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【聖安彦良和信仰】【安彦良和論】4(全5)「機動戦士ガンダム」の「最高善信仰」と「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」



第四章 カトリックロゴスガンダムの研究

白馬に乗る誠実と真実の騎士(白いモビルスーツ)

"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."

"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."

1 ガンダムに於ける「ニュータイプ信仰」または「聖人信仰」の在り方

名古屋テレビ制作である。
私は当時愛知県名古屋市守山区小幡に在住しており小幡小学校に通学していた。
同級生には陸上自衛隊守山駐屯地の自衛隊団地から通学している人も多くいた。
そういった意味でこの量産型兵器(ザク)をマスター兵器(ガンダム)が撃破していくストーリーは痛快を感じた。

ガンダムにおける「信仰」とは?
ジオン・ズム・ダイクンの宇宙移民ニュータイプ論における人類の革新は「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」だったのだろうか?
それともアムロ・レイの「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」が「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の普遍的信仰となることを示しているのか?
それともシャー・アズナブル(キャスバル)やランバ・ラルなどの織りなす人間模様の在り方が「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」の在り方としてあったのだろうか?
そこには獣(人)が「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」であるために「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」を克服するため「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を至上とする生き様が描かれているということだった。
「機動戦士ガンダム」は「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の受肉した「時の徴」の聖人伝であるのだ。
内面に「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」があるのはどちらだろうか?

シャー・アズナブルの場合
シャー・アズナブルは実はジオン・ズム・ダイクンの息子であるキャスバル・ズム・ダイクンでありセイラ・マスを名乗っているジオン・ズム・ダイクンの娘アルデシアの兄である。
彼にはその人生において経験した記憶からジオン公国のサビ家と戦う理由があるのだ。
(後述するがシャー・アズナブルは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の受肉した「時の徴」の聖人ではない。
彼は「前衛詐欺(屁理屈)」という堕落者なのです。

2 「機動戦士ガンダム」の概略 カトリックロゴス感覚(Holy Communion)のサムエル記「ダビデとゴリアテ」と新約聖書福音書

「機動戦士ガンダム」の概略を言えばアムロ・レイが戦闘兵器モビルスーツガンダムに搭乗し敵戦闘兵器と敵兵士を撃破していく内に最高善の信仰として成長し又ニュータイプ (「Holy Communion」の聖人) という人類の革新した形態へ進化していくシナリオとなっている。
主人公の活躍を描くことによって人類が「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」が引き起こす戦争とその軍需産業の中でニュータイプ (「Holy Communion」の聖人) となっていく話であるのだ。

アムロ・レイの場合
(後述するがアムロ・レイは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の受肉した「時の徴」の聖人でありダビデが原型である。)

ニュータイプの原型は「ダビデ」と「イエス・キリスト」である。

"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."

"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."

「旧約聖書サムエル記」ダビデによるゴリアテ屠殺

「イエス・キリスト」は〈「悔い改め」とそれに対する「自己愛」としての「隣人愛」〉を説いた。

"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."

"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."

「最大の掟」「良きサマリア人」

ダビデはイエスでありイエスはダビデである。メシア(キリスト)の存在を示している。

ダビデはイエスでありイエスはダビデである。
メシアの存在を示している。
ここで明らかとなる人間が形成する「敵対感覚(原罪)」はアムロ・レイの中にあるのだ。
アムロ・レイは地球生まれの宇宙移民である。
それはエリートの家系であることを意味している。
そしてガンダムの開発者はアムロの父である。
「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」とその堕落を問う時にそこに信仰の在り方を問うことが必要となる。
「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」とはその信仰を至上としなければ真の信仰とは言えない。
最高善の神を至上とした「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」は自らを最高善の神に問われる。
それがニュータイプとしてのダビデである。
それともそこにはただ新人類の進化としての「前衛詐欺(屁理屈)」の「優性人種」であるのだろうか?
それは騙し抜く天才という意味でしかない。
ニュータイプの可能性が特殊詐欺の天才だろうか?
「機動戦士ガンダム」はカトリックロゴスとプロテスタントの間の評価に於いて決定的な違いが生まれるアニメシナリオであった。
ザビ家のジオン公国は、品性下劣の克服を「前衛詐欺(屁理屈)」のニュータイプ (優性人種) としたネオ・ナチズムの思想である。
それは人類の進化を示している。
しかしそれは騙し抜く天才ヒットラーと騙し抜く天才ゲッペルスである。
一方で地球連邦軍は腐敗したエリート既得権益と言われている。
そしてそれは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の堕落を意味している。
ではザビ家の「前衛詐欺(屁理屈)」の優性人種と地球連邦軍の「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の堕落したエリートは何が違うのか?

