26.キリスト教の成立-後編-
①裏切られるイエス
後編。
イエスは12使徒と逃げていたが、イェルサレムにある一件の家に入って、弟子たちと食べ物を食べた。最後の晩餐。赤ワインとパンが置いてあった。イエスは言う。
イエス「パンを弟子たちに分け与え、これはわたしの肉だ。ワインを注ぎ、これは私の血だ。明日私は処刑されるだろう。」
実は使徒の中に裏切り者がいた。ユダだ。肩肘ついている人。
金に目がくらみ、買収されてユダヤ教徒とつながっていた。そしてイエスを売ったのだ。
イエスは捕まった。
磔の刑は、当時のローマの最高刑。国会反逆罪に相当。ローマの役人は揉め事を避けようとイエスをユダヤ教徒に言われるがまま、処刑した。
イエスは天に向かって言った。
イエス「神よ、なぜ私をお救いにならないのですか。」
金曜日だった。
遺体は降ろされて、家族のもとへ戻った。母のマリアはこの子をどうしようかと思った。明日は土曜日、安息日だから葬式ができない。金持ちのユダヤ人が言った。
金持ちユダヤ人「こっちの墓使っていいよ。」
墓の中にイエスの遺体を入れて、鍵を閉めた。
安息日を終えて、日曜日。
みんなで墓に行って葬式をしようとした。鍵が開いてる。
母「あの子の遺体がないわ・・・。」
弟子たちが戻ってきて、マリアに言う。
弟子「処刑の後、イエスは実は生きてて会話をした。」
日曜日に復活して、天に昇った。イエスは神だ。
イェルサレムに殉教したので聖地となった。
イエスが処刑された金曜日を不吉な日となっている。そして12の弟子とイエスで十三人。
13日の金曜日。それとゴルゴタの丘で処刑されたことを不吉とした名前。ゴルゴ13。
こうして生まれた宗教がキリスト教。
イエスの墓はイェルサレムにあるので聖地となった。
聖墳墓教会という。
②教団を受け継いだ弟子たち
この教団を受け継いだのは、ペテロ。一番弟子。元漁師だった。
イエス「ペテロ、おまえは岩である。お前の上にいつか教会を建てよう。」
そう言われたペテロだった。これがのちに現実となる。ペテロは弟子たちと大論争を行い、訴えられ、ローマに呼ばれて死ぬ。
もう一人。パウロ。パウロは最初、パリサイ派でキリスト教徒を迫害する側だった。しかしある時、雷をうけたようなショックを受けて目をやられた。その時、声が聞こえた。
「なぜ同胞を迫害するのか。」
イエスの声を聞いてキリスト教に改宗。そして当時の世界共通語だったギリシア語コイネーをしゃべれたので、布教が爆発的に効率が上がった。
キリスト教が一気に民衆に広がった。「イエスを信じよ!」
思想をまとめたのもパウロ。
ユダヤ教の反論にパウロは反論できた。
ユダヤ教徒「おかしいじゃないか。神であればはじめから不死身のはずなのに、なぜ一回死んだのだって。」
パウロ「十字架には意味がある。人間の罪を一身に背負って死んだのだ。」
原罪とは食べてはならない禁断の果実を食べてしまったこと。
③二人を襲った大事件。
ペテロ・パウロの二人がローマにやってきた時に大事件が起きた。
ローマの大火だ。
ローマは消火活動にて手こずった。そして噂が流れた。
市民「ネロ皇帝はわざと消火しなかった。ローマ市内にスラム街があって、新しく宮殿を作る計画の邪魔だったのでわざと火を放ったのだ。」
ネロは疑いの目を新興宗教へと向けた。
ネロ「真犯人はキリスト教徒だ!」
パウロは首を切られ、ペテロは見せしめのために処刑される。
ネロ「どんな死に方がいい?」
ペテロ「キリストと同じ死に方がいい。」
ネロ「それでは面白くない。逆さ磔にしてくれる!」
バチカンで処刑された。ペテロが死んだここをキリスト教第二の聖地となった。
④地下に潜るキリスト教
ローマ皇帝は失策をするたびにキリスト教のせいにした。だからキリスト教とは表にでれず、地下に潜った。網の目のように張り巡らされた地下墓地で祈りを捧げた。
時は流れて、イエスが死んで約100年。我々はイエスの偉業を忘れないように書物にしようとなった。
新約聖書だ。
⑤まとめ
ディオクレティアヌス時、一番迫害が強かった。皇帝崇拝の強制するディオクレティアヌスにキリスト教は邪魔でしょうがないからだ。
殉教者がたくさん出た。しかし、殉教者は聖人として祀られ、殺せば殺すほどキリスト教徒が増えていく。
歯止めをかけるためにコンスタンティヌスがキリストを認めた。これをミラノ勅令という。
キリスト教は穴から出てきて、式典ができるようになった。ペテロ様の墓を見つけに行こうとなった。この上に教会を建てた。
これがサン・ピエトロ大聖堂。イエスの言葉が本当になった。
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