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「0」は、いつまでも「0」であり続けるわけでもない

「0に何をかけても0」。
それはそう。
でも、「0を0である」と決めているのも自分でしかない。

数日前のつぶやき

「0に何をかけても0」。
この言葉を諦めのように使っていた。

  • あの人には何を言っても伝わらない。

  • やる気がない人にはアドバイスなんて響かない。

  • 自己理解は自分でやるしかない。

これらは、その通りのこともある。
でも、この前提である「0」を(相手にも自分にも)決めているのは、自分でしかない。

もし、手間ひまかけて、時間もかけてきたものが「0」だったとしたら、それは虚しいだろう。

逆に、「0でないもの」についても考えてみる。
「0でない」、その状態を維持するためには努力が必要だ。

胸の火を燃やし続けるのは、容易たやすいことではない。
「燃える」と「燃やし続ける」はちがう。
瞬間的に自分の内側から火がつくことがあっても、燃やし続けるためには外側から資源を手に入れることも必要になってくるのだと思う。
言い換えれば、「自分の外側からの資源も頼りにして、自分の胸の火を燃やし続けることができる」ということだ。

すべてのことは贈りもの

「0」は、いつまでも「0」であり続けるわけでもないのだと思う。
いつしか「1」になっているかもしれない。
また、「0」に見えているだけで、本当は「0.1」なこともあるかもしれない。
そんな時のための「種まき」をしておくこと。
それも大事なことだと思った。

*

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