3 「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のニュータイプ (「Holy Communion」の聖人)の定義

ニュータイプ (「Holy Communion」の聖人) の可能性はジオン・ズム・ダイクンの「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」にあり、宇宙移民の進化による「前衛詐欺(屁理屈)」の優性人種を意味してはいないのだ。
そこがこのシナリオの解釈の肝となる。
ジオン・ズム・ダイクンを「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」へ導くメシアと見るのか?
メシアは最高善の神を信仰し「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」を至上とすることで最高善の神に問われる。
「Holy Communion」を受肉した「時の徴」の「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」として「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」を受肉する。
それともジオン・ズム・ダイクンが唱えたニュータイプ論をネオ・ナチズムのアーリア(高貴さ)と見るのか?
ニュータイプ (「Holy Communion」の聖人) を「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」としてみればアムロ・レイは「前衛詐欺(屁理屈)」の堕落を兵士として戦う内に最高善の神に問われていく。
そこに「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」への感性と「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」への嫌悪の信仰を明確に持つに至る。
しかしニュータイプをネオ・ナチズムのアーリア(高貴さ)としてみればアムロ・レイは進化した人類として「前衛詐欺(屁理屈)」の優性人種とされる。
ただ「前衛詐欺(屁理屈)」の優性人種思想は「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」と言える。
そして「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」を嫌悪し禁ずるメシアの弾圧も「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」と言える。

4 プロテスタントとしてのキャスバルの存在

高貴な出自のキャスバル・ズム・ダイクン(シャー・アズナブル)が出てくる。
彼はジオン・ズム・ダイクンの直系の息子のキャスバルである。
しかし彼はサビ家の謀略で失脚して名を変えてジオン軍に入隊している。
キャスバルがシャー・アズナブルに入れ替わるのだ。
しかし彼の「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」はアムロ・レイ同様に問われているだろうか?
シャー・アズナブルはその「敵対感覚(原罪)」を問われない。
よって「前衛詐欺(屁理屈)」の存在として描かれている。
彼の戦績はモビルスーツという最新兵器をいち早く取り入れたことで成り立っている。
それは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」ではなく「前衛詐欺(屁理屈)」のオマージュ(印象操作)である。
「赤い彗星のシャー」は最新兵器が可能にした英雄であって「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のニュータイプ(「Holy Communion」の聖人)としてあるものではない。
「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のニュータイプ(「Holy Communion」の聖人)とは「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」のダビデであるのだ。
シャー・アズナブルは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」であるダビデではなく「前衛詐欺(屁理屈)」の最新兵器である「赤いザク(シャーザク)」によって英雄となった。
そして彼は何か「前衛詐欺(屁理屈)」の正当性のある目的を持っているとされている。
その「前衛詐欺(屁理屈)」の正当性が「前衛詐欺(屁理屈)」の堕落した心理を至上とした黒ミサカルト(醜悪を美化する幇間、美を醜悪化する幇間)となり教祖と教理の在り処とされている。
しかし彼は早熟な士官兵でしかなかったのだ。
彼の早熟はキャスバルとして受けた「前衛詐欺(屁理屈)」の英才教育にありそれが彼の「前衛詐欺(屁理屈)」の核心であった。
シャー・アズナブルはキャスバルとして受けた教育で他者より先に知っていただけであるのだ。
しかしそれが「無知の知」ではないという意味である。
最初に食卓(信仰)に来なかったものは最後となるのだ!
そして彼は「前衛詐欺(屁理屈)」の堕落した心理を至上とする「敵対感覚(原罪)」として生き抜くのだ。
彼は「前衛詐欺(屁理屈)」の堕落への敏感さや「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」への嫌悪の「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を持たず、しかしザビ家のジオンの「前衛詐欺(屁理屈)」のニュータイプ (優性人種) も信じていない。
彼は何がしたいのだろうか?
ガルマを殺し、キシリアを殺し、ザビ家への復讐であった。
そして「逆襲のシャー」における「小惑星アクシズ落とし」の際のセリフである「忌まわしい記憶と共に!」とは一体何のことだろうか?
それはこの映画が「堕天使ルシフェル」であり「破綻シナリオ」であることを示している。
こうなるとニュータイプ(「Holy Communion」の聖人)を理解できない制作陣が用意したシナリオは「破綻シナリオ」だったと感じさせる。
なぜ「破綻シナリオ」になるのかの理由をお教えしよう。

