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姉の月命日に。

10月4日は、 亡き姉の16回目の月命日でした。
今日は、穏やかな気持ちで姉の事を思い出せる日です。

日によって、姉に対する私の感情も違いますが
今日は、私がnoteに姉の事を書こうと決意した理由を書きたいと思います。

亡くなって半年の時の日記

まずこれは、姉が亡くなって半年(6回目)の月命日の時に書き留めた内容です。

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もう半年、まだ半年。
なんだか時間の流れが止まっているような、遠い昔のような不思議な感覚で、まだまだ寂しい気持ちでいっぱいです。

去年の今頃は、まだ娘がお腹にいて
K県に住んでいた姉ちゃん夫婦のところに家族で遊びに行ってイルミネーションを見てみんなで楽しみました。

息切れしたり咳が出たりしながらも、まだ全然大丈夫だよ!と、いつもニコニコな姉ちゃんでした。

赤ちゃんの性別が女の子とわかってから、帽子やブーティを編んで送ってくれました。

3月には
「姉ちゃんが歩けるうちに子ども達だけこっちに遊びに来させていいよ!思い出作ろう!」と言って 息子2人を木下大サーカスに連れて行ってくれました。

5月になって、酸素を導入して、動くたびに息切れするようになったり、身体が痛くても、姉ちゃんは娘を喜んで抱っこしてくれて、カメラを向けても話しかけても、いつもとびきりの笑顔でした。

そんな姉ちゃんにどう接していいのか分からず、私の方がうまく笑えなくて、逆に私の方が本当に元気づけられていました。

会いたい。今すぐ会いたい。
姉ちゃんに会えない日が続けば続くほど、姉ちゃんの存在が大きくなり
当たり前がどれだけ幸せなことかを痛感します。

この歳で、たった1人の姉妹を亡くしたことは本当に辛いけど
姉ちゃんの命が教えてくれることを日々感じながら、自分なりに受け入れていこうと思っています。

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なぜ文字にするのか

私はこうして、姉が亡くなった時から、節目節目に自分の思いを綴ってきました。

それを SNSに載せてきました。

亡くなってすぐの頃も、1周忌の時も。その内容は また改めてこちらにもシェアしたいなと思いますが

なぜ書き留めるのか。
それは、後になって、自分がどんな風に考えていたか振り返り
再確認や新たな気づきをするためです。

人にシェアする理由は、この経験で少しでも何か気づきがあったらいいなと思うから。

こういう辛い記憶を文字にする時、もちろんいろんなことを思い出して苦しくなったりもします。

時には、スマホを打ちながら急にポタポタ涙が画面を濡らし、そのままスマホをテーブルの上に顔を伏せてしまうことも……。

どんなに楽しい思い出を振り返っても
姉の最期のシーンや、亡くなる数日前に交わした言葉

ふとした姉の表情まで、パシャパシャと写した写真を見るように
ワンシーンずつ切り取られて脳裏をよぎってしまうから。

でも、それらとしっかり向き合って文字にすることで

自分を支える新しい柱を発見したり、誰かの背中を押すきっかけになったりするような奇跡が起こるからです。

姉が残してくれたもの

ガン宣告から最期の瞬間まで 私に見せてくれた姉の姿、言葉、表情は

全て、私に残してくれた財産だと思っています。

↓↓姉が私の子どものためにたくさん編んでくれたニット小物

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何を思い出しても辛くて途方に暮れてしまうという、ナマリのようなずっしりした重みのあるこの思い出こそが、きっと姉の命の重さであり、その思い出を周りの人に伝えていくことで、姉の命は、亡くなってもなお活かされて、ある意味生かされていくのではないかと思うから。

私が書きたい事

壮絶な闘病生活、そのとき家族が感じたツラさ、家族の衝突やそれぞれの葛藤、姉本人が記した言葉。。。

デリケートな内容もあるので、言葉を選びながら慎重に
それでも必要としている人の力になれるように

これまで書き留めたことや、姉が記したこと。私に明かしてくれたことなどを、ひとつずつ記事にしていこうと思います。

必要な方の役に立ちますようにと願いながら、これからも真剣に綴っていきたいです。

読んでくださりありがとうございました。





私の書く記事は多分、伝わる人が限られています。いじめ、機能不全家族、HSP、病気などの記事多めなので。それでも深くせまく伝えたくて書いています。サポートとても嬉しいです。感謝します。コメントも嬉しいです🍀