107.ナポレオンの快進撃
①ナポレオン法典
ナポレオンはフランス革命で疲弊した国内経済を早急に回復させるために中央銀行であるフランス銀行を設立し、貨幣の安定を図った。
そしてナポレオン法典を制定し、各地の慣習などをフランスの民法典としてまとめた。この民法典では、所有権の扱いについて、
所有権を認めている。つまり、土地の所有を認めているのだ。
農民たちは土地を分配し、所有権を認めなかったロベスピエールを応援した。だから農民たちは、ナポレオンに対して激怒するはずだった。
しかし、農民たちはナポレオンを熱烈に支持したのだ。
臣下「ナポレオン様、私は正直暴動が起こると踏んでおりました。しかし、民たちは喜んでおります。これは何故でしょうか。ラファイエットの時にはブーイングでしたのに。」
ナポレオン「よく国内を見渡してみろ。農民たちを。」
臣下「!!」
ナポレオン「そうだ、彼らはもう土地を持っているだろ。手放したくないはずだ。」
これを農民の保守化という。
ナポレオンは言う。
余の真の栄誉は 40回に及ぶ戦勝ではなくこの民法典である。
②ナポレオン戦争(第二次イタリア遠征)
ナポレオン「総裁政府のせいで、第二次対仏大同盟は増長してしまった。また各国を叩くぞ。」
第二次イタリア遠征を開始するナポレオン。
その時のアルプス越えのナポレオンを書いたのが、この絵画。ダヴィットと言うお抱えの絵師に書かせたもので盛りに盛っているわけです。本当は足の短いラバに乗っているのに、こんなサラブレッドを描くし、きっとナポレオン自身もこんなに美形ではないはず。
絵画の右下に目をやると文字が書いてある。
ボナパルト。
ハンニバル。
カルロスマグヌス。カール大帝のラテン語だ。
三人がアルプスを超えたと書いてある。
イタリアを超え、オーストリアを撃破した。
イタリアには教皇領がある。
教皇はカトリックの頂点に立つお方。革命中にロベスピエールが革命歴だの、理性の崇拝など行い、カトリックの顔に泥を塗ったことを謝罪しなければと、教皇と関係を修復した。コンコルダートという。
③ナポレオン戦争(アミアンの和約)
第二次対仏大同盟は半壊。残るはイギリス。しかし、ナポレオンは先述した国際整備に忙しく、イギリスも兵を疲弊させており、停戦することになった。これをアミアンの和約という。
これでまた対仏大同盟は消滅した。
④ナポレオンが皇帝になるか。
統領政府の第一統領だったナポレオンは任期を大幅に延長し、終身統領となった。
そしてナポレオンは野望を叶える。
ナポレオン「私はフランスの皇帝となる。」
この間とんがった部分が燃えたノートルダム大聖堂で戴冠式を行うことにした。
コルシカにいる母に手紙を送って、戴冠式に来るようにいった。
しかし、母はこなかった。
戴冠式当日の絵。出席しなかった母が描かれている。そしてナポレオンが戴冠を行っており、教皇は後ろで見ているという異様な景色が描かれた。
ナポレオン「これで、教皇の保護は我がフランスが行い、これから王政に抑圧された人々を解放するために、私は立ち上がる。」
ナポレオンは皇帝に即位し、ナポレオン1世となった。
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