野生のクマを絶滅させるべき2つの理由
以前、動物愛護を優先するならクマは絶滅させたほうがいいという記事を書きました。
しかしあまり推敲せずに勢いで書いたため冗長で、最後まで読まれずに的はずれな批判がされているようですので、今回はリスク管理と動物愛護の2つの論点に絞ってなるべくわかりやすく記事にまとめました。
この記事を書くきっかけとなる議論に付き合ってくださったすゐか様にはこの場を借りて御礼申し上げます。ツイッターのツリーも貼っておきます。
理由1:リスク管理の観点から
こちらは主に保全生態学者に対する批判・反論です。
クマがいる限り確実なリスクがある
クマがいる限りクマによる被害が起こる可能性は確実に残ります。たとえ奥山に追いやったとしても半数近くは降りてくることがわかっています。
しかもこれまでクマの保護研究をしてきた保全生態学者の先鋒が自分の読みの浅さを認めたという驚くべき状況です。
これでも保全生態学者とその信者の皆さんは「絶滅させてはいけない、なんとか奥山に追いやって共存しろ」と言うのでしょうか?
クマが存在するリスクはお金に変えて計算することができます。クマがいる限り、今後このリスクが登山保険や農業保険の保険料に織り込まれて値上げされることは避けられないと思われます。
クマが絶滅した場合のリスクはあるかもしれないがないかもしれない
一方で、保全生態学者がしきりに主張する生態系の崩壊はあるかもしれないしないかもしれないリスクです。九州にクマはいないですし、佐渡島に至ってはシカもイノシシもサルもいません。
確実にあるリスクとあるかないかわからないリスクの選択を迫られた場合、どちらを選択することがリスク管理的にまともな考え方と言えるでしょうか?
保全生態学者や動物愛誤団体は「お金に代えられないかけがえのない価値」とでも言うでしょうが、FP3級を持ってる私に言わせてみればお金で換算できないものは無いものとみなします。
シカが増えると言うならどの程度増えるのか、それで森が荒れて洪水が起きる確率が何%上がるか、それを数字で出してクマがいる場合の試算と比較してはじめて年間数十人の犠牲を受け入れてでもクマを残す主張が論理的に正当化できます。
クマが必要だと言うならクマ絶滅後の生態系の変化をシミュレーションし、予想される経済損失の期待値をはじき出してください。
理由2:動物愛護の観点から
こちらは主に動物愛誤団体に対する批判・反論です。
動物愛誤団体に所属する人の中には、自分が良かれと思ってやってることが結果的に動物愛護とは真逆の結果を招いてることに気づいてないだけのお茶目な人も多数いると考えてますので、ぜひこの記事を読んで考えを改めてもらえたらと期待します。
生まれてこなければ殺されることもない
そもそもなぜ駆除しなければならないかと言うと生まれてくるからです。生まれてこなければ駆除されることもありませんし、定期的に頭数調整の狩猟を行う必要もなくなります。
これは反出生主義の考え方であり、野良猫を去勢する地域猫活動もこの考え方が根底にあります。
反出生主義は絶滅を正当化できます。
保全という名の虐待
餌が足りず人里に降りてきたり、子連れの母グマが凶暴化するのはそれだけクマにとって生きづらくなってるからです。これは人間の側にも大いに原因がありますが、今の生活水準を保とうとする限りこれをどうにかするのは現実的ではありません。
このような状況で、数が増えたら駆除、人里に出たら駆除というやり方で生かさず殺さず人間との不安定な休戦状態を維持しながら無理やり生かされ続けるクマはかわいそうです。
それならばいっそ絶滅させて楽にしてあげたほうが動物福祉的にも望ましいのではないでしょうか?
