見出し画像

自分は何者になりたいのか?ネムルバカ

こんにちは、花山です。

 本日は僕のおすすめ図書として、大好きな石黒正数先生の「ネムルバカ」という短編漫画をご紹介します。


 あらすじとしては、大学の女子寮で同室の鯨井ルカ(先輩)と、入巣柚実(後輩)のコンビが「大学生」というぬるま湯で、でも切実な、不思議な時間を過ごす日常を描いた物語です。ちなみにこの鯨井ルカ、石黒先生の他の短編「響子と父さん」にもちょっと出演します。このスピンオフ感というか繋がっている感が、石黒先生の漫画の魅力の一つでもありますよね。

※ここから先はネタバレ注意です







 「自分は何者になりたいのか」

 誰もが持つ抽象的だが現実を突き詰めると逃れられないこの問いを、半分漫画で半分リアルにそしてちょっとポップに、ネムルバカは問いかけてきます。

 この漫画を始めて読んだ高校生の時は、「大学生フワフワダラダラして楽しそうだな~」と、表面だけを読み取った感想でした。もちろん高校生の時なんか、自分のことを考える時間など、あまりとらなかったし、自分の哲学というものはかなりフワフワとしたものだったので、そうなってしまうのも当然なのですが。

 大学生である今、読んでみて、やっとこの漫画の本質的な問いに気付くことができました。それが先ほど述べた「自分は何者になりたいのか」です。

 この作品では、「駄サイクル」という先輩・鯨井ルカの造語が印象に残ります。駄サイクルとは自称ア~チストたちが集まって、輪の中だけで「見る」「褒める」の需要と供給を成立させてしまう、ぐるぐる回るだけで一歩も前進しない駄目なサイクルのことだと鯨井ルカはいいます。

 このサイクルに身を置くと、馴れ合いの中で自分に才能があると錯覚してしまう。

 この錯覚、誰もが味わったことがあるのではないでしょうか。僕も心当たりがありグサッときました。駄サイクルはどこにでもあるのです。

 自身がインディーズのバンドマンである鯨井ルカもその一員であることを自覚しています。ブレイクスルーをはかる気持ちはあるものの、しかしその居心地の良さと不安から、とどまっているのです。

この状況が今の僕に重なり、共感と同時に不安を与えます。このままでいいのかと。


 そして次の話、後輩・入巣柚実とその同級生男子二人と、先輩・鯨井ルカとで、ドライブ途中にたどり着いた海辺で4人である話題で話をする場面。

 「私、何をやりたいんだろう」と入巣柚実は疑問提議します。「何者になりたいのか」という全編を通したキーワードがここで現れます。

 入巣柚実を含む後輩3人は何の目的もなく生きている。鯨井ルカは音楽で食べていく目標がある。

 「何の目的もなくただ毎日生きてんのかよ」という先輩に対して、「この年になって目標がぶれてない先輩は運がいい」と返す後輩。鯨井ルカは後輩たちが宇宙人に見える。後輩たちもまた鯨井ルカが宇宙人のように見える。お互いがお互いの考えの意味が分からないのだ。

 「目標に達するまでのカベの厚さも、カベを掘りきれるかどうかも、なんとなく自分で分かってて努力するのシンドイじゃないですか」後輩の男はいう。自分のレベルが分かってきてどこまで通用するか、どこで限界がくるか予測できてしまうのだ。「私は、何もしないでゴタク並べるヤツが一番嫌いなんだ」と先輩はこの男を殴り飛ばす。入巣柚実が慌てて先輩を止め、帰って行く。

 僕も同じ気持ちでした。この男の台詞に強い拒否反応を起こしました。しかし、この男の言っていることも、もっともなのです。僕も、先輩もたぶんこれを奥底で正しいと思ってる部分があるのです。今やっていることに何の意味があるのか、無駄なのではないか。

 その後この後輩はこう言います。「何かしたいけど何ができるか分からないカテゴリに8割方の人は属している」

 僕はこの8割の人間です。何ができるか分からないです。ある程度のぼんやりとした目標はあるものの、鯨井ルカほどの明確さを持っておらず。このままぼんやりとしたまま終わっていくのだろうか。ここで僕はとてつもない焦りを感じました。

 最後の話で、先輩はあれよあれよのうちにプロになります。瞬く間に話題のミュージシャン人になっていきます。しかしプロになった先輩は、売れるために自分のやりたい音楽をさせてもらえません。先輩はセルフテロを仕掛けます。プロデューサーたちの命令を無視し、自分の曲「ネムルバカ」を披露。やっとこぎ着けた全国ツアーのライブをぶちこわしにします。そしてそのまま逃走。

 せっかくプロになれたのに何でこんな意味の無いセルフテロをしたんだ。

 僕は先輩がプロになってから、この漫画のテーマが「私は何者になりたいか」から少しずれて、いや、この問い自体をもっと突き詰めた問いとして、「私は何をやりたいか」というテーマに変化したと感じました。

 何者かになってみた後、違和感を感じたら、自分のやりたいことはなんだという本質的な問いに形を変えていく。この問いが、「何者になりたいか」という質問に逆戻りさせてしまうときもあるし、もしかしたら答えが出るかもしれない。先輩はそれに気付いたのだろう。

 結論、とにかくやってみるしかないということ。

 やってみて、戻って、やってみて、もどって。一見何も生み出さない無駄なサイクルに見えるかもしれない。繰り返し作業である。

 これは社会を巻き込んだ自分本意のサイクルだ。このサイクルは馴れ合いを生まない。無駄を生まない。駄サイクルとは違う。サイクルの中の対話が自分VS自分なので、妥協したら自分が満足できない。やったことすべてが積み重なり、着実に「何をやりたいか」の答えに近づいていく。

 このサイクルの上で起こるセルフテロは最高にかっこいいし、このサイクルは確実に意味を持つと僕は信じています。

 僕に今できることは、まず何者かになってみることだ。一つ頂点を目指す気持ちでやっていく。そのためにもいろんなことに手をつけて、がむしゃらにやってみようと思いました。

この記事が参加している募集

推薦図書

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?