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111.ナポレオンのロシア遠征

①大陸封鎖令

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オーストリアをアウステルリッツの戦いで倒し、プロイセンをイエナの戦いで倒し、残すはイギリスだけとなった。しかし、イギリスには一度敗北している。トラファルガーの戦いだ。だから経済的に攻撃することにした。

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1806年、イギリスと大陸との貿易を禁止する大陸封鎖令を出した。背景にはフランス国内の産業資本家たちを保護する目的も存在した。

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しかし、ロシアやスペインは大陸封鎖令に従わず、イギリスとの貿易を密貿易という形で継続していた。

②スペイン独立戦争

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スペイン=ブルボン家では後継者争いが発生中だった。ここにナポレオンがやってくる。ナポレオン戦争の目的は「封建的制度から国民を解放すること」だった。スペインを征服し、解放することはナポレオンにとって是だったわけだ。

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ナポレオン軍はスペインに入り、スペイン=ブルボン家を廃位させるため軍を派遣した。画家のゴヤが描いた「マドリード、1808年5月3日」を見るととても解放者には見えない。まあ、盛っているわけだが。そしてナポレオンの兄のジョセフがスペイン王に即位した。

スペイン人はナポレオンの支配に抵抗を続ける。彼らは正規兵ではなく、農民などから構成された。彼らの戦い方は軍同士がぶつかるというものではなく、撹乱しながら戦うもので「ゲリラ」の語源となった。

③ロシア遠征


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残るはロシアだ。早速ナポレオンはロシア遠征を開始した。(1812)

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5月。ロシア方面に攻め込むナポレオン軍。

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破竹の勢いでロシア軍を後退させていく。

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このままいけばロシアはナポレオンの手に落ちる。が、少し時間がかかった。食糧補給のため、近くの村へ向かうナポレオン。

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するとことごとく、村々が焼かれ、食糧は残っていなかった。

ナポレオン「このままモスクワにいけば食料など補給できるわ。」

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どんどん進むナポレオン。

9月。モスクワ占領。しかし、モスクワはもぬけの殻。全てロシアの作戦だったのだ。これを焦土作戦という。

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10月。本格的な冬が到来する前に退却しなければならない。ナポレオン軍は夏装備だったからだ。フランスへ戻ろうとしたところに隠れていたロシア軍が本気で攻撃を仕掛けてきた。

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必死の思いで退却したナポレオン。70万いた国民軍はわずか2万にまで減っていた。ロシア遠征をきっかけにナポレオンは劣勢になったいく。


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