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212.教祖伝逸話篇に載っていない教祖の逸話「鳴り物について」


はじめに

 みちのだい33号に「古老より聞いたはなし」として、当時の婦人さんが自分の祖父母から聞かせて頂いたお話が沢山載っていました。 まだ稿本天理教教祖伝(以下逸話篇)が発行される前ですので、逸話篇に載っているお話が沢山出てきます。 
 その中に、逸話篇には載っていない教祖の逸話がいくつも出てきますので、何回かに分けて紹介したいと思います。(今回は4日連続更新の3本目です)


鳴り物について


本日紹介するお話は、「飯降(永尾)よしえ氏」に関する逸話
「53.この屋敷から」
「54.心で弾け」
の元になったお話しだと思われます。
特に「54.心で弾け」の背景が見えてとても面白かったので、紹介させて頂きます。

まずはおさらいに「54.心で弾け」はこんな逸話です。

飯降よしえは、明治10年12才の時から3年間、教祖から直き直き三味線を御教え頂いたが、その間いろいろと心がけをお仕込み頂いた。
教祖は、
「どうでも、道具は揃えにゃあかんで」
「稽古出来てなければ、道具の前に坐って、心で弾け。その心を受けとる」
「よっしゃんえ、三味線の糸、三、二と弾いてみ。一ッと鳴るやろがな。そうして、稽古するのや」
と。


おさらいが済んだところで、今日のお話に移りたいと思います。


永尾のぶえより
永尾広海が永尾芳枝に聞いたお話
(前略)
 また、祖母は、最初に教祖から、直接鳴物をお教え頂いた中の1人でした。明治10年、12才の時の或る日、指先が痛んで仕方ないので教祖にお伺いに上った処、
「三味線を持て」
 と仰言った。早速その心を定めたが、当時、庄屋敷村には三味線を教えてくれるところがないので、
「郡山にでも習いに行きましょうか」
とお伺いすると、教祖は、
「習いに行く三味線やない」
と仰言って、御自身で手をとって教えて下さったのが、おつとめの三味線でした。それから3年間、教祖からじきじきお教え頂いたそうですが、その間に祖母はいろいろと教祖にお伺いしているようです。
後年、祖母に鳴物について尋ねると、
「おやさんは『どうでも道具は、揃えにゃあかんで』と言わはった」
と、きっぱり言いきかせてくれまして、更に
「鳴物の手が揃わぬ時はどうしますか、と伺うたら『芯だけはどうしても持たにゃあかんで。後の道具は、出しておくだけでもその理は受けとる』と言わはった。そやけれども、鳴物の手も揃わぬような事では申し訳ないのや、早く人数も揃うて、勤めるようにならんあかん、手が揃うでも、鳴物の稽古が出来てないとつとまらん。そこで、稽古がまだまだ出来てない時は、どうしたら良いでしょうかとお尋ねしたんや、すると『稽古出来てなければ、道具の前に坐って弾け、その心を受けとる』と言わはった。そやけどな、早く鳴物を揃えておつとめすることをおやさんは待ちかねて下さっているのやで。」
と話してくれました。また教祖は、
「芳やんえ、三味線の糸、二、三とうってみ、一つと鳴るやろがな、そうして稽古するのや。三味線は芯やで」
 と仰せ下さったそうです。祖母は、もったいなくも“鳴物の芯”とのおことばを頂き、生涯つとめ人衆として尊い理をつとめさせて頂きました。

質問と答え


逸話篇「54.心で弾け」では、教祖の御言葉だけが載っていますが、実はそれが飯降(永尾)よしえさんの質問に対する答えだという事実は、面白いと思いました。

質問と、それに対する教祖の返答をピックアップしたいと思います。

よしえ
(鳴物について尋ねる)
教祖 
「どうでも道具は、揃えにゃあかんで」
よしえ
「鳴物の手が揃わぬ時はどうしますか?」
教祖  
「芯だけはどうしても持たにゃあかんで。後の道具は、出しておくだけでもその理は受けとる」
よしえ 
「稽古がまだまだ出来てない時は、どうしたら良いでしょうか?」
教祖  
「稽古出来てなければ、道具の前に坐って弾け、その心を受けとる」
「芳やんえ、三味線の糸、二、三とうってみ、一つと鳴るやろがな、そうして稽古するのや。三味線は芯やで」

ここ注意しすべきことは、教祖が鳴物を弾く手が足らなくても、稽古ができてなくても良いと言われていますが、これを準備段階(人を集めたり稽古する時間がある状態)で用いてしまうのはナンセンスです。

「そやけどな、早く鳴物を揃えておつとめすることをおやさんは待ちかねて下さっているのやで」
と永言われているように、教祖が鳴物を揃えておつとめされることを望んでおられることは明白です。

手や稽古が足りなくても良いというのはあくまで、子供達(人間)に対しての親心であることを忘れてはいけないと思います。


鳴物の芯に関する謎


逸話篇には出てこなかった教祖の御言葉が、
「芯だけはどうしても持たにゃあかんで。後の道具は、出しておくだけでもその理は受けとる」
「…三味線は芯やで」

この二つなのですが、「芯」とは一体何なのか気になるところです。

「芯だけはどうしても持たにゃならん」
教会の朝夕のおつとめでは、拍子木が必ず入りますし、教会本部の定時のおつとめでは、鳴物は拍子木だけ鳴らされます。

そういった現状から考えると、芯は拍子木かと思ったのですが、「三味線は芯やで」というお言葉が出てくるので、何がなんだか分からなくなってしまいました。

「三味線だけはどうしてももたにゃならん」
であれば、月次祭であっても難しい教会が多数派だと思います。

また、文字で読むと「芯だけはどうしても持たにゃならん」と「三味線は芯やで」が繋がって読み取れてしまいますが、もしかしたらこの二つの言葉は、全く違う文脈で話されていたのかもしれません。
三味線は「女鳴物の芯」とも考えられますので、そのように考えれば「拍子木が鳴物の芯」との矛盾は無くなります。

しかし、そもそも「芯だけはどうしても持たにゃならん」の芯が拍子木を指すというのも仮説でしかないのでお手上げ状態です。

どなたか詳しい方が居られましたら、是非教えて下さい。
※教理マニアの情報お待ちしてます(`_´)ゞ


まとめ


今回は、
「逸話篇『54.心で弾け』の内容は、実は教祖と永尾よしえ氏の問答だった。」
これが言いたいためだけの回でした。

逸話篇の背景や物語を知ることで、より一層教祖のお言葉が心に残ると思います。
少なくとも僕はそう思っているので、今回のような背景情報を紹介する記事も、見つけ次第共有していきたいと思います。


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本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!


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