こじらせアラサーの幸福論。
『クオーターライフ・クライシス』
25歳から30歳にかけてこれまでの人生を後悔したり、先の見えない将来に葛藤する期間をそう呼ぶらしい。
思い返せば私もそうだった。
大学を卒業してからはひたすらに新しいことの連続で社会についていこうとしがみつくように過ごしていた。
ああでもない、こうでもない!と手当たり次第に手を伸ばしていたらアラサーと呼ばれる年齢に。
年齢と不相応なほどに不器用すぎる自分に嫌気がさして、その度に自分と話し合いながら…なんとか今も暮らしている。
なりたかった自分と、
できなかった自分と、
頑張りたい自分と、
これ以上できないって自分。
色んな自分が混ざりあってぐちゃぐちゃになって25歳を迎える頃には立派なこじらせアラサーの誕生。
ああ、ちょっと思い出しただけでも十分な黒歴史だ。
物事を斜に構えて余計に複雑にしてしまったり、そんなひねくれた自分がかわいくなくて自己嫌悪に陥ってみたりと散々なことをしてしまった。
きっと当時の私の恋人は随分と頭を抱えていたと思う。
好きなものを声に出して「好き」と言えなくなること。
これが私にとって一番苦しいこじらせだった。
自分が好きになったものがある日突然消えてしまうような…漠然とした黒いモヤがいつも私のそばから離れなかった。
本当にそれが本物だったのかは置いておいて、そんな心持ちだったら気が休まらなくても当たり前だったのかもしれない。
転機になったのは、ネガティブな自分と少しずつ歩み寄りを始めたときからだ。
自分が不安に感じていること、
幼い頃に消化できなかった悲しい思い出、
やりたかったのにできなかった後悔たち。
たくさんのネガティブな自分とノートを通じて「本当にやりたかったこと」を掬い出していく作業を繰り返す。
時には耳が痛くなるくらい幼い自分が出てきて呆れそうになりながらも、一つずつ丁寧に耳を傾けていくとだんだん不安がしぼんでいくから不思議なもの。
絡まった糸をほどいてまっさらな自分と出会うたびに、「案外私ってそんなに悪くないじゃん。」なんて笑える日がやってくる。
私はそこまでいくまでに3年くらいかかってしまったけれど、まだ会ったことのない自分に出会えるのだったらそれはそれでいい経験になった。
この前読んだ本の中に、「悩みは人を成長させるためにある。悩みは一生尽きることはないけれど、一緒に前に進んでいくことはできる。」なんて言葉があった。
そんなきれいごとでは済まない世の中かもしれないけれど、悩みを作り続けて解消していくだけで終わってしまうのももったいない。
アラサーになりたての頃は悩みが悩みを呼んで毎日眠れない夜をたくさん過ごした。
当時は辛いとかしんどいとしか思わなかったけれど、その時間がなかったら私は今でも自分の幸せとか将来について腰を据えて考えることはなかったと思う。
20代の悩みってたくさんの幸せに繋がるヒントが詰まっている。
全部一気に、なんてのは難しいから、小さいことから少しずつ紐解いていくとこじれも緩まってくるはず。
どうか30代はもっと軽やかに毎日を過ごせますように。
ケ・セラ・セラ
ほがらか
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