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しのりだてからのはこだてやま(はこだてし)
油絵 キャンバス F4 横333×縦242  2015年制作

函館空港の近くに志海苔川があります。

道南の沿岸は、14世紀以降に和人(日本人)流亡者の移住がさかんでした。
渡り党と言われた和人たちは、この志海苔川から西の日本海上ノ国町までの沿岸に12の館を築きました。(箱館<函館>はその名残です)

志海苔舘跡

志海苔川から砂鉄が取れたので、津軽や南部地区から鍛冶屋が集まり鍛冶屋村がつくられたといいます。農具、工具、刀などを打ってアイヌの人たちに、鉄製品などを交易していました。

この志海苔川近くで37万枚の古銭が掘り出されたので考古学者は大騒ぎとなりました。発掘が進み、志苔館の全貌が掘り出され保存されています。

アイヌ民族と和人の大きな戦いは3回ありますが、最初の蜂起が「コシャマインの戦い」でこの館がはじまりでした。

アイヌの少年が鍛冶屋にマキリ(アイヌ刀)を注文します。できあがったマキリは粗末で値段も法外なので、口論となり怒った鍛冶屋が、斬れるか斬れないか試してやるといって、その小刀でアイヌ少年を刺し殺してしまいます。これが誘因となり、アイヌと和人による戦いが始まり、志苔館は攻め落とされてしまいます。

絵を描いた場所は史跡志苔館跡からで、遠方に見えるのは函館山です。
550年前の和人やアイヌの人たちも同じようにこの山を見ていたのでしょう。


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