小説「小さな本屋の下にある大きな金庫」

 それは僕だって金庫として生まれたからには、スイスの銀行にでも設置されて出所不明な大金を保管したり、イギリスの貴族のお屋敷にでも設置されて伝説の剣や呪われた宝石を眠らせたりしたかった。でも、そんな大役を任される金庫は、世界でほんの一握りだ。
 ちいさい頃は壮大な夢を抱いたけれど、いざ工場を出るときにはもう少し現実的になっていた僕は、とりあえずホテルは嫌だ、と思った。日本にいる限り、よほど高級志向のところ以外、ホテルで金庫を使う客は滅多にいないと聞いたからだ。クローゼットの中にいてもだれも使わず、気づくことすらない。ただ消臭剤やスリッパを置く台の代わりにされるのだという。僕たち金庫にとって、なにひとつ大切なものを持てない、というのは、なによりの悲劇だ。
 ただ僕は巨大に生まれついたので、ホテルに行く心配はほとんどなかった。こんなのがクローゼットにあったら邪魔すぎる。どれくらいでかいかといえば、人間の子どもなら1、2人入れるほどのサイズ。大企業の社長室とかがいいな、と思っていた。広いから置いてくれるかもしれない、と考えたからだが、大企業の社長の大事なものなんて、僕には想像がつかなかった。でもだいたいの金庫の中には、お金と宝石と重要書類が入れられると決まっているので、まあそこらへんだろうと考えていた。

 だけど、大企業には行けなかった。
 僕はこぢんまりとしたビルの2階、どこか秘密基地めいた、摩訶不思議な造りをした空間の一角に設置された。しかも購入した男の人は金庫が欲しいのではなくて、丈夫で高さもあり、中にモノが収納できる台があればいいな、という気持ちで僕を選んだのだった。
 たしかに僕は頑丈である。
 世の中にある大事なものを抱いて、危ないものや汚いものから守り、それがいつか必要とされる日までいっしょにいるのが役目なのだから、当然だ。
 だからといって、人を上に乗せたり、単なる物置として使われたりするのは心外だった。これならホテルのほうがマシだったと思った。しかし一度設置されてしまえば僕にはどうしようもない。金庫として屈辱的な日々を耐えなければならなかった。僕の中身は空っぽか、どうでもいいガラクタが詰め込まれた。せっかく複雑に作っておいた鍵は、ついぞ使われなかった。買い主は好き勝手僕を蹂躙し、やがて引っ越した。僕になんの愛着もなかった彼は、僕をビルに置き去りにした。

 持ち主は何度か変わり、ある秋のはじめに女の人がやってきて、この場所を借りるわと宣言した。
「本屋さんを開くの」
 それはまったくけっこうであるけども、と僕は思った。そのときまでには、僕は金庫としての夢も高い志も失い、すっかり荒んでいた。その本屋には、高価な希少本もあるのかね。僕が保管してやるのに値する、金持ちが大金を積むような素晴らしく貴重な本が?
 もちろんそんなはずはなかった。彼女が扱うのはごく普通の本たちだ。新刊も古本もあるようだが、定価を大幅に上回って出回るようなものではない。僕の周りには本棚が設置され、そこには本が詰め込まれた。彼女は楽しそうに並べる本を選び、ときどき1冊手に取っては、その中身を愛おしむように読み返した。やがてオープンすると、やって来る客たちも似たようなものだった。彼らは宝物でも探すように本棚を眺め、その中の1冊を、そうっと手に取る。そして微笑む。抱きしめる。ずっと失くしていたものを見つけたような顔をする。あるいは、あるはずのないものを見つけたときのように驚く。本棚から本はなくなる。でも僕には、彼らが持ち帰った先でその本が、とても大事なものとして扱われるのがわかる。
 どうして。
 僕の中には、本というものがないのだろう。
 いつしかそう思うようになった。
 なにもない。なにもない。いつかの借主が僕の鍵をかけっぱなしにして立ち去って以来、僕はだれにも開かれないままだ。どうせガラクタを詰め込まれるのならこのほうがよほどさっぱりしていい、と思っていたが、僕の周りから本が1冊消えるたび、だんだん悲しくなってきた。僕は焦がれた。本に、それが内包する無限の世界に、文字の羅列が生み出した、金では買えないほどの価値のあるその感情に。だれかが僕の鍵を解き、なんでもいい、どんな本でもいいから、だれかにとっての大事な物語を、ほんのいっとき僕の中に置いてくれたら、僕はそれを、命をかけて守り抜くのに。

「――これがその金庫ですか」
 だれかがそう言って、僕に触れた。
 ひさしぶりに感じる人の指の温かさに、僕は少し驚いた。
 そうです、と店主が答える。彼らの会話を聞いて、僕はどうやら彼女がこの場所のことを、「大きな金庫の上にある小さな本屋」と称しているらしいことを知った。中になにがあるんでしょうね。人々はそう囁いて帰っていく。本を1冊2冊、ときに何冊も抱えて。
 本当のことを言えば、僕の中には、なにもないのだけど。
 でも、僕の周りには本がある。僕には持ちきれないほどの宝物がある。金庫に生まれた僕は、ここでずっと、彼らを眺める。抱いてやること、守ってやることはできないかもしれないけど、彼らがだれかに見つけてもらえるその日までは、どこまでも優しくひっそりと、傍にいる。――そばにいるよ。
(了)

著者 深沢 仁
ふかざわ じん、物書き。ポプラ文庫ピュアフルより7月に新刊発売予定。
ほか『英国幻視の少年たち』シリーズとかを書いているひと。
趣味はさんぽ、旅。音楽を聴きながら、遠いところに行くのが好き。
ほんやのほ 店主より
橋から広い川を見下ろして、わたしが「あそこでなにか起こりそう」とつぶやけば、深沢さんは「次に来る船は、通りすぎたところで爆破される」とずいぶん物騒な物語を教えてくれます。そういう遊びをする仲です。自慢です。

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ほんやのほ

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