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私の体験③ 祖母との会話

こんにちは🦄✨

少しずつ秋らしくなってきましたね🌾
ブログを書くことはとても楽しいのですが、エネルギーをかなり使うのでなかなかうまく進められずにいます。
地道に続けて参りますのでどうぞよろしくお願いします。

私の体験②の続きです。
※このブログは私の視点での出来事なので、フィクションとして読んでいただければと思います。

祖母のベッドで話したこと

当時よく覚えており祖母に話したのは、後々に何度も夢に見たり占い師さんにも伝えられる、おそらく今回の人生に一番関係のある人生についてでした。

はじめは祖母の質問に対して答えていったのですが、記憶がたくさん蘇って来て感情をコントロールできずに話し続けたことを覚えています。祖父が途中で話しかけてきて、その場にいたことに驚いたことも。うまく言えないのですが、今思い出しても宇宙的なとても不思議な時間でした。

私の覚えていた人生は縄文時代、小さな村で巫女をしていたようでした。
原っぱを見つけて踊り神様と繋がって雨を降らせたりしていたこと。
良い感じの原っぱを見つけるのが大切だったこと。
いつも大きなプレッシャーの中にいて、孤独で辛かったこと。
生贄を選ぶ役もしており、一度選んだ子供の母親に強く睨まれたこと。
彼女の呪いのようなものを強く感じていたこと。
カタカムナだと思うのですが、神主のような年配のおじさんに呪文を教えてもらいそれをよく唱えていたこと。
長すぎて全部覚えられなかったこと。
祖父母に「人はどんな暮らしをしていたの?」と聞かれ、「今とあんまり変わらないよ、みんなで集まってご飯を食べたり話したり一緒だよ」と答えたこともよく覚えています。
子供を産むことを許されていなかったようで、そのことを村の女の人たちが可哀想にと思いやってくれたこと。
みんなが揉めて一度暴動?のようなことが起きたこと。
大好きな人がいたこと。その人とは一緒になれず、悲しかったけど忘れて楽しんでいたら、その人が他の人と家族を持ったことを知らされパニックになったこと。
その時に殺された?お腹を刺されて、とても痛かったこと。
その事件は何かの争いの最中だったこと。
最後、死ぬ時に今の思いが一番大事だと思い、「どこかでまたあの人と必ず結ばれる!!」と強く強く願ったこと。

「あの人はどこにいるんやろう?」と話すと「Uちゃんの運命の人やな」と祖父は言い、その時に”運命”という言葉を知ったように思います。
祖母は念が強すぎると思ったのか、明るい祖父とは対照的に何かを考えているようでした。

祖父は私が中学生の頃、宜保愛子さんの本を読んでいたり、地元のパワースポットの話を聞いて興奮気味にパンフレットを見せてきたり(私と同じように父に馬鹿にされて、それ以降そのことについては話さなくなっていました)
今で言うスピリチュアル好きだったのだと思います。
祖父は卑弥呼か?邪馬台国はどこかわかるか?と興奮気味に聞いてきました。(完全に月間ムーの世界です)

後々に調べて知ったのですが、当時は巫女はどの村にも一人はいるめずらしくない職業で、一般的に想像する踊って神様をおろすシャーマン的な仕事以外に性的なことを通して祈りを捧げたり、巫女自身が生贄になるなど、私の記憶と共通点がとても多かったです。また憑依した状態のことは覚えておらず、自分を空っぽにする癖があることも巫女の過去世の影響を受けている人の特徴のように思います。

当時話した会話で他によく覚えているのは、子供のことについてです。
子供は2人いたけれど流産?させられて、、3人目の子供だけ一生懸命隠して産み、優しい家族に育ててもらった話をした記憶があります。
子供って育てるのは大変でしょ?と。
まるで自分で育てないことを得意げに話していて、その時代の私の認識は今と違ったのだと思います。
祖母に「自分で育てられなかったんやね?」と言われ、はっと気付き「本当は自分で私も育てたかった!!」と号泣したことを覚えています。
祖母は自分も二人目の子供を赤ちゃんの時に亡くしたことをその時、話してくれました。
私と祖母は子供を失う悲しみを共有し、ベッドの中で一緒に泣きました。
当時70近い祖母と保育園児の孫が子供のことについて泣くという状況は祖父母にとって、とても印象的なことだったのではないかと思います。

小学校高学年頃でしょうか。父の名前は三男の意味が付く名前なのですが、次男のはずなのにどうしてだろう?と疑問に思い、祖父母に確認したことがありました。
その時に祖父母は少し間を置いた後に、次男のことを隠して違う意味の由来を説明してくれたのですが、祖父が「Uちゃん(私の名前)、忘れてまったんやな」と話していて。当時はすっかり忘れていたので何のことだろう?と思っていましたがきっとこの時のことを二人は覚えていてくれていたのだと思います。

縄文時代の人生以外にも死んだ後のことも覚えていました。
当時はその人が神様だと思っていたのですが、光の中?を越えた先に雲の上のようなところがあり、そこにいたおじさんに「なんでこんな目に合わせた!!」と一番に怒った記憶があります。
おじさんはわかったわかったという感じで「ゆっくり休んでいきなさい」と言い茶色いテレビ?のようなもので私の人生の振り返りVTRを見せてきて。
それを見て周りの人たちが考えていたこと?何が起きていたかを理解して、なるほど〜と思いました。

祖父から他の人生も覚えているか聞かれ、おそらく江戸時代の記憶と直前の大正時代?の記憶の話もしていたと思います。
大正時代は気功のようなことをしていて、この話をした後に詳しく覚えていないのですが神様を感じる出来事があり祖母に呼吸法について知らないか?と聞いたような覚えもあります。

大正時代は最後、戦争前か大震災前に予知してしまい、誰か重要な方に電報?で伝えた後、逃げた先で銃で殺されているのですが、それもトラウマのようでまた見つけて殺されるのかと思い出しながらパニックになった記憶もあります。

祖母は最後に子供ができたのならとおそらく生理について聞いて来たのですが、私はそのことを覚えておらず、、祖父が昔はなかったんかな?と言い、祖母がそんなわけないやろとキレていました。笑
生理を覚えていなかったことで、祖母の中では私の思い込みという結論に至ったようで、そのことも寂しく思っていたことを覚えています。

話が細かすぎて、うまくまとめられず、すみません!!
長くなるので今日はこの辺で。

次回は記憶を思い出してからの不思議な体験について、その後は病気発覚時に起きたこと等書いていきます。
常識的に考えると説明がつかないことばかりでよく普通に生きてるな…と自分でもいつも思います。(誰も褒めてくれないので、毎日自分を褒めています)

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今日の一曲✨
サンボマスター 『花束💐』
歌詞もPVも最高です!!

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