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善人バカ

善人だから自分に危害を加えないわけではないかと。

むしろ自分が善人=正しいと思ってる近視眼的なバカほどたちの悪い人はいない。


これとは別にして、善人の方がいいですよね?悪人より。

とかいう一般的な話には「じゃ、その善人悪人の定義ってなにさ?」になって、その定義によって白黒なんて360度変わる。

つまり、究極的には善人とか悪人とかどうでもいい。

その人が自分に何をしたか?自分がその人に何をしたか?

が、「何か」が起こった時の判断基準となる。そこに法律が介在してくる。

法律ありきじゃあ、ない。

だって法律だって解釈次第のバッファは結構デカい。

こんな事があった。

ニト◯◯◯スというアニメの企画会社の創業者に金を貸した。彼は当然ある程度資産家であり、その会社の株だけで当時時価10億はあった(本人談)が、彼は投資に失敗したり、信用した人間に自分が思ったのと違ってそれなりのお金を失った。挙句、その年の税金を払えないということで複数回に渡り、約1000万ほど貸した。

返済原資も僕がつくってあげたり(今思えばアホかと)した。

その人は善人である。人もいい。ある程度の深さまでは自分の非もいつも認めるので人は謙虚な人だと言う。でも、ある一定の深さにある琴線に触れた時には全て他人のせいにする。本能的危機管理だろう。

彼と仲良しだった頃、飲食店やりたいというので知見のある僕も協力することになった。ただ、優秀ではない人とやるのはシンドイので株主として資金の拠出(貸したのとは別)と人材、ノウハウの提供にとどめた。経営はあくまで君らやりなよ。と。

ところが蓋を開けると伝票の付け方もわからない…帳簿とかも当然無理…発注?在庫?と驚きのレベルだったので基本的な仕組みを手取り足取り教え、税理士も3ヶ月決められずにいたので僕が決め、かなり実務を手伝ってしまった。

そうすると不思議なもので、僕が主たる経営者のように彼らは思ってしまう。プレスリリースも活用し、人脈も駆使して沢山のテレビ取材を受ける環境はつくった。でもそこに乗るための作戦をつくっておけよ!と口酸っぱく伝えたが「無策」で乗り過ごした。

それでも店舗は拡大し、4店舗まで増えた。そこで彼から僕が100%株主になりたい!と言われたのでこういう精神構造だと無理だなあーと思ってただ同然で株を全て譲渡した。

やがてお店は不調となり、彼は僕に責任を押し付けつつ、僕がいかに悪い奴かを風聴した。

そして、沢山お金損したからお金は返さないとなった。

途中で風向きが悪くなった時に借用書とお店の経営はお前のもんだからな!の念書をとっていたので弁護士たてて金返せ訴訟をした。弁護士費用で丸損である。

他の殊勝な態度の金借主にはそのまフェイドアウトを許したが、こいつはムカついてしまったのでこんな次第となった。

彼は善人である。

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