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心を込めて(4/7のデッサン)

4/7

昨日から実家。
今日の昼、のど自慢を見ていたら泣けてきてしまった。
心を込めて歌う姿たちに。
心がこもっているものって、心を動かすんだね。
最近は心のこもったものに触れられていなかったのかな。
わからない。
でも、今日聞いた人たちの歌には心がこもっているように感じられた。
誰かのために心を込める。
「呼ばれてもないのにヒーローぶって精一杯」って感じ。
歌っていた人たちは、誰かのヒーローだったと思う。
誰かのヒーローになるって、誰かのためという思いがあって、でもそれが本当に誰かのためになるという保証なんてないけれど、精一杯に表してみることなのかもしれない。
かっこよかった。
歌の上手い下手に関係なく、心のこもった歌声に惹かれた。
YUKIも言ってたよね。
「今日もお上手に歌うのではなく、心を込めて一曲ずつ、大切に、今という時間を過ごしたいと思います。一生懸命歌います。」
心を込めて生きていくって、難しいと思う。
心を込めずとも生きていけるから。
心を込める方が難しいと感じるのだとすれば、心を込めずに生きていく方に流されてしまうかもしれない。
心を込めた生き方。
心を込めない生き方。
みんなはどんなふうに生きているのだろう。
自分はどんなふうに生きたいのだろう。
心を込めたい。
心を込めるって、どんなことだろう。
一生懸命心を込めても、心を込めたようには受け取られないこともあるかもしれない。
その逆も。
心の込め方も、その受け取り方も様々で。
でも、ヒーローぶろうとするとき、自分自身は一生懸命心を込めたかどうかはわかっている。
伝わらなかったら悲しい。
でも、心を込めずに伝わるものがあったとしても、うれしくは感じないように思う。
心を込められるものに出会えることも素晴らしいことだと思う。
心を込めたくないことにも出会うから。
心を込めたくないからといって、自分から心を込めることを避けてばかりいるのは、ただのわがままかもしれない。
心を込めたいと思えるものと出会おうとすること。
心を込め続けられるようにすること。
そういう努力だってできるはずだから。
というか、多分、努力なしに心を込め続けることなんてできないのだとも思う。
心を込めた生き方ができるように努力しよう。

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