声のデカさ

最近になって、“声のデカさ”ってのも1つの才能だなってことに気がついた。

声量って意味でもそうなんだけれど、どちらかというと人前で、それも大勢の人の前でデカい声を出せる、デカい声で喋れるってのは、実は誰にでもできることじゃないんだなと。

僕自身が子供の頃から結構声がデカくて、割と人前でもさほどビビらず喋れるタイプだったので、その気になれば誰でもできることだろうと思ってて、みんなできないんじゃなくてできるのにやらないだけだろってずっと思ってた。

ただそうではなくて、たまたま僕が生まれつき声がデカくて生まれつき恥知らずだったってだけだった。

だから他人にそれを強要してしまったこともあった。「ただ喋るだけなのになんでできねぇんだ」ってキレたこともあった。その時はそーゆー問題じゃないってことがわかってなかった。

ある程度年食ってから自分の方が少数派なんだなってことに気がついた。世の中的には自分の考えてることをデカい声で他人に話す人の方が少ないということを思い知った。結構ショックだった。

そのことを知ってから、「力加減って大事だな」って思うようになった。と同時に、“デカい声”が持つ力について考えるようになった。

そして“デカい声”にはある程度の“説得力”があることを知った。

大勢の人の前に立ってる人が、デカい声で堂々と喋ってると、内容が多少破綻してても、なんとなく正しく聞こえちゃうってことがある。

よーく聞いたら辻褄が合ってない部分があるんだけど、勢いで誤魔化されて聞いてる人が感動したり奮起したりしちゃってることがある。

それと、“デカい声”にはそこそこの“暴力性”がある。

他人にデカい声で命令されると、思わず言うことを聞いてしまう人、結構いる。それが理不尽な命令でも。

“デカい声”が苦手で、それだけで萎縮しちゃって相手に思ってること言えなくなっちゃう人、たくさんいる。

これをわかってなくて、「なんでそんなにビクビクしてんだろ」とか思ってた。そりゃ学生時代「将来やりそう」って理由で“DV”ってアダ名付けられるわ。

これに気がついてからは、むやみやたらにデカい声出すのやめようと思った。“デカい声は暴力”と思って使うようにした。敵に対する攻撃手段としてしか使わないようにしようと決めた。

気がつくのにかなり時間がかかってしまった自分が言うのも何なのですが、このことに気がついてない人結構多いと思う。“デカい声は暴力性を孕んでる”って自覚のないままデカい声で喋ってる人、“声はデカいだけでちょっと説得力が増す”ってことを知らずに誤魔化されちゃってる人。結構いる。

逆にこのことを知ってて上手く使ってる人もいる。でも上手く使ってるヤツは胡散臭いヤツが多い。行き過ぎると恐喝とか詐欺になるしね。

ロジックさえわかってしまえば簡単な話だとは思うのですが、苦手な人にはやっぱり難しいのかな。

“必要以上に声がデカいヤツ”はとりあえず疑ってかかるぐらいでちょうどいいと個人的には思ってます。ド偏見ですけど。

声のボリュームくらい時と場合によってキチンと使い分けられる人間でありたいですね。自戒の意味を込めて。

読んでいただいてありがとうございました。退屈しのぎにでもなっていれば幸いです。