Sa・tan [séitn]〓
―n.
1 (キリスト教で)サタン,悪魔(▶the devil の固有名詞);悪魔のような人間:Satan reproving sin 罪を責める悪魔(自分の弱点・欠点を棚に上げて人を非難する人のこと):〓
2〖軍事〗 セイタン:旧ソ連の ICBM の NATO コード名.
[900年以前. 中期英語,古期英語<後期ラテン語<ギリシャ語 Satân,Satán<ヘブライ語 śātān 敵]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

「堕天使ルシフェル」が「自分のことを棚に上げた事自体」が「破綻シナリオ」なのだ。
「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の受肉した「時の徴」の聖人伝から外れてしまえば「卑劣」でも「なんでもあり(ご都合主義)」が「前衛」とされる「前衛詐欺(屁理屈)」の「糞ゲーム」となるのだ。
糞ゲームの定義は「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の欠落と「前衛詐欺(屁理屈)」による「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」への「敵対感覚(原罪)」である。
「機動戦士ガンダム」におけるシャー・アズナブルは「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」だろうか?
ザビ家のへの復讐のために「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」に生き抜く。
シャー・アズナブルは「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」の人間である。
ただ彼も座して死を待つわけにも行かないのだ。
それは理解できる。
しかしそれなら「前衛詐欺(屁理屈)」の心理を至上にして「前衛詐欺(屁理屈)」の出鱈目をして生き抜くことは止めてほしい。
シャー・アズナブルは「前衛詐欺(屁理屈)」のゴリアテキャラクターである。
其の中で「赤い彗星のシャー」として輝かしい戦績を残し出世した若きエリート士官兵となった。
まさに「前衛詐欺(屁理屈)」のエリートゴリアテである。
それには才能以上に幼少時よりキャスバルに為された英才教育が影響したと考えられる。
しかしそれは「信仰(無知の知)」を最初に知ったことではないのです。
「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のニュータイプ(「Holy Communion」の聖人)には「信仰(無知の知)」を至上とする生き様を必要とし「前衛詐欺(屁理屈)」の英雄は「敵対感覚(原罪)」に堕落した獣の生き方となる。
「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」であるダビデは最高善の神に愛された神童である。
しかし「前衛詐欺(屁理屈)」の英雄は使い捨ての駒にすぎない。
そこがシャー・アズナブルの尊敬されない人間性が垣間見られる。
彼には「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」への敏感な感性とそれを嫌悪し禁ずる「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」はなくただ「敵対感覚(原罪)」の兵士としてあるだけなのだ。
だが「哀・戦士」の認識がなければ凡庸な兵士でしかない。
キャスバルは其の戦いの中で「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を見出さなければ彼の父ジオン・ズム・ダイクンが唱える「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のニュータイプ (「Holy Communion」の聖人) にはなれないのだ。
そして彼はキャスバルを捨てた時点で最早ジオン・ズム・ダイクンの息子である「前衛詐欺(屁理屈)」のエリートですらない。
しかしそれはセイラ・マスも同様であり彼女も名を変えて生きているのだ。

