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【第5回:歌川国芳】おしえてトーハク松嶋さん!

おしえて北斎!-THE ANIMATION-」は、絵師になることを夢見るダメダメ女子高生の前に、歴史上のスーパー絵師たちが次々と登場し、絵が巧くなるコツと夢を叶えるためのヒントを伝授していく、“日本美術”と“人生哲学”をゆるく楽しく学べるショートアニメーションです。

監督は、原作の著者にして生粋の日本美術マニアでもある”いわきりなおと”。そして、本作の日本美術監修をされたのが、東京国立博物館(トーハク)研究員の”松嶋雅人”さん。このお二人が、本作に登場するスーパー絵師たちについて語るロングインタビューを8回に分けてお届けします。

第5回目は、第5話に登場するスター絵師”歌川国芳”(1686年~1769年)。幕末屈指の人気浮世絵師。江戸っ子気質で親分肌、奇抜な発想と猫好きでも有名。

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歌川国芳ここがすごい!
監督:第5話は「アイディアは掛け合わせ」がテーマ。歌川国芳は、原作の着物姿から一転、ラッパー風の容姿に変更しました。また、べらんめえ口調で猫好きという史実をそのままキャラクターにしています。国芳の面白さは、美人画から、ダイナミックで豪快、そして、ユニークな絵まで、レパートリーの幅が非常に広い奇抜な絵師であることです。猫好きが高じてたくさんの猫の絵も描いています。好きなことを掛け合わせることの大切さを伝えられるよう、国芳に登場してもらいました。

猫のけいこ

松嶋さん:元々、絵は権力者やお金持ちが注文するものでしたが、国芳が活躍した江戸時代に入ると、町人(今でいう庶民)が浮世絵などを買うようになっていきます。つまり、これまで話してきた江戸時代以前の狩野永徳らの絵師と、国芳ら浮世絵師は、需要の対象が大きく異なる。面白いことに、この時代、庶民が絵を買い集めて鑑賞するという文化が発展していったのは、ほぼ日本だけだといっていいと思います。当時のヨーロッパで、絵は王侯貴族やお金持ちが所有するものでした。もちろん、一般市民の間にも絵はあったのですが、そこまでクオリティの高いものが出てきませんでした。一方で、国芳らの浮世絵は、商売として成立するほどクオリティが高く、高度な木版画の技術によって大量生産され、江戸庶民にも手が届く価格。販売日になると、町人がこぞって買いに行く程でした。特に人気だったのが、歌舞伎の役者絵です。幕末期の浮世絵師の中でも国芳はトップクラスの人気絵師でした。その所以は、アイディアが凄まじかったからですが、国芳の場合はゼロから新しいものを作り出すのではなく、本作で描かれているように元ネタをたどれる作品が多くあるんです。浮世絵が多種多様に発展する上でまず葛飾北斎の存在があるので、北斎の絵を見て、自ら北斎の浮世絵を写しています。いわゆる「サンプリング」しているということです。それは日本の絵画における「型」と同じ。ただ、国芳の違うところは、その「型」に好きなものを掛け合わせたら面白いということに着目して、いろんなものに当てはめています。だからこそ、国芳はこれだけのバリエーションと奇想天外な作品を生みだすことができたんですね。

相馬の古内裏

監督:松嶋さんがおっしゃったサンプリングですが、ヒップホップの世界でも、過去の曲や音源の一部を流用し、新たな楽曲を作り出す表現技法をサンプリングといいます。アニメーションで国芳をラッパー風にしたのはそれが理由ですね。

松嶋さん:原作でも、国芳は「アイディアは降りてくるもんじゃねえよ!」というセリフを言っていますが、オマージュしながら自分の表現にする方法論は、サンプリングの一つの核となるものではないでしょうか。

国芳はアルチンボルトの絵をみたのか?
松嶋さん:江戸の初期は西洋の文物の管理は厳しかったんですが、享保の改革(1716年~)以降ようやく流通するようになりました。享保時代に、将軍吉宗が発注した油絵が本所にあった五百羅漢寺に下賜されて、それを谷文晁という絵師が後代に模写したものが現在にまで遺っています。幕末になると西洋の文物が沢山入ってくるんですが、庶民がおいそれと観ることができたというわけではありません。では国芳はどうやって見ていたかというと、梅の屋鶴寿というパトロン的な存在がいたり、幕府関係の知り合いもいたりして、そのツテで見ていたのだと思います。推測なのですが、恐らくアルチンボルド風の絵が日本に入ってきて、それが「なんちゃって」で写されたりもして、国芳はそれを知っていたのだと思います。この時代、電子的なコピーができない分、逆に情報を得るためにみんな必死だったんですね。当時の人々は、当時の方法で見たいものを見ようとする努力をしていた。知りたいことに対して強い情熱もありますし、商売である以上、売れることが大事という考えもありますから商品のネタとしても注目していたと思います。

みかけハこハゐがとんだいゝ人だRR


江戸時代に庶民にまで絵が普及していたのはなぜ?
松嶋さん:世界でも有数の商業的に完成された市民社会だったからだと思います。階級社会でしたし、自由がきかない時代ではあったのですが、江戸の人々は完璧なまでに時代を謳歌していたともいえるでしょう。政府による統制があったから商業が発展できたのかもしれません。幕末以降は、海外の変化と圧力によって、西洋的要素を受け入れないと侵略されてしまうという危機感が生まれる。政治家、技術者、画家、絵師、そして高橋由一や、これから出てくる黒田清輝もそうですが、その時代の人々は国のためにという意識は凄く強かったと思います。

★第1回:尾形光琳はこちらから
★第2回:高橋由一はこちらから
★第3回:狩野永徳はこちらから
★第4回:白隠慧鶴はこちらから

次回、第6回は4月9日(金)更新予定です。

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