小説の登場人物の心理をどのように理解するのか?(2)

前回は、会話文や地の文で用いられる比喩から、登場人物の心理を推測する方法について考えてみました。

https://note.com/ho_anthropos/n/n0c3a39c46d47

今回はそれに対して、文章中で用いられる語の辞書的意味から、文章中に明示されない、登場人物の心理を推測するやり方について考えていきます。

1. 文章中で用いられる心理的表現

まずは以下の(1)の文章を読んでみましょう。これは葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」の一節です。

(1)「チェッ! やり切れねえなあ、かかあはまた腹を膨らかしやがったし、……。」彼はウヨウヨしてる子供のことや、またこの寒さを目がけて産まれる子供のことや、めちゃくちゃに産むかかあのことを考える、まったくがっかりしてしまった。(葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」)

これは、主人公である「彼」=松戸与三が、コンクリート製造の現場から長屋に帰る途中の場面です。ここで「がっかりしてしまった」という表現に注目しましょう。

直前の部分の末尾にある「と」は「事柄の生起や認識のきっかけを表す」接続助詞ですから、与三が「がっかりしてしまった」のは、

(2)今いる多数の子供たちや、新しく産まれる子供、自分の妻の生活のことを考えたこと。

がきっかけとなっているのは疑問の余地がないでしょう。しかし、この「がっかりしてしまった」という語句を、(2)の内容を補って、

(3)今いる多数の子供たちや、新しく産まれる子供、奥さんの生活のことを考えたことがきっかけとなって、与三はがっかりしてしまった。

とだけ解釈するのは、十分とは言えません。「子供たちや奥さんの生活のことを考えた」ことが、なぜ「がっかりする」ことにつながるのか? そこが説明されていないからです。

2. 文章中に明示されない登場人物の心理

ここで手がかりとなるのが、「がっかり」という副詞の辞書的定義です。「がっかり」を辞書で調べると、

(4)失望落胆し、元気をなくすさま。(『明鏡国語辞典 第二版』)

と説明されています。この定義の中にある「失望」と「落胆」を、さらに調べてみると、

(5)「失望」:期待が外れてがっかりすること。「落胆」:期待どおりにならなくて、がっかりすること。(『明鏡』)

と説明されているので、この2語はいずれも「期待が外れる」という契機を、その意味の内に含んでいることが分かるでしょう。すると、(4)の「がっかり」の定義にも、同じように、「期待が外れる」という契機が含まれているはずです。

だとすれば、「与三はがっかりしてしまった」という文は、以下のような3つの段階から成る、複合的な出来事を表現していると考えられます。

(6)①与三は[ X ]を期待していた。②与三は[ Y ]によって[ X ]への期待が外れた。③与三は元気をなくした。

(6)の空所[ Y ]に当てはまるのが、上述の(2)であることは言うまでもないでしょう。では、[ X ]にはどのような内容が当てはまるのでしょうか?「子供たちや奥さんのことを考えた」ことによって外れてしまった期待とは、一体どのようなことなのでしょうか?

ここで手がかりになるのが、(1)の文章の直後に置かれている、与三の以下のような台詞です。

(7)「一円九十銭の日当の中から、日に、五十銭の米を二升食われて、九十銭で着たり、住んだり、べらぼうめ! どうして飲めるんだい!

子沢山の日雇い労働者である与三の生活は苦しく、衣食住の費用だけで一日の稼ぎのほとんどを持って行かれてしまうことが語られています。注目すべきは最後の「どうして飲めるんだい!」という反語表現です。「生活苦で酒も飲むことができない」ということですが、これは(1)の文章の何行か前に出てくる、次の一文に対応する表現です。

(8)そして[与三は]弁当箱を首に巻きつけて、一杯飲んで食うことを専門に考えながら、彼の長屋へ帰っていった。([  ]内は投稿者による補足。)

仕事場で終業時間を迎えた与三は、長屋に帰って「酒を飲んで飯を食うことだけを考えていた」ことが分かります。しかし、その後、長屋へ帰る途上で、与三は家族のことを思い出し、「生活苦を考えたら、とても酒など飲んでいられない」と思い至るのです。

このように考えてくれば、上述した(6)の空所[ X ]に当てはまる事項とは、「一杯酒を飲むこと」であると分かるでしょう。すると、「がっかりしてしまった」という表現から推測される与三の心理とは、以下のようなものになります。

(9)仕事が終わってから、与三は一杯酒を飲むことを期待していたが、家族のことを思い出し、生活苦からとても酒など飲んでいられないということに思い至り、元気をなくしてしまった。

以上、文章中で用いられている表現の辞書的意味を媒介することによって、文章中には明示されない、登場人物の心理を推測できる場合があることを述べてきました。登場人物の心理を推測するやり方には、他にもまだ様々なものがあるでしょうが、それについてはまた別の機会に書いてみたいと思います。


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