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記号論理学の効用

哲学や倫理学を専攻した人の中には、必修科目として記号論理学を勉強した人もいるかと思います。私もその一人です。

しかし、記号論理学は、哲学や論理学の研究以外に、何の役に立つのか? そう疑問に思う人もいるかもしれません。

そこで今回は、記号論理学を学んだことが国語教育で役に立った経験について書いてみたいと思います。まずは、以下の文章を読んでみましょう。

(1)サスティナブルであることを考えるとき、これは多くのことを示唆してくれる。サスティナブルなものは常に動いている。その動きは「流れ」、もしくは環境との大循環の輪の中にある。サスティナブルは流れながらも環境との間に一定の動的平衡状態を保っている。
 一輪車に乗ってバランスを保つときのように、むしろ小刻みに動いているからこそ、平衡を維持できるのだ。サスティナブルは、動きながら常に分解と再生を繰り返し、自分を作り換えている。それゆえに環境の変化に適応でき、また自分の傷を癒やすことができる。
 このように考えると、サスティナブルであることとは、何かを物質的・制度的に保存したり、死守したりすることではないのがおのずと知れる。(福岡伸一『動的平衡』)

これは、生物学者である福岡伸一さんの『動的平衡』という本の一節で、高校生向けの国語総合の教科書に掲載された文章の一部です。太字になっている「おのずと知れる」という語句に注目してください。

この語句に対して、指導書は次のような発問と解答例を載せています。

(2)(発問)「おのずと知れる」とあるが、それはなぜか。
(3)(解答例)何かを物質的・制度的に保存したり、死守したりすれば、環境の変化などに適応できず、永続性を維持できなくなってしまうことが容易に理解できるから。

(3)の解答例には、「~すれば」という仮定表現が含まれていますが、なぜこのような解答例になるのでしょうか?

まず、(1)の「おのずと知れる」は、「~が」に当たる名詞を必須補語として取るので、何がそれに当たるかということから考えてみましょう。直前にある

(4)サスティナブルであることとは、何かを物質的・制度的に保存したり、死守したりすることではない(ということ)

がそれに当たるのは言うまでもないでしょう。また、「おのずと」は「自然とそのようになるさま」を言い、「知れる」は「容易に知ることができる」という意味ですから、「おのずと知れる」というのは、

(5)[サスティナブルであることとは、何かを物質的・制度的に保存したり、死守したりすることではない]ということは、容易に知ることができる。

という意味になることが分かります。

ここで、(1)の太字部分を含む一文の冒頭にある「このように考えると」に注目します。

(5)このように考えると、サスティナブルであることとは、何かを物質的・制度的に保存したり、死守したりすることではないのがおのずと知れる。

文末の「おのずと知れる」という認識をあらわす表現から分かるように、「このように考えると」の「~と」は、「ある事柄の生起や認識のきっかけ」をあらわす接続助詞です。つまり、「このように考え」たことが、(4)のように言えるきっかけだということになります。

次に、「このように」が指している内容とはどのようなものか考えてみましょう。それは直前の、

(6)一輪車に乗ってバランスを保つときのように、むしろ小刻みに動いているからこそ、平衡を維持できるのだ。サスティナブルは、動きながら常に分解と再生を繰り返し、自分を作り換えている。それゆえに環境の変化に適応でき、また自分の傷を癒やすことができる。

でしょう。(6)の一番目の文には、「~が」に当たる名詞が欠けていますが、

(7)(……)サスティナブルなものは常に動いている。その動きは「流れ」、もしくは環境との大循環の輪の中にある。サスティナブルは流れながらも環境との間に一定の動的平衡状態を保っている。
 一輪車に乗ってバランスを保つときのように、むしろ小刻みに動いているからこそ、平衡を維持できるのだ。

という先行文脈から考えて、「サスティナブルなもの」あるいは「サスティナブル」という名詞句がそれに当たることが分かるでしょう。それを補ったうえで、重複している内容を削ると、

(8)サスティナブルなものは、[常に分解と再生を繰り返し、自分を作り換えているから、]環境の変化に適応でき、平衡を維持できる。

といった内容になります。すると、(8)のように考えたことがきっかけとなって、

(4)[サスティナブルであることとは、何かを物質的・制度的に保存したり、死守したりすることではない]ということは、容易に知ることができる。

と筆者は考えていることになります。

しかしながら、ここで問題となるのが、(8)は直接的には(4)の[ ]内の内容を含んでいないということです。そのため、(8)から(4)の内容が読み取れる根拠を、さらに説明しなければなりません。では、どのように説明したらよいでしょうか?

じつはここで、記号論理学の知識が生きてくるのです。(4)の[ ]内の内容が「~ではない」という否定で終わっていることに注目しましょう。

#(4)サスティナブルであることとは、何かを物質的・制度的に保存したり、死守したりすることではない

「Pではない」という否定文は、記号論理学では(¬P)という記号であらわされます。記号論理学で論理式の証明を行ったことのある人なら分かると思いますが、結論が(¬P)という否定命題になっている場合、推論過程のどこかで、Pを仮定し、そこから矛盾を導き出すことによって、否定記号(¬)を導入する必要があります。

(4)に即して言えば、

(9)P=サスティナブルであることとは、何かを物質的・制度的に保存したり、死守したりすることである。

を仮定したうえで、そこから矛盾を導き出し、「ゆえに、Pではない」と言う必要があるのです。

では、(9)を仮定した場合に、そこからどのような矛盾が導き出されるのでしょうか?

「何かを物質的に保存する」ことは、生命体について言えば、「その構成要素である分子を保存する」といった意味になるはずです。しかし、「構成要素である分子を保存する」ことは、(8)の[ ]の部分の内容が成立しないということですから、次の(10)のような状態になってしまいます。

(10)構成要素である分子の分解と再生ができないため、環境の変化に適応できなくなり、平衡を維持できなくなる

そしてこれは、「サスティナブル(なもの)」の定義「持続可能であること」と明らかに矛盾しています。だからこそ、(9)の否定である(3)が結論として出てくるわけです。

それゆえ、以上のような推論過程を説明に含んだ、

(3)何かを物質的・制度的に保存したり、死守したりすれば、環境の変化などに適応できず、永続性を維持できなくなってしまうことが容易に理解できるから。

が模範解答となっているのでしょう。

以上のように、記号論理学の知識は、国語教育においても地味に役に立ちます。どちらかと言えば、未知の結論を導き出す際よりも、既知の結論にどのようにして到ったか説明する際に、役に立つことが多いように思います。

私は論理学を専門に研究していたわけではないので、ここで書いたようなこと以外にも、さまざまな効用があるとは思いますが、それについては論理学の専門家に委ねたいと思います。



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