ドングリ撒きは逆効果
動物愛誤団体の代名詞である日本熊森協会はドングリの不作のせいでクマが降りてくるならドングリを撒けばいいという理屈で山にドングリを撒いてますが、もちろん逆効果にしかなりません。
ドングリ撒きで出生率が上がってしまうとクマ同士の生存競争が激化し、人里に降りてくるだけでなくオスによる子グマの捕食も多発することになります。
そもそもドングリが豊作と凶作を繰り返すのはブナ科植物の生存戦略です。それがある以上はクマの飢饉が定期的に繰り返されることは避けられないので、お腹を空かせてかわいそう、子グマがオスに食い殺されてかわいそうと思うなら絶滅させることが根本的な解決策となります。
絶滅させる方法について
読者の皆さんが保全生態学者や動物愛誤団体でなかったとしても絶滅させるべきという論調には抵抗があるのではないかと思います。
絶滅させる方法は可能な限り苦痛を感じず、やむを得ない場合も最小限に抑えられる方法である必要があります。言わば種の安楽死です。
経口避妊薬で繁殖を抑制する
経口避妊薬がクマに通用するなら、そして30年も我慢強く経口避妊薬を食わせ続けられるなら最も理想的な方法です。
繁殖期にドローンなどで経口避妊薬を散布し、子グマが生まれないようにすることで数を減らして絶滅へと追いやります。
このやり方には次のような優れたメリットがあります。
そもそも殺さないので愛誤の抵抗が少なく済む
クマが凶暴化する原因は親子グマとメスを寝取られたオスなので、繁殖を抑制することで既存個体の凶暴化も抑えられる
既存個体が生存競争から解放されて、人里に降りる必要もなくゆったりと種の余生を過ごすことができる
メスを寝取ったオスに食い殺されるかわいそうな子熊がいなくなる
時間がかかるので生態系はゆっくりとクマがいない状態に適応できる
シカ、イノシシ、サルなどにも適用可能
毒餌と比べて熊肉に残留した場合の危険が少ない
ただしこの方法にもデメリットがないわけではなく、長く続けるうちにクマが避妊薬に耐性を付けてしまう可能性があります。
また、一部の動物愛誤団体の抵抗は相変わらず続く上、長く続ける間に外国から余計な圧力がかかってかつての春グマ駆除のように政治的に継続が困難になるかもしれません。
そもそも人間用の避妊薬がクマに効くかどうかはわかりませんし、クマ用の避妊薬を開発する必要があるかもしれません。クマの肝臓が強すぎて避妊薬が効かないんじゃないかという話も出ているので検証が必要です。
春グマ駆除の復活
避妊薬がだめなら、かつて北海道と本州のクマを絶滅寸前へと追いやり、九州では絶滅させることに成功した春グマ駆除の復活が現実的な選択肢に上がってきます。
もし読者が動物愛誤団体のメンバーなら既に激しい拒絶反応が出ていると思いますが、このページを離れたりヒステリックな批判コメを書く前にひとつ考えてもらいたいことがあります。
春グマ駆除で1頭のクマが駆除されるのと、春グマ駆除をせずそのクマのたくさんの子孫がオスに食われたり人里に降りてきて駆除されるのとではどっちがマシでしょうか?
これはトロッコ問題です。トロッコ問題は倫理学の未解決問題の代表例ですが、対象が動物であれば犠牲が少なくなる方向にトロッコのレバーを操作することに正当性があると私は考えます。
春グマ駆除をやるなら短期決戦のほうが犠牲が少なく済むので望ましいですが、これも人材不足で難しいのではないかと言う人がいます。
毒餌
これは可能な限り選択すべきではない方法です。なぜなら苦痛が半端ないからです。
以前毒餌についての記事を書いたことがありますが、毒餌を使うのはあくまで緊急回避的な場合に留められるべきです。
自然消滅(四国の例)
四国には数十頭のクマが生息していて、世界一小さいクマが生息する島として知られています。
にもかかわらず四国でクマが問題になることはなく、共存がうまく行っているレアケースと言えます。
ところが四国のクマは絶滅が時間の問題だと言われていて、このまま何も余計なことをしなければ放っておいても種の安楽死が実現しそうです。
もしかすると本州や北海道においても人里に降りてくる個体を現状の指針で駆除していくだけで、やがては奥山にわずかな数が生息するだけになり、それも自然消滅して種の安楽死になるのかもしれません。
最後に
ここまでわかりやすく書いてもまだ保全生態学者や動物愛誤団体、それらの信者が的はずれな批判をしてくることが想像できます。
ただ、それらが社会全体に占める割合は全哺乳類のバイオマスのうち野生動物が占める割合よりも遥かに低いので、少しでも絶滅に賛同する市民を増やし、これらを数で圧倒してその影響力を封じていくことが将来的な人的被害を減らし、また不幸な動物を減らしていくための第一歩になると考えています。
野生個体を絶滅させつつも家畜に進化させて共存する方法や、的はずれ批判でよく引き合いに出される毛沢東によるスズメ駆除(冤罪)については後日記事にしようと思います。
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