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23.五賢帝〜軍人皇帝時代

 ①五賢帝の時代

皇帝ネロから何度かの皇帝交代があり、元老院のネルヴァがアウグストゥスに選出された。ネルヴァは世継ぎを息子ではなく、有能な部下を指名した。この慣習が繰り返されたので愚帝が出てこなかったのだ。

ちなみにトラヤヌス皇帝の時に観光地として栄えていたポンペイで大事件が起きた。

火山が噴火してポンペイの街が消滅したのだ。

苦しんでいる人々の形が克明に記録されている。

映画にもなっている。

火砕流でも死ぬ人も、火山ガスで死ぬ人も、苦しかったろうに。

トラヤヌス帝の時に領土が最大になる。それは、ドナウ川を超えてダキアを手に入れたから。

しかし、ダキアには川を渡っていかなければならないので進軍が難しく、異民族に長年手を焼くことになる。軍事費は増すばかり・・・。

トラヤヌス帝の次には、映画「テルマエ・ロマエ」でも登場するハドリアヌス帝が選出され、英断した。

ダキアを放棄したのだ。

領土を放棄することほど難しい判断があるだろうか。ローマ市民たちから反感も買ったことだろう。ハドリアヌスは加えて現在のイングランドとスコットランドの境目付近にハドリアヌスの長城を建設した。

ひたすらに守りを固めた。

ちなみにダキアにいたローマ市民たちの一部はそのまま残り、「自分たちはローマ人だ。」と言い続け、現在ではルーマニアと呼ばれている場所である。

アントニウス=ピウスは平和な時代であった。ゲルマン人の侵入が激しくなるまでは。

ゲルマン人らは徒党を組んでやってきた。マルクス=アウレリウス=アントニヌスはローマでじっとしていられず、絶えず国境付近でゲルマン人と戦った。皇帝は1日の終わりに自分の言動を省みて日記をつけていた。

これが「自省録」だ。

②五賢帝のあと。

マルクス=アウレリウス=アントニヌスの下で懸命に働いていたフェニキア人のセウェルスが皇帝に選出された。セウェルスは自分の子供を先代皇帝のマルクス=アウレリウス=アントニヌスに養子に出していた。

養子になった子供は親の名前をもらう慣習があり、子供の名前はマルクス=アウレリウス=アントニヌスになり、後に皇帝なった。

紛らわしいので、いつも着用していた上着をカラカラといったのであだ名がカラカラとなり、カラカラ帝と呼ばれている。

カラカラ「私はフェニキア人で属州出身だ!もう属州やローマなど関係ない。全ての人々にローマ市民権を与える!」

これが悲劇をもたらす。

③軍人皇帝時代

ローマ市民権を得たということは選挙に行ける。しかし、投票所はローマにある。属州民はわざわざローマにまで足を運んで投票することはしなかった。

現代人は家から三分の投票所でさえいかないのに。

だから属州がそれぞれに投票して地域の有力者を皇帝に選出した。こうして皇帝が各所に誕生する異常事態となった。これを軍人皇帝時代という。

巨大な領土を都市国家のシステムで統治することなど土台無理な話だったのだ。単位が小さな国々では選挙がまかり通るし、民主的だ。

しかし、巨大な国々では選挙などしていられないので皇帝の支配を人々に強制的に従わせる。それも皆納得して。

方法は宗教だ。皇帝が神になればいい。

ペルシア帝国などは神の代理人として人々を治めていた。ローマはペルシアを参考に、統治方法を大幅に見直したのだ。



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