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「かわいそう」に怒っていい理由

長女と次女&三女は3歳差だ。
双子を妊娠するまでの間、よく言われた言葉がこれ。

「ひとりっ子はかわいそう」

はじめて言われた時は、本当に驚いた。

これまでの人生で『ひとりっ子=かわいそう』という概念を持ったためしがなかったからだ。

「子どもは2人くらいいてもいいかなぁ。ちょっと妊活がんばってみて授からなかったとしても、お金と愛情を存分に注げるし、長女1人だけでもいいな。」

と納得していたので、そんな言葉気にしなくてもいいはずなのに、私は少なからずショックを受け、傷付いてしまったのである。

なぜ傷付いてしまったのか。
かわいそうという言葉は、『同情』だからだ。

共感と同情は似ているようで全然違う。

相手の気持ちを想像して、自分の感情に落とし込み、思いを共有することが共感だ。

一方、同情は個人の感情の押し付けなのだ。「かわいそう」「不憫だ」と憐れんでいるだけ。そこに相手の存在はない。

つまり同情には「相手を思いやる気持ち」がこれっぽっちも入っていない。

同情が相手を傷付けるなんて考えていないし、なんなら良かれと思ってしている人がいる。

そんな人は、まさか自分のことばが刃のように相手の心をズタズタに切り裂いているとは夢にも思わないのだろう。


一人っ子に限らず、子育てをしているとなぜか子どもに向けての同情の言葉をよくかけられる。(小さき弱い守るべき存在だから?)

一見、同情の言葉は子どものことを思って伝えた善意の言葉のようなフリをしている。

そんなもんでは全然なく、むしろ相手のことを理解しようという気持ちのない、思いっきり自分本位の勝手な感情の押し付けなのだから、傷付くのが当たり前だし、なんならその理不尽さに怒っていいのだ。

子どもにかわいそうなことをしているのかと、自分を責める必要はない。

絶対に絶対にそんな必要はない!と強く断言したいのである。

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