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福島 飯舘村滞在 2019夏至

避難指示が2017年3月に解除された飯舘村に、夏至前後に滞在してきました。

東京から乗用車で福島へ、一泊二日の旅程。

グーグルマップに印づけ。緑色旗🏳は原子力発電所、黄色星☆やピンク色♡は、立ち寄った場所。

福島 浜通りを北上し、飯舘村へ。

東京都北区→首都高→常磐自動車道→(広野I.C.)→(国道6号)→(楢葉町)→天神岬スポーツ公園みるーる天神→やぶそば[昼食]→ならはCANvas→(富岡町)→夜ノ森桜通り→夜ノ森駅→(浪江町)→まち・なみ・マルシェ[買い物]→(相馬焼窯元があった大堀地区)→(飯舘村)→虎捕山津見神社→飯舘村役場

飯舘村宿泊

飯舘村→(南相馬市)→(浪江町)→請戸漁港→浪江町営大平山霊園→(富岡町)→滝川ダム→さくらモールとみおか[昼食]→(広野I.C.)→常磐自動車道→首都高→東京都北区

楢葉町 <ならはまち>では、コメリ、コミュニティセンターならはCANvasに立ち寄り、すぐ近くには平屋の分譲住宅が整備されていました。

天神岬から、木戸川河口の防潮堤越しに広野火力発電所を遠望。10メートル超の津波が押し寄せた河口。

開店と同時にお邪魔した やぶそば で舌鼓。

楢葉町から富岡町へ

帰還困難区域の住宅門扉前にはバリケード。

JR常磐線  夜ノ森駅。解体された木造駅舎が黒いフレコンバッグ(トン袋)に詰められ仮置きされていました。

太陽光発電畑と化した帰還困難区域の田地。誰の為に発電されているのだろうか?

白い仮囲いの中は、除染土トン袋の山。

いったいどれほどの土が、放射能汚染されたのか、想像をはるかに超える量を目の当たりに絶句。

飯舘村の長泥地区は帰還困難区域のため、一般車両は通行止め。引き返して別のルートで沼平地区を目指しました。

滞在させていただいた民家に到着。手入れされた庭。川のせせらぎが聞こえる心地よい場所。

屋外空間線量を測定。

民家前の公道。地上1メートルで毎時0.91マイクロシーベルト。

畔の地表面では毎時2.42マイクロシーベルトへ跳ね上がりました。

除染された民家の駐車場地表では毎時0.283マイクロシーベルト。除染効果を目の当たりに。

民家の駐車場地上1メートルでは毎時0.455マイクロシーベルト。土壌除染した場所で、地面よりも地上1メートルの線量が高いのは、周囲の除染されていない森からの影響を受けるためと教わりました。

年間被ばく量1ミリシーベルト以下を目指すならば、毎時0.23マイクロシーベルト以下が目安なので、除染したとはいえ居住するには高い線量。

それを承知で、ここに暮らし、空間線量や山菜、樹木、食品などの放射線量を計測されている民家管理人の矜持に、ただただ感服。

お世話になった管理人らと飯舘村の虎捕山津見神社へ。

狛犬ならぬ、狛狼🐺

311後に、神社が火災にあい、再建された拝殿には、天井に狼の絵が復元されていました。

ご朱印とお守りを拝受。

民家へ戻り、晩御飯。就寝。夏至の朝は5時に起床。シャワーを浴び、朝食をいただき出発。

福島第一原子力発電所を遠望できる場所へ。

浪江町請戸港へ。

道路の先、クレーンが林立するのが福島第一原子力発電所(イチエフ)。約8kmの近さなのに空間線量は毎時0.128マイクロシーベルトと予想より低い。道路左手海岸添いに続く白い仮囲いの中は除染物の黒いフレコンバッグ群。

請戸地区は、311から8年たっても津波瓦礫が残る現実。

廃校となった請戸小学校。津波時は先生の誘導で高台へ避難して助かった生徒たち。

生徒らが避難した高台は町営の墓地に。

浪江町から富岡町の滝川ダムへ。

はるか海の方を仰ぎ、イチエフを視認。

昼食は、さくらモールとみおか でラーメンをいただき、帰路に。

常磐自動車道 つくば辺りの空間線量は、一般車内で毎時0.074マイクロシーベルト。

都内に戻り、車内空間線量は毎時0.058マイクロシーベルト。

一泊二日で飯舘村へ行くにあたり、被ばくするよ、と心配されました。

が、ニューヨークへ往復する飛行機の外部被ばく量と変わらないと思って、お邪魔してきました。

うつくしま、ふくしま。30年余り前の観光キャッチフレーズです。

放射能汚染されていなければ、と悔やまれますが、浜通りと飯舘村を訪れて感じたのは、地元の方々の人柄のよさ。

また伺いたくなる福島です。