5 カトリックロゴスとしてのララー・スーンの存在

仇敵の関係であったアムロ・レイとシャー・アズナブルの二人の間が決定的に狂い出すのがララー・スーンの存在によってである。
彼女は「前衛詐欺(屁理屈)」の堕落に対し非常に敏感な存在であり「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」にはすぐに気付く。
「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」に気づくとはロゴス感覚(「Holy Communion」)の純愛信仰を至上としてあるものに敏感ということである。
「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を至上とするものには「最高善の愛徳」を知るものである。
しかし彼女はシャー・アズナブルに拾われていた。
そしてシャー・アズナブルによって彼女はモビルアーマー(エルメス)に搭乗する。
ララー・スーンは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のニュータイプ (「Holy Communion」の聖人) か?
ララー・スーンは「前衛詐欺(屁理屈)」のニュータイプ (優性人種) か?
彼女は「前衛詐欺(屁理屈)」である堕落に対し敏感であるニュータイプ(「Holy Communion」の聖人)であった。
シャー・アズナブルは其の才能を利用したのだ。
しかし本来は「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」を敏感に感じそれを嫌悪する「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のニュータイプ (「Holy Communion」の聖人) であるララー・スーンは全く「兵士」に向いていない。
「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」であるダビデが屠殺するのはゴリアテなのです。
それは「聖痕の徴が受肉した聖戦」であり「兵士」になることではない。
言うなればダビデは「最高善の神の兵士」である。
それは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)の兵士」である。それは「聖痕の徴が受肉した兵士」であるのだ。
シャー・アズナブルは「前衛詐欺(屁理屈)」のゴリアテキャラクターでありその獣(人)に拾われたララー・スーンは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の受肉した「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」として「前衛詐欺(屁理屈)」のゴリアテを殺す筈だった。
戦争で無差別殺戮をすることは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「ゴリアテ屠殺(サムエル記)」とは違うのだ。
ララー・スーンは自分を拾ってくれた恩人であり社会的恋人であるシャー・アズナブルを「前衛詐欺(屁理屈)」のゴリアテとして殺すことが最高善の信仰としてある「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」のダビデとしての務めでもあった。
「前衛詐欺(屁理屈)」の堕落した心理を嫌悪し禁ずることは最高善の神の僕となることでありシャー・アズナブルの命令で「ストレイシープ」を殺すことは彼女には本来はできない。
シャーの命令は「前衛詐欺(屁理屈)」の命令であって「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の命令ではないからだ。
そして「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の命令は最高善の神の命令である。
人を殺すということは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のダビデが「前衛詐欺(屁理屈)」のゴリアテを殺したことが原型となる。
それは最高善の神を侮辱した存在を獣(人)のごとく屠殺することを意味する。
これが「Holy Communion」の聖人の殺人であるが獣の屠殺であるのだ。
ララー・スーンは「Holy Communion」の聖人であり最高善の神の命令を受けて殺人を犯すのだ。
だから彼女が恩人であるシャー・アズナブルの命令を受けて殺人を犯すことは彼女にとって良くない行いだった。
それが最高善の神の命令の殺人ではなくシャー・アズナブルの命令の殺人だからだ。

6 「ニュータイプ」の「勘」と「超能力」

勘が良いという言い方が有る。
ホワイトベースでミライ・ヤシマとブライト・ノアのニュータイプ (「Holy Communion」の聖人) に関する会話に見られるように勘の良さと超能力とニュータイプ「Holy Communion」の聖人の問題がある。
要は「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」への敏感な感性と其の嫌悪の「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」は勘の良さとも言える。
それは「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を至上とする感性であり「最高善の神の愛」への感性であるのだ。
ユダヤの王である「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のダビデが「前衛詐欺(屁理屈)」のゴリアテを殺した逸話の「旧約聖書サムエル記(ダビデとゴリアテ)」がニュータイプの原型である。
しかしその勘の良さを超能力として利用しニュータイプ部隊とする設定はおかしい。
そもそもニュータイプ(「Holy Communion」の聖人)を兵器として利用すること自体が「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の命令を「前衛詐欺(屁理屈)」の命令に逆転させる「敵対感覚(原罪)」であるからです。
「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を至上とするニュータイプ(「Holy Communion」の聖人)は兵士への「前衛詐欺(屁理屈)」の命令より「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」に従うことであり得る。
だから「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のニュータイプ部隊は聖なる戦士でありメシアであるのだ。
「機動戦士ガンダム」ではザビ家のジオン軍が「前衛詐欺(屁理屈)」のネオ・ナチズム国家として描かれ、聖なる戦士として「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のニュータイプ(「Holy Communion」の聖人)がそのネオ・ナチズム国家の軍隊との間で聖戦をする。
だから「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のニュータイプ (「Holy Communion」の聖人)は敏感な感性でその「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」を感じて嫌悪する。
もし逆に自分が「前衛詐欺(屁理屈)」のネオ・ナチズム国家の軍隊に利用されていたらそれを嫌悪する。
「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の命令なら聴くが「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」の命令なら聴かない。
ララー・スーンは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の命令ではなく恩人であるシャーの「前衛詐欺(屁理屈)」の命令に従い死ぬことになる。
最高善の神に背き敵対感覚(原罪)に従ったのだ。
地球連邦軍の腐敗とザビ家のジオン軍の暴挙はこのガンダムストーリーの核心ではない。
やはりここで最重要なのはジオン・ズム・ダイクンの唱えた「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」のニュータイプ(「Holy Communion」の聖人)の可能性なのです。
ガンダムの可能性の中心はやはり「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のニュータイプ(「Holy Communion」の聖人)である。
そうするとZガンダムのニュータイプ「Holy Communion」の聖人の「前衛詐欺(屁理屈)」が創造した「強化人間」とは何だろうか?

