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古文が苦手な人のための、古文教材研究法

国語科の教員の中には、私のように、国文学を専攻しておらず、古文の教材研究に苦手意識をもっている方も(数は少ないと思いますが)いらっしゃると思います。

そういう方のために、今回は、私が古文教材を研究したり、古文を教材とした授業をするときに使っている方法を、『蜻蛉日記』「なげきつつひとり寝る夜」の冒頭部分を、実際にその方法で解釈することによって紹介したいと思います。

この方法が古文教材を研究する良い方法であるなどとはまったく思いませんが、古文を専門としない教員が、なんとか古文の授業を成立させる方法としてはそれなりに利用できる方法ではないかと思います。

1、引用節や名詞修飾節、副詞節を括弧でくくる。

以下は『蜻蛉日記』「なげきつつひとり寝る夜」の冒頭部分です。

(1)九月ばかりになりて、出でにたるほどに、箱のあるを手まさぐりに開けて見れば、人のもとにやらむとしける文あり。あさましさに、見てけりとだに知られむと思ひて、書きつく。

まずは、(1)の文中で、引用節名詞修飾節となっている部分を( )でくくります。(この文にはありませんが、副詞節を含んでいる文の場合は、副詞節も括弧でくくります。)

引用節とは、助詞「と」や「とて」の左側(縦書きの場合は上側)にある部分と、とりあえずは考えておきましょう。(1)の文中では、「人のもとにやらむ」と「見てけり」「見てけりとだに知られむ」がそれに当たります。(したがって、「見てけり」は二重の括弧でくくります。)

(2)九月ばかりになりて、出でにたるほどに、箱のあるを手まさぐりに開けて見れば、( 人のもとにやらむ )としける文あり。あさましさに、 (( 見てけり )とだに知られむ )と思ひて、書きつく。

次に、名詞修飾節を( )でくくります。名詞修飾節とは、一つの文が文中の名詞を修飾している部分のことで、(1)の文中では、「出でにたる」(「ほど」を修飾)と、「箱のある」(省略された「の」を修飾すると考える。厳密には準体句)、「人のもとにやらむとしける」(「文」を修飾)がそれに当たります。(したがって、「人のもとにやらむ」は二重の括弧でくくります。)

(3)九月ばかりになりて、( 出でにたる )ほどに、( 箱のある )を手まさぐりに開けて見れば、(( 人のもとにやらむ )としける )文あり。あさましさに、 (( 見てけり )とだに知られむ )と思ひて、書きつく。

2、括弧でくくられていない部分から、順番に現代語訳していく。

上の(3)の括弧でくくられた部分を空欄にし、A~Dのアルファベットを付けると、次のようになります。

(4)九月ばかりになりて、( A )ほどに、( B )を手まさぐりに開けて見れば、( C )文あり。あさましさに、 ( D )と思ひて、書きつく。

まずはこれを現代語訳していきます。「ほど」は「間/うち」という意味の名詞、「手まさぐり」は「手先で何気なくもてあそぶこと」という意味の名詞です。また、「あさましさ」はシク活用の形容詞「あさまし」の語幹に「さ」がついて名詞化したもので、「情けなさ/嘆かわしさ」といった意味になります。「に」は原因・理由をあらわす格助詞で、「~のゆえに」と訳します。すると、上の(4)は次のように現代語訳することができるでしょう。

(5)九月ごろになって、( A )間に、( B )を手先で何気なくもてあそんで開けて見ると、( C )手紙がある。情けなさのゆえに、   ( D )と思って、書きつける。

(5)は、言ってみれば、この文のもっとも核となる構造と言ってよいかと思います。

次に括弧でくくられた部分を現代語訳していきますが、空欄CやDのように、括弧が二重になっている部分は、より外側(=くくっている括弧の数が少ない側)から現代語訳していきます。

まずは空欄Aからです。「出でにたる」は「出づ」という動詞に完了の助動詞「ぬ」と「たり」がついたものですから、「外出した(している)」のように訳すことができるでしょう。しかし、これだけでは、「出でにたる」の動作主が誰なのか分かりません。そこで、この段階で、動作主「藤原兼家」を補足しておきましょう。(動作主は本来は文脈から判断しなければなりませんが、教科書や入試問題では、注釈に書かれていることも多いので、それを参照してかまいません。)

(A)兼家が外出していた

次に空欄Bを解釈します。「の」はここでは主格を表す格助詞です。また、「ある」は連体形になっていますが、直後に格助詞「を」がついていることから考えて、「箱のある」全体で一つの名詞句を構成していると考えられます。(連体形のこのような用法を準体法と言い、このようにして作られる名詞句を準体句と言うようです。)そのため厳密には名詞修飾節ではありませんが、ここでは便宜的に、後に省略されている「の」を修飾する成分と考えておきます。

(B)箱があるの

空欄Cの「( 人のもとにやらむ )としける」ですが、「もと」は「(人のいる)所」という意味の名詞です。ここでは「他の女のいる所」といった意味でしょう。また、「やら」は動詞「やる」の未然形で、「(手紙などを)送る」という意味です。「む」はここでは意志の助動詞「む」の終止形です。

(C)他の女のいる所に送ろうとした

最後に空欄D「( 見てけり )とだに知られむ」を解釈します。「てけり」は「過去に行われた動作を回想する」意味を表し、「~てしまった/~たのだった」と訳します。「だに」は「せめて~だけでも」という意味の副助詞です。「れ」は助動詞「る」の未然形で、ここでは受身の意味です。「む」は意志の助動詞です。したがって、(D)は次のように現代語訳できるでしょう。

(D)せめて、見てしまったとだけでも知られよう

3、現代語訳した引用節と名詞修飾節を空欄に埋め込み、必要事項を補足する。

それではいよいよ、上で現代語訳してきた(A)~(D)を(5)の空欄部分に埋め込んでいきます。

(6)九月ごろになって、兼家が外出していた間に、箱があるのを手先で何気なくもてあそんで開けて見ると、他の女のいる所に送ろうとした手紙がある。情けなさのゆえに、せめて、見てしまったとだけでも知られようと思って、書きつける。

(6)には、「見てしまった」の動作主と、「知る」の動作主(受身にした時に「~に」で表される名詞)が省略されているので、それを補足していきます。

まず、「他の女のいる所に送ろうとした手紙」を「見てしまった」のが作者自身であることは明らかなので、「私が」などの語句を(6)に補足します。また、「知る」の動作主は、作者から見て、「私が見てしまったこと」を知るだろう相手のことですから、ここでは「兼家」のことでしょう。そこで、「兼家に」という語句を(6)に補足します。

(7)九月ごろになって、兼家が外出していた間に、箱があるのを手先で何気なくもてあそんで開けて見ると、他の女のいる所に送ろうとした手紙がある。情けなさのゆえに、せめて、私が見てしまったとだけでも兼家に知られようと思って、書きつける。

4、まとめ

以上で説明してきたように、古文の苦手な人が古文を読むときの方法として、私は次の3段階の方法をおすすめします。

①引用節、名詞修飾節、副詞節を括弧でくくる。

②括弧でくくられていない部分から、順番に現代語訳していく。(その際、括弧にくくられている部分は空欄のままにしておく。)

③現代語訳した引用節、名詞修飾節、副詞節を空欄に埋め込み、必要事項を補足する。

この方法の利点は、文構造の取り違えを防ぎやすいということです。古文のテストを採点していると、結構な数の生徒が、名詞修飾節の中の述語と、主文の述語を混同したりしています。そこで、この方法で本文を解説したり、生徒に予習させたりすれば、そうした文構造の取り違えを起こりにくくすることができるでしょう。



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