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14.衆愚政治は呆れる。

①アテネは堕ちた。

参政権をえた無産市民たち。

役職につけるようになった無産市民たち。しかも将軍職以外は抽選にした。アテネで能力関係なく、権利が合えば誰でも役職が回ってくる。

しかし、将軍職だけはアテネを守るので抽選で素人になられたら困る。だから選挙にした。

公職選挙法などないので、お金を持っている奴が、人々に金をばらまいて懐柔していく。お金のない奴は、理想ばかり喋っていて誰も見向きもしない。

将軍職に毎回当選している人物がいた。それはペリクレスだ。ペリクレスがいればアテネは安全だと言われている。そしてペリクレスがこう言ったのだ。

役職を抽選制にしたのはペリクレスだ。つまりペリクレス以外の役職が全て素人になった。ペリクレスの決定が、アテネ民会の決定になっていった。

民主主義から独裁が生まれた初めての例だ。

これからカエサル、サポレオン、ヒトラー。この独裁者たちは全て民主主義から生まれた。

②ペルシア戦争後のアテネ

ペリクレス「ペルシアに我々は勝った!しかし、ペルシアは滅んだわけではない!また攻めてくる。だから備えなくてはならない。デロス島に要塞を作る。金を集めよ!管理はアテネが行う!」

しかし、ペルシアも疲れ果てており、あまり攻めてこなかった。

ペリクレスは次の選挙のためにアテネの民たちにアピールする必要があった。聞くと、ペルシア戦争で焼けてしまったパルテノン神殿の再建を望んでいるらしい。

ペリクレスはパルテノン神殿の再建を決めた。しかし、金がない。

どうするのか?

ペリクレスはデロス島の管理費を横領した。

これに他のデロス同盟のポリスたちは激怒した。

スパルタ「我々はアテネには従わない!もともとペロポネソス同盟なるものがあったのだ!それペルシア対策は十分!」

③ペロポネソス戦争

ペロポネソス戦争の開始。アテネは籠城作戦を選択した。

壁の中に全てのアテネ市民をいれて、籠城した。堅固な要塞は攻めるのがとても難しく、スパルタらは苦戦した。

しかし、アテネの中はとても不衛生になっており、ウィルスが蔓延した。

市民の3分の1がこの病気で死んだ。

ペリクレスは病気に倒れ、アテネは負けた。

しかし、アテネの敗因は病気だけではない。

アテネの抽選によって選ばれた人々は人気取りのために、こういう。

「アテナは強い!だから負けることなどありえない!負けることがあれば司令官がいけないのだ!負けた司令官を断罪しろ!」

司令官は一回負けたらクビにされて、素人政治家の人気取りのせいで戦争がずーと続ける。

まだある。

スパルタにペルシアの支援が入っていた。ポリス同士が潰し合えばペルシアが一番手柄になるから。

④アテネの敗戦原因まとめ。

①病気。

②クソ政治家。

③ペルシアの軍事援助。

⑤ギリシャのその後

アテネ、ポリスが没落していった。その後、テーベが出てきた。テーベはスパルタをレウクトラの戦いで倒し、ギリシャの覇権を握った。

しかし、テーベに支配されていたマケドニアのフィリッポス2世がレウクトラの戦いを間近で見ていたことで、戦い方を学んだ。

マケドニアに戻ったフィリッポスはテーベに戦いを仕掛け、これに勝利する。テーベはアテネに助けを求めるが、アテナはもう素人の集団。

カイロネイアの戦いでフィリッポス2世に勝利した。

次回はフィリッポス2世の東方遠征が始まる・・・?






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