7 「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」に対する敏感な感性の勘の良さを戦闘行為の勘の良さとしたアムロ・レイの「めぐりあい宇宙」の可能性

そこがゲーム感覚ではなく「前衛詐欺(屁理屈)」の悪魔(INNOCENT)への敏感な感性となってその「敵対感覚(原罪)」に対する嫌悪から「敵」を「最高善信仰のダビデ」が「前衛詐欺(屁理屈)のゴリアテ」を仕留め屠殺した如く次々と撃破していく。
「前衛詐欺(屁理屈)」の悪魔(INNOCENT)を敏感に感じそれを嫌うことでアムロ・レイはジオンから「白いモビルスーツ」と呼ばれて恐れられる。「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のダビデとなるのだ。
「赤い彗星のシャー」が「白いモビルスーツ」と変わっていく。

※「前衛詐欺(屁理屈)」の英雄が「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の受肉した「時の徴」の聖人に変わっていくのだ。

しかしこれは「英雄である赤い彗星(シャー・アズナブル)」が「最高善の神の戦士である白いモビルスーツ(アムロ・レイ)」に変わるのだ。
しかし Zガンダムのニュータイプはテレビゲーム感覚の「前衛詐欺(屁理屈)」の強化人間である。
それは「前衛詐欺(屁理屈)」の超能力者であるのです。
これは安彦良和の「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の獣(人)としての「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」と富野由悠季の「前衛詐欺(屁理屈)」の「超能力者(強化人間)」のストーリーの圧倒的違いである。
「前衛詐欺(屁理屈)」の超能力者とは何故かモテモテの主人公が登場し超能力でスーパーロボットになったνガンダムと同様である。
スーパーロボットの超合金で商売はできるだろうがそれは「Holy Communion」を受肉した「時の徴」の芸術に成り得ない。
芸術とは「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」があって「Holy Communion」を受肉した「時の徴」だからです。
富野由悠季のガンダムは庵野秀明のエヴァンゲリオンと同質である。
「前衛詐欺(屁理屈)」の「糞ゲーム」程度の作品なのだ。
しかし安彦良和は「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の芸術家であると言えるだろう。

8 プロテスタントとしてのシャー・アズナブルの明らかな矛盾と「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」への鈍感さ

シャー・アズナブルはララー・スーンのそのような「前衛詐欺(屁理屈)」の堕落に対する敏感な感性を持つ美しさに母の面影を見て彼女を愛していた。
心がきれいなカトリックロゴスはすべてが美しいのだ。
ララー・スーンも其の一人であるから美しくて当然であった。
しかしシャーはララー・スーンを戦争に利用したのだ。
其の矛盾と「アムロ・レイとララー・スーンの出会い」が大事件を起こす。
それは「Holy Communion」の聖人の死である大悲劇となった。
しかしそれは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の受肉した「愛」の殉教死だっただろうか?

9 最高善の信仰としてのララー・スーンの死は「前衛詐欺(屁理屈)」によって引き起こされた悲劇だったのだろうか?

それとも最高善の信仰としてのララー・スーンの死は「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」の殉教だったのだろうか?
ララー・スーンは「前衛詐欺(屁理屈)」の堕落に敏感であるからアムロ・レイの感受性と「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」に気付いたのだ。
そしてこの2人の「前衛詐欺(屁理屈)」の品性下劣への敏感な感性と「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」はお互い感応し惹かれ合った。
「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を至上とする最高善の神に愛された神童である二人の出会いに運命の出会いと運命の愛を見出すことは必然であった。
「Holy Communion」の聖人の間にありえる真の「愛」を解する二人は共に「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」を嫌悪する「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を持って生きている。
其の2人が出会ったとき2人は愛となるだろう。
真の愛とはこのようなものだ。
これは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の愛である。
しかし惹かれ合った2人は「敵」と「味方」であり、そして「アムロ・レイ」と「ララー・スーン」の社会的恋人である「シャー・アズナブル」は過去の経緯からアムロ・レイと仇敵の関係となっている。

※シャー・アズナブルとララー・スーンは社会的恋人であり言うなれば「前衛詐欺(屁理屈)」の愛である。

ララー・スーンとシャー・アズナブルの関係は社会的関係であり愛の「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」によっていない。
ララー・スーンはシャー・アズナブルと口づけを交わす間柄でありお互い愛を持っていると見做される関係である。
しかしそれは「愛」と言えるのか?

