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多面体なわたし…?

人間は多面体か。
球体か、三角錐か、円柱か。
三角錐も円柱も多面体と呼ぶんだっけ?
そもそも立体なのかな。
平面なのかもしれない。
点なのかもしれない。
全体性、ホールネスということばがある。
ティール組織の中で出てきた。
全体性、仮面をはずしていきましょう。
読んだときは、納得と言うか、いいものだなーとも思ったけれど、
仮面をすててしまう必要もない、と書いたこともあるなー。

今朝、こんなことを書いていました。
(ちなみに調べてみたら、三角錐は多面体、円柱は違うようです)

人間は多面体でしょうか?

そうかもしれません。
自分は多面体、と思う瞬間は、

Aさんには仕事の話はできるけれど、恋愛の話はできない
Bさんには逆に恋愛の話はしやすいけど、仕事の話はできない

みたいなときです。
多面体であるからこそ救われる、ということはあります。
こっちで居心地が悪くなったらあっちへ行こう、とゆらゆら漂うことができる気がします。

一方で、全体性・ホールネスに惹かれることもあります。
仮面を外して、いつでも同じ自分でいられたら…
隠し事もないし、自分を良く見せようと虚勢を張ることもない。
そんな風に生きられたら心地よいかもしれません。


なんとなく今、思うこととしては、
多面体でも全体性でもいいじゃない、ということ。
というか、どちらも持ち合わせているんじゃないか、と思います。
人って、ある一つのカタチでずっといるわけじゃなくて、
多面体のときもあれば、球体のときも、点のときもあるような気がします。

多面体でも球体でも、私はわたし。
いつだって、どこまで行っても、どんなカタチでもわたし。
ひとつのカタチを保っていられなくて、時に世界が侵入してくることもあるのかもしれません。
それでいいじゃない、と思うのです。
それだけです。

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