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フィリピンの山奥のトイレで幸せについて考えた話

皆さんこんにちは!
HOKAGO.comの水野です。

今日は8月3日。梅雨も明け、溶けそうな暑さです。毎年、この暑さを感じるとあることを思い出します。一年中、このくらい暑い常夏のフィリピンで過ごした日々のことを。

私はフィリピンに半年以上滞在していたことがあります。
そんなフィリピン生活での体験とその中で得たある考え方について少し話をしたいと思います。

そもそも、なんでフィリピンに行った理由ですが、英語を勉強するためです。

きっかけとしては、これまた気温40度、真夏のラスベガスでマックへ駆け込み、拙い英語とジェスチャーでコーラを頼んだらホットコーヒーが出てきてショックだったことがあります。

汗だくでホットコーヒーを飲みながら英語を勉強しようと思った瞬間でした。
海外の人ともっと交流してみたい!と思っていた時期だったのもあります。

そんなこんなで英語をどうやって学習しようかと調べている時、友人からその友人の奥さんがフィリピン留学というもの行っているという話を聞きました。調べてみて良さそうだったので行ってみたわけですね。

フィリピンの英語学校は基本的にアジア圏の人が多いですが、中には中東やヨーロッパから来ている人もチラホラいました。

恥ずかしながら当時の私の英語力は小学生レベル、TOEICは問題を見ないでマークシートを埋めた方が点数が高くなるくらいです。笑

要するにゼロってことですね!

そんなこんなでまずは死ぬほど勉強してやろう!と思いまして1日10時間以上、休日も含めて寝る時間以外は全て勉強に費やしました。(勿論学校の授業時間を含めてです。)

その生活を3ヶ月程続けると英語力ゼロだった私でも、相手の言っていることが分かり、自分の言いたいことを簡単な単語を組み合わせて伝えることができるようになりました。

今では仕事で毎日英語を使い、ある程度自由にコミュニケーションは取れます。今の英語力は間違いなくフィリピンで英語を勉強したおかげですが、英語を勉強したいと考える人全員にフィリピン留学を勧めるわけではありません。またこの辺りは記事にしようかと思います。

少し話せるようになると、英語を勉強する目的であった色んな人と話してみたい!という気持ちがより強くなりました。その頃からは、学校でできた友人や先生以外にも街中で声をかけたり、ネットを通じて知り合った人と会って話したりしていきました。異文化に触れることが初だった私にとって、新たな発見ばかりで楽しかったな〜。

気心の知れたフィリピン人の友人も増えた頃、フィリピンのローカルについてもっと知りたいと思うようになります。どんな生活をしているのかとか、食べ物とかですね。私はセブというリゾート地にいたので、フィリピンのもっと一般的な生活に興味があったんです。

そんなことを友人に話すと、「今度地元で大きな祭りがあるからおいでよ!」と言うではありませんか。これは行くしかないと二言返事で即決。他にも仲の良かった3人のフィリピン人の友人と一緒に行くことになりました。

ジプニーやバスを乗り継ぎ6時間程掛けたところに、その友人の地元はありました。

豊かな自然に囲まれた場所です。

夜は祭りに出かけたのですが、そこでニューハーフのビューティフルコンテストが行われていました。町中のニューハーフがこのコンテストのために日々、美しさを磨いてきています。コンテストを見ていると、フィリピンの田舎に外国人が来ているのが珍しかったらしく、私が少し目立ってしまい、遂にはその場のノリで審査役になるなんてこともありましたw

表彰もさせてもらい、優勝した方と写真取っているところ。(分かると思いますが、左が私です)

1週間弱その町にいましたが、基本的には、一緒に行った友人らとゆっくりしたり、

ココナッツ切ったり

料理をしていたわけです。

そんな中、洗い物をしていた時に驚いたのが、友人が焦げ付いたフライパンをめちゃめちゃ小さいスポンジで洗ってたんですよ。本当、親指と人差し指と中指の3本だけで掴んでもちょっと指先からスポンジが見えるくらいの小ささ。

↓この中に見えるスポンジは3つに分かれてる。

他にもローカルにお宅に何軒かお邪魔しましたが、普通にスポンジを買い換えてる家庭の方が多かったです。ただ、この小さいスポンジを見た時に衝撃だったと共に、改めて発展途上国の生活水準を認識したんですね。

後は、夜に海辺で遊んだり、

友人の実家がマンゴー農家だったので、好きなだけマンゴージュースを飲ませてもらいました。

甘くて本当にうまいんですね〜。ついつい5杯くらい飲んでしまいました。案の定、その夜、寝ていると腹の激痛に襲われました。トイレに駆け込み、数分もがき、少し痛みが治ると、ふぅ〜という謎の休憩時間があります。

その時、ふと思ったのです。フィリピンに来て、ローカルの友人やその家族と少し生活と共にしていて、なんだかとても楽しいなと。

なんで楽しいのかなと考えました。勿論、日本から来て異文化に触れる中で新たな発見をすることなども理由としてあると思います。だたその時の私は外国人観光客の域を超え、ローカルの方と一緒に朝食を取り、歯を磨き、料理をして昼寝をしていたので少し違った見方をしていました。

私が話した多くのフィリピン人がいつも笑顔で楽観的で楽しんでいました。また、家族・友人思いでいつも助け合っています。(勿論、そうでない人もいっぱいいます)

そんなフィリピン人と一緒にいる中で私も楽しく、そして幸せな気持ちになったのかなと思います。

そのことから、少なくとも幸せってスポンジを買い換えることではないなと思いました。つまり生活水準はあまり関係ないんだなと思えたんですね。

経済的な余裕はあるに越したことはありません。ただ、家族と友人らと、お互いのことを思いながら、楽しく安全に暮らせることができれば幸せなんだと、そう思いました。

今では、そのことがますます重要なことだと捉えるようになりました。自分が幸せだと感じるために必要なことがいくつかあるとしたら、そのことのプライオリティが最も高くなります。もう満たしているので、十分幸せだと思って生活できています。

そう思えることで、精神的にも余裕が生まれます。仕事で失敗しようが、そのことは二の次だと思えるので、逆に思い切ったことができている気がします。仕事はどうでもいいという話ではなく、仕事で失敗すること自体が楽しく幸せに生きることにあまり影響がないと思っているということですね。

私はフィリピンに行き、それ以前に日本で暮らしていた時の生活水準よりも低い場所で楽しく幸せに生活できたという体験が、自分の考え方を変え、今幸せに生活できているというわけです。

色々な考え方があると思いますが、幸せと感じるために最も簡単で今できることは、大切な人を大切にし、安全に生活できることが幸せだと自分の中で定義づけることは1つ良い方法だと思います。

それがあれば、それ以外のことであまり悩む必要がなくなり、より楽しむために色々できるというわけですね!

若干今の私の考えも入りましたが、深夜に友人の実家のトイレでそんなことを考えておりました。フィリピンでは他にもたくさんの出来事がありましたが、話が長くなりそうなので今日はこの辺で失礼します。

海外での出来事で言えば、他にも

・オーストラリアで体操教室を開いた話。

・ホテルを使わずアメリカを縦横断した話。

・カナダのファンキーな一家と聖なるクリスマスナイトを過ごした話。

などあるので、また書ければいいなと思います。



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