【カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion )】自己紹介〈大石宗磨〉
イマーゴ(真善美の回復)を付け回し敵対感覚〈原罪〉の正当化(スーパーフリー思想〈一方的自由の陰険〉)を狙う魔物に対する「護符」
最高善を躓かせる仕掛けとしての敵対感覚〈原罪〉の正当化(スーパーフリー思想〈一方的自由の陰険〉)はサタン(最高悪)の計略でありアンチキリストの純粋無垢で穢のない欲望という屁理屈(前衛詐欺)である。
それは一見クリーンイメージの人間関係(カルトエリート(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa))が形成する天然邪悪の概念である。
それは人間の悪臭を発散しそれを高価な香水で誤魔化している。
聖なる香水とは「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」であり聖水と呼ばれる。
"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."
"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."
ケネディ大統領はアイルランド系であり『カトリック』であった。
【最高善信仰】聖なる猫の友達だよ!(大石宗磨)-ペルソナは最高善信仰でサタンを黙示する
メシア信仰(Holy Communion)は叡智(相互愛)を齎しイマーゴ(真善美の回復)を形成する。
英雄崇拝(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)は屈服(一方的愛)を要求し特権階級(原罪)を正当化する。
信仰を愛し呪術崇拝が形成する象徴(偶像崇拝)を禁忌とする。
聖なるトリックスター
純愛信仰とはカトリックロゴス信仰としてあります。
そのような「純愛」は最高善の神との関係として「三位一体の存在」・「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」となります。
何故なら猫(トリックスター)の多面的面子(カルト詐欺商法)には純愛信仰が不可能なのです。
唯一性のペルソナを信仰する「聖なる猫の友達だよ!」は純愛のトリックスターです。
〈聖なる猫の友達だよ!〉の自己紹介です。
この長々とした呼び方を嫌う方がいるなら〈聖猫友達〉と呼んでいただいて構いません。
TUMBLRで作っていた制作サイトの書き直しによる日本人対応のサイトへの移行サイトとなっております。
TUMBLRは著作権がしっかりしていながら曖昧なところがあってそこがカオスと言われています。
しかもワールドワイドであって日本人以外の多くの方に御覧いただける機会を持つことが出来ます。
しかし私のような文章を芸術とするクリエーターにとってはTUMBLRは日本語長文に向いた仕様ではなく日本人の利用者もさほど多くないことから作品発表には限界を感じておりました。
ただ日本人ダークサイド(弾圧者)への批判をする時にはいい隠れ蓑にはなります。
だから今後もTUMBLRとnoteを併用し作品発表を行っていこうと考えております。
基本的にTUMBLRのリメイク版と完全新作版の併用となります。
リメイク版は大幅に手を加えており再読の価値は充分あるものを目指しております。
日本人ダークサイド(弾圧者)との聖戦は安全を期してTUMBLRで作品を発表する予定です。
危険は避けて通るのは鉄則です。
何故ならこちらは不利な社会的弱者であるからです。
社会的強者(弾圧者)に対する社会的弱者の聖戦はカトリックロゴス信仰を決して踏み外さないことでしか勝機はありません。
TUMBLRのサイトリンク
現在「リメイク」をしているためにnoteで発表済みの内容にも著しい変化が生じる場合があります。
作品の趣旨に変化ありませんが語彙の使用法と選択方法を精査検討しております。
最も適合する語彙を使用し文学作品としての芸術的完成を目指しているために試行錯誤しております。
この作業は永遠と続くかもしれません。
ある程度の芸術的完成度に達した作品は発表済みであっても有料作品に切り替えるかもしれません。
無料公開は理想ですが芸術作品として購入いただけたら幸いです。
基本的に啓蒙(黙示)とジャーナリズム(報道信仰)の観点から出来るだけ無料作品にしたいと考えております。
重要作品は有料とさせて頂く場合が御座います。
それだけの価値があるとご判断いただけたら幸いです。
宣伝と報道の違いを考慮すれば政治的宣伝コンテンツは「知識の鵜呑み」であり報道信仰はカトリックロゴス信仰の「知識の廃棄」であります。
「嘘のない言葉」ではなく「聖痕の徴」を伝えることは「神の真理」に他なりません。
私はそういう意味で「産経新聞社・読売新聞社」より「朝日新聞社・毎日新聞社」を支持しております。
最近は特に毎日新聞社のカトリックロゴス感覚に感心しております。
私は独り身であり極貧状態の物書きです。
女性にも縁のない人生でありました。
ただ私はカトリックロゴス信仰を持っております故に「聖痕の徴」が受肉している作品を発表して行くことが出来ます。
それは最高善の神の言葉です。
それは叡智(信仰)から受肉する最高善の神の導きであり「神の王国の到来(至高の抽象化の高み)」へ向かう。
天使の両翼を得るということはこのようなあり方であるのです。
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