※シャー・アズナブルとララー・スーンは「前衛詐欺(屁理屈)」の関係である。
※アムロ・レイとララー・スーンは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の関係である。

シャー・アズナブルとララー・スーンとは「前衛詐欺(屁理屈)」の人間関係の前提があっての恋人であり、それはユング心理学の「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」に対するマウンティングと同様であるだろう。
しかしララー・スーンは遅れてきたアムロ・レイを知ることで「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」の純愛(信仰)からある真の愛に目覚めてしまう。
ララー・スーンの立場からして完全に敵であり人間関係で恋人であるシャー・アズナブルの仇敵であるアムロ・レイに対して彼女は叫ぶのだ。

「現れるのが遅すぎたのよ!」

彼女はそう嘆くしかなかった。
確かにそうだ。
この状況でアムロ・レイとララー・スーンが真の愛に目覚めてしまった時に2人はどうすればよかったのだろうか?
完全な敵と味方の状況で「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の二人の獣(人)はお互いが「Holy Communion」を受肉した「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」だと知っている。
「Holy Communion」を受肉した「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」の真の愛の話なのだ。
このシーンは絶対的に「前衛詐欺(屁理屈)」の獣(人)の「敵対感覚(原罪)」の社会的関係の中で「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」の愛があり得た最重要シーンなのだ。
「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」に対する感性と嫌悪に感応し他者を愛してしまった時にその二人の「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」以外の人間関係は全て「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」と見做されるだろう。
その2人の「愛」以上の人の「誠実さ」は存在しないのだ!
「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」を嫌う「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の受肉した「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」の純愛が存在し人間関係は崩壊する。
しかし「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の純愛が「Holy Communion」を受肉した「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」の黙示社会信仰を成立させる。
「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の受肉した「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」の純愛が人間関係を崩壊させた時に「Holy Communion」を受肉した「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」の「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の人間社会(黙示社会信仰)は生まれ変わるのだ。
それは「最高善の神の王国」である。
それは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の人間社会と「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の受肉しない「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」の人間社会の違いである。
そしてこの3人による戦闘にシャー・アズナブルの妹であるアルデシア(セイラ・マス)が加わった時に大事件は起こる。
シャー・アズナブルはアルデシアを危うく撃ち落とすところをララー・スーンによって止められるがシャーはその時にアムロ・レイに撃ち落とされる寸前の状態となりララー・スーンがシャー・アズナブルの身代わりとなることでシャー・アズナブルを救う。
アムロ・レイはシャーの身代わりとなったララー・スーンのエルメスを撃ち落としララー・スーンを誤って殺してしまうのだ。
アムロ・レイは涙を流し悲しむしか無かったのだ。
しかしシャー・アズナブルは冷酷に駒の一つが死んだ程度の表情と認識を見せる。
ララー・スーンの死後の2人は決定的に違っていた。アムロ・レイは堕天使ルシフェルの躓きへの誘惑を嘆き、シャー・アズナブルは「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」故に堕天使ルシフェルへの崇拝を悔い改めることはない。
ガンダムとは結局「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」に敏感すぎた美しいカトリックロゴスであるララー・スーンがその「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の敏感さ故に死んでしまう話なのだ。
アムロ・レイはシャー・アズナブルに「何故ララーを巻き込んだのだ」と詰る。
これは当然の発言である。
「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」に敏感なカトリックロゴスを無神経に戦争の道具として利用したのは罪だろう。
ただララー・スーンの様な「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」に敏感なカトリックロゴスは自ら「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を持ちそれを至上としているのだ。
自らの「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」に敏感である由縁は自ら「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」を問うているのだ。
だから逆に言えばアムロ・レイのシャー・アズナブルへの質問は愚問である。
何故愚問かと言えばシャーは「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」を感じない鈍感な人間だからだ。またこうも言える。
シャー・アズナブルは絶対に「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を至上とはしない。
シャー・アズナブルは絶対に〈「悔い改め」とそれに対する「隣人愛」〉はしないのだ。

10 カトリックロゴスとしてのララー・スーンの存在証明

エステルの化粧

"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."

