は儲かるのだ。日本では戦争というと、東京大空襲や原爆投下といった資料映像が見せられ悲惨なイメージが定着している。そういった側面もあるが、戦争で使用される弾薬、武器、その他さまざまな軍事物資が国を富ませる側面もある。 戦争

107.ナポレオンの快進撃

①ナポレオン法典 ナポレオンはフランス革命で疲弊した国内経済を早急に回復させるために中央銀行であるフランス銀行を設立し、貨幣の安定を図った。 そしてナポレオン法典を制定し、各地の慣習などをフランスの民法典としてまとめた。この民法典では、所有権の扱いについて、 所有権を認めている。つまり、土地の所有を認めているのだ。 農民たちは土地を分配し、所有権を認めなかったロベスピエールを応援した。だから農民たちは、ナポレオンに対して激怒するはずだった。 しかし、農民たちはナポレ

106.ブリュメールってなんだ。

霧のことです。 ①総裁政府の成立 ロベスピエールが処刑されてから新たにできたのが総裁政府。五人で政治を決めていくスタイル。 政治が混乱すると必ず反乱が起きる。それも左右両方から。 旧ジャコバン派が合流して政府転覆を図るバブーフの反乱(陰謀) フランス王政の復活を目論む王党派。 総裁政府1「困った・・・。誰かあいつらどうにかしてくれる奴はおらんのか?」 総裁政府2「そういえばトゥーロンの街を解放した軍人いたよな?」 総裁政府3「ナポレオンだろ。あいつすごかったよ

105. ナポレオン登場。

①ナポレオンの経歴 ナポレオンの生まれはコルシカ島。ここは長らくジェノバ領だったため、イタリア系住民が多い。ジェノバはヴェネツィアとの競争に苦しくなり、借金を返済するため、コルシカ島をブルボン家に売却した。 コルシカ人はフランスからの独立を訴えたが、フランスは 許すはずもなく抵抗はむなしく失敗に終わった。 正式にフランスに併合されたコルシカ。フランス側につく人々を優遇し始めた。コルシカの人々を裏切りフランスに着いた人々の中にナポレオンの父シャルル=マリ=ボナパルトの姿が

104.ジャコバン派の恐怖政治

①革命には独裁が伴うことが多い。 ようやく革命が達成され、民衆のための政治ができる。対仏大同盟が組まれ、国内の改革が急務だった。しかしロベスピエールは国民公会で法案を足早に出したいのにジロンド派が邪魔ばかりしてくる。 マラー「ロベスピエール。やっぱり一時的な独裁は必要だ。あいつらジロンド派を追い出そう。」 ロベスピエールはジロンド派を追い出し、少人数からなる公安委員会を設置。ここで法案を作り、国民公会に法案を持っていって次々と可決していく。国民公会はほとんどジャコバン派

103. 台頭するロベスピエール

①8月10日事件 続き。 ジャコバン派が国王のテュイルリー宮殿までやってくる。その時に兵士たちが口ずさんでいた歌がラ・マルセイエーズ。フランス国家となった。 ラ・マルセイエーズの歌詞。 連盟兵たちは宮殿内にいたルイ16世とマリーアントワネットを捕縛し、幽閉した。その他自由主義貴族やフイヤン派の多くが処刑された。 勢いをつけたジャコバン派達はプロイセン・オーストリア軍を撃破し、革命の勝利とした。これがヴァルミーの戦い。 ②立法議会 →  国民公会 事件をきっかけに

102.ピルニッツ宣言と立法議会

①ピルニッツ宣言 ヴァレンヌ村での逃亡が失敗した妹の身を案じていたオーストリアのレオポルト2世。妹マリーたちを助けるためにプロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム2世を誘ってフランスの革命貴族達に外交的圧力を加えることにした。 墺普「これ以上フランス国王に何かあれば実力を行使する準備がある。」 フランスの革命家たちはこれをまともに受け取った。 革命家「なんだ、やってやるよ。戦争だ!」 ②91年憲法制定 このタイミングで!!!!!! ラファイエットの念願かなって、フ

101.フランス革命(ヴェルサイユ行進)

①ヴェルサイユ行進 ルイ16世は人権宣言を認めなかった。 ただでさえ苛立っていた民衆。そこへ凶作が苛立ちを加速させた。 民衆「パンを!パンをよこせ!」 暴徒化した民衆は、ヴェルサイユ宮殿に乱入した。止めようとした傭兵たちはたちまち殺された。 民衆「国王陛下万歳!王妃陛下万歳!パリへお戻りください!」 ヴェルサイユ宮殿は首都パリから離れた場所に位置しており、パリの様子はすぐにわかるはずもなかった。ヴェルサイユ宮殿に入り浸っていた国王王妃にパリに戻って、パリの惨状を見

100.フランス革命(〜人権宣言まで)

①旧体制=市民だけ税金払っている苦しい。 フランスは財政に苦しんでいた。 フレンチ=インディアン戦争、アメリカ独立戦争に参戦し、国庫は空になろうとしていた。なんとか打開策を見つけなければならない。 ルイ16世「財政状況はどうなっておる。」 臣下「は、我がフランスの税はそのほとんどを第三身分の市民が支払っており、第二身分の貴族、第一身分の聖職者たちは課税されておりません。」 ルイ16世「ほほう。貴族やキリスト坊主の方が金を持っていそうなものだが。」 臣下「もちろん持

99.革命には思想が必要。

①為政者は言論弾圧を行う。 暴動と革命の違いは何か。それは、思想があるかないか。 暴動は不満からくる。長続きせず、何より後から続く者がいない。 長く続けていくためには思想を繋げていかなければならない。 為政者は、制度が崩れてしまうような危険思想は統制をかけ、時には弾圧する。 2015年。香港にある中国共産党を批判する本を扱っていた本屋の店主が突然姿を消した。8ヶ月後、失踪した店主は中国共産党に拘束されていたことが分かった。 彼は保釈され、中国共産党に顧客リストを渡