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おばあちゃんになつくのが嫌

長女を産んだころの私は、完璧な母親を目指していて「私がこの子を立派に育てあげるんだ!」という気概もあり、そして子に対する独占欲のようなものから、誰にもうまく頼れなかった。

のちにそのやり方が自分自身を苦しめたので、完璧を手放そうと思ってからは、特に義母に頼るように努力した。
そう。あえて努力して人に頼り、甘えるようにした。

義母に頑張って頼るようになってから、確かに体力的には助かるのだけど、どんどん長女が義母になついていくことに寂しさを感じるようになった。
義母は本当に長女に優しく接してくれたし、私の育児方針も聞き入れてくれて、嫌なことは一切しなかった。
なついてくれないと預かってもらえないし、何より自分のおばあちゃんを嫌うような子にはなってほしくないし。
そう考えれば理想的な状況になっているはずなのに、私はさみしくてさみしくて。
とにかく、さみしくてたまらなかったのだ。

「義母の家ではとことん甘えさせてあげてください。甘える場が必要だと思うので。」と伝えていたから、ひたすらに優しくわがままを聞いてくれる義母と一緒にいる時間は、楽しくてしょうがなかったのだと思う。

保育所に私が迎えに行くと、明らかに落胆した顔と声で「お家いやだ!ばあちゃん家行く!!」と駄々をこねることもあった。
ひどい時は泣き叫びながら一緒に帰るのを嫌がるので、母親が子どもにこんなに拒否されている様子を先生や他の親に見られるのは恥ずかしかったし、みじめだった。

「こんなに一生懸命愛を持って育てているのに、たまにしか会わないおばあちゃんの方が好きだなんてどうしてよ!」と、長女になのか義母になのか、憎しみすら感じるようになった。

「そんなにママが嫌ならおばあちゃん家の子になれば。ママの子じゃなくてもいいでしょ。」という禁句も何度か口に出してしまった。
禁句を言ってしまうと、決まって長女はさらに泣き喚いた。
言ってはいけないことを口走ってしまったこと、長女の心を傷つけてしまった罪悪感から、車の中で2人でわんわん泣きながら家に帰ることもよくあった。

今でも当時を思い出すだけで涙が出てくる。
でも、本当に悲しくて辛かったのだ。
言ってはいけないと頭ではわかっていたけれど、目の前で「ママよりおばあちゃんがいい!」と泣き叫ばれ続けると、今までの自分の努力がすべて無駄だったような気がして心が耐えられなかった。
傷付いてしまった。
どんな時でもお母さんを一番に思って欲しかった。
じゃなきゃ「いろんなことを我慢して犠牲にして」がんばって育児をしてきた意味がない。

そして、そう感じてしまった時に「ああ、私の子育ては間違っているかもしれない」と思った。

子どもに対して思いきり見返りを求めていた。自分の思い通りにしたいし、自分のものだという独占欲をまだ持っていることにも気づいた。
冷静に考えれば、長女が私を愛してくれていることもわかっていたはずなのに。

わがままを聞いてくれる優しいおばあちゃんとの甘い時間が居心地が良いのは当たり前で、おばあちゃんが好きだからママが嫌いというわけでもないのに。

「いろんなことを我慢して犠牲にして」子育てをしていたのか。自分が好きで選んだことじゃないのか。そんな自己犠牲の意識を持った子育てって健全なのか。
私はあなたのためにこんなにがんばっているんだから受け止めてよ!と子どもに押し付けるような親になりたいのか。



しばらくすると長女は、おばあちゃん家に行きたいと駄々をこねて泣くようなことはなくなった。
たまたまそういう時期が過ぎたのかもしれないし、私の鬱陶しい独占欲や支配欲から解放されて精神が安定したからかもしれないし、理由はよくわからない。

ただ、今でも長女は、おばあちゃんのことも私のことも大好きでいてくれている。

たまに誰かに「ママとおばあちゃんどっちが一番すき?」などという野暮で悪趣味な質問を投げかけられたりしているが「どっちも1番好き!みんな大好き!」と屈託なく答える長女が心から愛おしいし、誇らしい。

優劣なんてなくて、みんな大好きでいいのだ。もちろんおばあちゃんだけじゃなく、長女はパパもじいじもいとこのお兄ちゃんもみんな同じように大好きだ。
家族のことみんな大好きでいられるなんて、本当に幸せな子だ。

子どもは母親だけのものではないのだ。歪んだ愛情を子に向けてしまうとみんな不幸になる。
そうならないために、子どもだけを生きがいに生きることはやめた。
子育て以外に幸せを感じることや楽しいと思えることを少しずつ増やした。
子どもは私の所有物なんかではなく、一人の人間であることを忘れないようにした。
それを心がけるだけで、長女が義母になつくことが嫌でなくなったばかりか、心底嬉しく思えるようになった。
おばあちゃん子って優しい子に育つともいうしね。


本当に、子育ては自分育てだ。
自分の醜い感情と向き合う機会を、嫌というほど作ってくれる。
でもそのおかげで、子どもを産む前より人間として成長している自信がある。

ああ。ここに書いたことで、改めて自分の弱さを1つ克服できた実感が出てきて清々しい。
なんだかあの頃の苦しさが成仏した感じだ。
うん、子育て楽しいな。今がいちばん幸せだ。




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