"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."

ララー・スーンは聖女としてあり、この原型は聖母マリアというよりマグダラのマリアでありエステルである。
何故なら「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」により「時の徴」を受肉したのはマグダラのマリアでありエステルだからだ。
聖母マリアに「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」は見出だせない。
何故ならばそれは母性であってカトリックロゴスではないからだ。

マグダラのマリア

"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."

"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."

ララー・スーンがシャー・アズナブルに拾われた「賤民」であるのは明らかだ。
彼女の「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」は「プロテスタントの王国の賤民」が「最高善の神の王国の選民」であることを示す重要な存在である。
彼女が有色人種の貧困階級(ジプシー)の存在として描かれているのは重要なのです。
そのような「賤民」の信仰はマグダラのマリアの信仰による「最高善の神の王国の選民」という在り方に近いだろう。

イサクの犠牲

"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."

"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."

イサクの犠牲は最高善の神の命令としての供犠による神への絶対的服従の証とされる。
それは純愛信仰の究極の証であるのだ。

それは最高善の神に愛されたカトリックロゴスである。
ララー・スーンは最高善の神に愛された美人であった。

では最後に「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のアムロ・レイと「前衛詐欺(屁理屈)」のシャー・アズナブルの「ニュータイプ」の比較を行いお仕舞としたい。

11 カトリックロゴスとしてのアムロ・レイのニュータイプ (「Holy Communion」の聖人))

アムロ・レイとララー・スーンは「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」への敏感な感性と「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を至上とすることをお互いに認識しお互いに「Holy Communion」を受肉した「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」として真の愛を感じている。
しかし「Holy Communion」を受肉した「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」の愛は真の愛としか言いようのないものであり最高善の神とカトリックロゴスの愛のあり方として描かれている。
ここはかなり描き方が抽象画的(作品)であり解りにくいと感じる方も居られようがシナリオを言語で書けばそのような「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」に対する感受性が「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の真の愛へ高まった関係を描いた名シーンである。
それは「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を至上とする関係によって最高善の神の方舟(Holy Communion)が現れ最高善の神の王国が出現するシーンであるだろう。

ララー・スーンの凄さはここにあるのだ。

ララー・スーンはガンダムにおいて最高の存在である。

地球連邦軍がガンダムの「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のアムロ・レイならジオン軍はエルメスの「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のララー・スーンなのだ。
シャー・アズナブルのニュータイプ (「Holy Communion」の聖人)なのだろうか?
それとも「前衛詐欺(屁理屈)」を賛美し扇動し「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」を貶め弾圧する虚飾のキャラクターだろうか?
シャー・アズナブルはララー・スーンの感受性の強さに関しては認識している。
だから彼女を愛し利用した。
しかし彼女の能力は堕落に対する感受性であり堕落を嫌悪する「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」である。
そして「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のアムロ・レイの出現により「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のララー・スーンは真の愛の有り得ることを知ってしまうのだ。
「前衛詐欺(屁理屈)」のシャーと「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のアムロの絶対的違いをララー・スーンは知ってしまう。
彼女は遅れてきたアムロ・レイを真の愛を見ながら弾圧してしまう。
しかし「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」の真の愛を弾圧できない。
何故なら彼女はニュータイプ (「Holy Communion」の聖人) であり「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」への敏感な感性と「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」への嫌悪を持っているからだ。
彼女は真の愛を得る道があることを知りしかし現実ではどうしようもない敵味方の関係の中にあるアムロ・レイと社会的恋人であるシャー・アズナブルとの関係を今更どうしようもないという現実認識の中でアムロ・レイとの「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」の真の愛を知ったララーはシャー・アズナブルの「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」を感じないわけに行かないのだ。
こうなるとララー・スーンはシャー・アズナブルを助けるために身代わりとなってアムロ・レイに殺されるのは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の受肉した「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」のアムロ・レイを殺すわけにいかない中で社会的に裏切れない関係となってしまったシャー・アズナブルを救わなければならない戦闘行為の中では仕方のないことだったということだ。
ララー・スーンは社会関係としてある「ユング心理学」の「人間関係の産物」のお約束(醜悪を美化する幇間、美を醜悪化する幇間)の中で「前衛詐欺(屁理屈)」のシャー・アズナブルを裏切るわけにも最早いかない追い詰められた立場だったのだ。
「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の受肉した「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」と社会的な関係を強調する「ユング心理学」の「人間関係の産物」のお約束(醜悪を美化する幇間、美を醜悪化する幇間)」の2つの相異なったキャラクター(パーソナリティー)の在り方が最高善の神と堕天使ルシフェルの間で死神によって彼女の死の儀式が行われたのだ。
そしてそれは「Holy Communion」を受肉した「時の徴」の殉教だと言えるのだ。
しかしエルメスを撃ち落とした「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」のアムロ・レイは「敵対感覚(原罪)」ではないのだ。
「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のララー・スーンと「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のアムロ・レイは「Holy Communion」を受肉した「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」として真の愛に目覚めていた。
やはり堕天使ルシフェルの存在は「前衛詐欺(屁理屈)」の「獣(人)」であるサタン崇拝(INNOCENT)の存在シャー・アズナブルであるだろう。
「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」への2つの対応が彼女の「前衛詐欺(屁理屈)」の堕落に敏感な感受性と「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」により彼女をあの様な死へ導いてしまったのだ。
「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」とはカトリックロゴスの信仰を至上とすることでありその行動パターンは「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」の至上性として認識できる。
ララー・スーンの行動も同様に認識できるのだ。
「前衛詐欺(屁理屈)」のシャー・アズナブルを裏切ることも「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のアムロとの真の愛を裏切ることも誠実と言い辛い関係となったララー・スーンは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のニュータイプ(「Holy Communion」の聖人)であったのだ。
それを「ニュータイプ」と呼ぶか「Holy Communion」の聖人と呼ぶか?
どっちが正しいだろうか?
「Holy Communion」の聖人が正しいだろう!

