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童謡唱歌「こぎつね」

 愛しくて、つい口ずさんでしまう歌がある 

♪ こぎつね コンコン 山の中 山の中
   草の実 つぶして お化粧したり
   もみじの かんざし つげのくし ♪

 童謡唱歌の「こぎつね」である。

 この歌は小学校六年生の時、音楽のテストの課題曲だった。

 テストの方法は、先生が人選した五人が班になり、歌・ハーモニカ・リコーダー・オルガン・木琴のいずれかがテスト時に先生から指定され演奏するというものだった。


 この唱歌自体は難しいものではないが、歌以外に四種類の楽器を演奏しなければならないので、楽器が大の苦手な僕にとっては、とてつもなく難易度が高いテストだった。


 いつもなら、この手のテストにはぶっつけ本番で挑み、悪い点数をもらっても平気だった。

 でもこの時は少し違っていた。

 班に初恋の君がいた。

 彼女は、ピアノとバイオリンを習っており、将来は音楽大学に行くと言っていた。

 当時、将来のことなど何も考えていなかった僕にとって彼女の言動はとてもまぶしかった。

 だから、ちょっとだけ良い所を見せたかった。
 

 テストまでの一週間は、放課後に彼女の指導で練習が始まった。

 班は、女子三名と男子二名だった。女子たちは練習初日に四つの楽器の演奏ができた。

 問題は我々男子の楽器演奏だった。

 ふたりとも、どの楽器も全く演奏できなかった。
 

 初恋の君の指示で、まず木琴から取り組んだが、我々は両手を使っての演奏ができなかった。

 そこで、右手だけで演奏する苦肉の策を講じ、練習に励んだ。

 なんとか練習開始二日目で弾けるようになった。
 

 オルガンは、右手の人差し指だけを使って弾くことができるよう練習に励んだ。

 要領は木琴と同じだったので、一日で弾くことができた。


 この練習の間、初恋の君以外のふたりの女子からは幾度となくため息とともに、「何回やったらできるの」だの「ちゃんとやってよね」などの厳しい言葉で叱咤激励を受け続けた。


 練習が終わって、僕と彼は下校途中ずっとふたりの女子の悪口を言って憂さをはらした。

 今まであまり話しをしなかった彼となにか気持ちが通じるような気がした。


 リコーダーは一日で吹けるようになったがハーモニカに我々はてこずり、日曜日に自宅で練習することになった。

 例のふたりの女子からは「ちゃんと練習するのよ」と偉そうに言われた。


 日曜日に、嫌々ハーモニカの練習をしていると、初恋の君から「がんばってね」と電話があった。

 それからただひたすら練習し、なんとか吹けるようになって翌日登校した。

 もうひとりの男子の彼も僕と同じく腫れぼったい唇で「吹けるようになった」と恥ずかしげに言った。


 テストの時、先生は演奏する楽器は班で相談して決めなさいと言った。

 女子三人が相談して、歌は初恋の君、木琴とオルガンは他の女子、僕はリコーダー、彼はハーモニカになった。


 無事、間違うことなく演奏ができた。

 今までに味わったことのない達成感があった。

 僕と彼は、両手で何回も固く握手をした。
 

 その後は何事もなく月日が過ぎ、「仰げば尊し」と「校歌」を歌って卒業した。


 それから三十年経って同窓会が開かれた。

 初恋の君や彼と会うのは四半世紀ぶりだった。

 彼は僕と同じくこの音楽のテストのことを鮮明に記憶していて、「この歌はよく口ずさむんだ」と、はにかみながら言った。

 「俺も」と僕は答えた。


 同窓会の二次会の時、僕たちはふたりで初恋の君にこの事を尋ねてみると、彼女は全く覚えていなかった。

 どんなに詳細に当時のことを話しても彼女の記憶には一片の出来事も残っていなかった。

 他のふたりの女子には尋ねもしなかった。
 

 同窓会の二次会が終わると、僕と彼はふたりだけでカラオケに行き、「こぎつね」だけを歌と四種類の楽器をまねて何回も何回も歌った。
 

 この歌は、唯一楽器で演奏できた思い出の歌としてずっとこれからも口ずさむことだろう。

                 <了>