多面体なわたし…?
今朝、こんなことを書いていました。
(ちなみに調べてみたら、三角錐は多面体、円柱は違うようです)
人間は多面体でしょうか?
そうかもしれません。
自分は多面体、と思う瞬間は、
みたいなときです。
多面体であるからこそ救われる、ということはあります。
こっちで居心地が悪くなったらあっちへ行こう、とゆらゆら漂うことができる気がします。
一方で、全体性・ホールネスに惹かれることもあります。
仮面を外して、いつでも同じ自分でいられたら…
隠し事もないし、自分を良く見せようと虚勢を張ることもない。
そんな風に生きられたら心地よいかもしれません。
なんとなく今、思うこととしては、
多面体でも全体性でもいいじゃない、ということ。
というか、どちらも持ち合わせているんじゃないか、と思います。
人って、ある一つのカタチでずっといるわけじゃなくて、
多面体のときもあれば、球体のときも、点のときもあるような気がします。
多面体でも球体でも、私はわたし。
いつだって、どこまで行っても、どんなカタチでもわたし。
ひとつのカタチを保っていられなくて、時に世界が侵入してくることもあるのかもしれません。
それでいいじゃない、と思うのです。
それだけです。
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