12 プロテスタントのカースト制のニュータイプではその存在は新商品と同じであり、新人女子アナや新人キャバクラ嬢と同様であり、「女房と畳は新しい方がいい」という俗語でしか無いからだ!

「前衛詐欺(屁理屈)」の優性人種なのであって「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」はない。
「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」の優越感と特権と差別でしか無い。
「前衛詐欺(屁理屈)」の品性下劣に敏感な感性を持ったララー・スーンはその雁字搦めの関係の中で「前衛詐欺(屁理屈)」のシャー・アズナブルを裏切れないが「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」の真の愛のあるアムロ・レイを殺せない中で彼女は死ぬしか無かった。
結局は自分が愛する女であるララー・スーンを戦闘に利用したシャー・アズナブルは「前衛詐欺(屁理屈)」の堕落であり「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のニュータイプ (「Holy Communion」の聖人) とは言えないのだ。

シャー・アズナブルの「前衛詐欺(屁理屈)」の証明
シャー・アズナブルは自分ではなくララーの方が自分を愛していると認識している。
ララー・スーンを自分(シャー・アズナブル)が愛しているではなく、ララー・スーンが自分(シャー・アズナブル)を愛していると考えている。
シャー・アズナブルは自分の方が愛した女ではなく、ララー・スーンの方が自分を母のように愛していると認識している。
これは典型的な「前衛詐欺(屁理屈)」の「獣(人)」である悪魔(INNOCENT)である。
「前衛詐欺(屁理屈)」の「獣(人)」がシャー・アズナブルであり自分のことを棚に上げて相手の方に好意(愛)を捏造し貶めるのだ。
シャー・アズナブルは「愛徳」を貶めた存在である。
シャー・アズナブルはストーカー気質の変態(カトリックロゴスへのジャイアント・キリング)であるのだ。

13 カトリックロゴスのララー・スーンから窺うプロテスタントのシャー・アズナブルとカトリックロゴスのアムロ・レイ

ララー・スーンは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のニュータイプ(「Holy Communion」の聖人)だった。
そしてアムロも「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のニュータイプ (「Holy Communion」の聖人) だった。
しかしシャー・アズナブルはララー・スーンを利用した「前衛詐欺(屁理屈)」の堕落に鈍感であり「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のニュータイプ (「Holy Communion」の聖人) ではないと言える。
ここで「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を至上としないことは明白である。
彼は「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」に関して鈍感なのだ。
そして平気で「前衛詐欺(屁理屈)」を形成する「敵対感覚(原罪)」を行う。
何故なのだろうか?
それは最高善の神を至上とする「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を入れる場所を確保しないからだ。
そこがシャー・アズナブルの尊敬されない理由である。

以下5(全5)につづく

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