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2.古代エジプトのはなし。

①定住の始まり&エジプトの統一。

 今から約7000年前ー。

 ナイル川の氾濫がエチオピアからの栄養豊富な土を運んできた。ハム系の人々は川の近くで農耕をはじめ、定住した。集落の名はノモス(都市国家)といった。不作の集落は食料を求め、周辺の集落を襲った。繰り返していくうちに、やがておおきな集落が出現した。

ナイル川の上流にあるのが上エジプト。

ナイル川の下流にあるのが下エジプト。

上エジプトのメネス王が下エジプトを征服し、メンフィスに都を開いた。

紀元前約3000年から紀元前30年のクレオパトラまでずーっと王朝が続いていくこととなる。とても長い王朝だったために大きく3つの区分に分ける。

古王国 = ピラミッド

中王国 = ヒクソス侵入

新王国 = アメンホテプ4世

これくらいの認識で十分ではないか。笑

②古王国の時代

  第4王朝のクフ王からピラミッド建造が盛んになる。

ギザで、巨大なピラミッドが存在する。息子のカウラー王、孫のメンカウラー王も続けてピラミッドを建造した。カウラー王の時にスフィンクスも建造された。スフィンクスのなぞなぞの話は有名ですよね。ggks

ピラミッドについてはまだまだ調査中で新しい結果が次々と出てきているため、なんとも言えない。最近は、

ピラミッドが王の墓ではない」という説も議論がある。王の墓であるなら大小あるが、ピラミッドにミイラがなければなない。しかし、王家の谷にミイラが集中している。ピラミッドが王の墓というのもなんだか信じがたい。

ピラミッド建造に関わった人間は奴隷で強制労働であった」という説は明確に否定されている。石切り場の作業現場から給与明細が出てきたのだ。そこにはビールやパンが支給されていることが書かれており、有給まで取得しているのだ。また労働者は、洪水で職を失った人々に対する失業対策であったとも言える。エジプトにとって洪水は死活問題である。

 人々は星座をみて季節を読んでいたのです。

 太陽とシリウス座が同時に昇ってくる時期に洪水がくる。

だから太陽やシリウスは神として崇められていたのである。そして太陽の神の化身が王=ファラオとなった。

都メンフィスの力が次第に弱まり、テーベが力を持つようになってくる。この時代を中王国と言う。

③中王国の時代

各地の地域ごとに神々を信仰する多神教であった。テーベでは、独自の豊穣の神アモン(アメン)を信仰していた。それと太陽神ラーが混ざり、アモン=ラー信仰が出来上がった。テーベにはピラミッドはなく、カルナック神殿などが存在する。

都はナイル川の東側に位置し、西側が死者が眠る場所とされた。死者はパピルス(ペーパーの語源)で書かれた死者の書を持ち、死後の旅にでる。兄弟によって殺され、バラバラになった遺体を妻がつなぎ合わせて復活したとされるオシリス神が待っている。

TEDに冥界の旅がアニメになっていた。わかりやすい!笑

死者の書の書かれていた文字の解読はロゼッタ石の発見があった。発見者はナポレオン=ボナパルトだった。

エジプト遠征の際に、学者達を引き連れ、ロゼッタ村で石を発掘したのだった。

ロゼッタ石には一番上に書かれている神聖文字(ヒエログリフ)、真ん中の民衆文字(デモティック)、そして一番下にはギリシア文字が書かれていた。解読はすぐに終わりそうだったが、句読点が全くないヒエログリフに苦戦を強いられていた。

その時、シャンポリオンという一人の青年がある発見をした。ヒエログリフには大事だと思われる文字を丸で囲んでいる。これは王の名前だとすれば解読できるのではないか!?

この発見で、エジプト文明を深く解明する事ができた。ありがとうシャンポリオン!

中王国は、突如異民族ヒクソスの侵入によって勢力は一気に衰えてしまったのである。

④新王国の時代

ヒクソスを追放するためにエジプト人たちは立ち上がり、戦いを挑んだ。結果、ヒクソスの追放に成功した。加えて、エジプト王国の領土を大きく広げることとなった。シリアを手に入れたのだ!

領土が広くなるとそれだけ統治も難しくなる。それは異民族の統治の問題である。もはやエジプトは「帝国」の様相を呈しており、異民族の反乱が続いてしまっていた。

戦いのたびに、王は勝利を祈るためにテーベにある神殿に赴いた。そして戦いに勝利すると、土地を神殿に寄進した。神官たちは絶大な財力を背景に権力を拡大していった。王にも口出すようになった。神官の影響力を削ごうとしたファラオがアメンホテプ4世である。(アメン神に愛されたものという意味)

多神教のアモン=ラーの信仰を否定し、一神教アトンを信仰するようにした。

「神のお姿はアモン=ラーのようではなく、ましてや幾人もなどいない!」

アメンホテプ4世は神官たちから遠ざかるために都をテーベからテル=エル=アマルナに遷都した。新しい都では、見たままを書くアマルナ美術が流行した。横向きのファラオの絵 → 立体的なアメンホテプ4世みたいな。

名前をアメンホテプからイクナートンに改めた。

これに反発した人々がいる。そう、神官達だ。

イクナートンは30代で謎の死を遂げた・・・。

跡を継いだのは若造のファラオのツタンカーメン。神官達はたくみにツタンカーメン政権で力を取り戻し、都をテーベに戻し、アマルナ美術は破壊され、一神教もなかったこととされ、イクナートンの政治も人々から忘れ去られてしまい、歴史から消えてしまった・・・。しかし、人の思想は受け継がれる。

ある民族とは、ユダヤ人だ。ユダヤ人はこういった。

一神教の思想のユダヤ教。そのユダヤ人はエジプトから脱出してきたのだ。そしてエジプトには歴史から消されたはずのイクナートンの思想が残っていたのではないか。

ユダヤ教はやがてキリスト教を生み出し、イスラム教の源流ともなった。全てはヤハウェを信仰する宗教なのだ。

イクナートンの思想は世界を動かしている。

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