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PERCHの聖月曜日 77日目

アブー・ヌワースはアラブ世界で最も著名な詩人の一人である。八世紀から九世紀にかけて、アッバース朝イスラム帝国の最盛期に活躍した詩人で、特に酒の詩人として名高い。酒の詩人といえば、我々日本人には唐の李白が第一人者としてまず頭に浮かぶ。また、一部の人はペルシャ の学者詩人オマル・ハイヤームを思い浮かべるであろう。しかし、ここに李白やオマル・ハイヤームに恐らく比肩するもう一人の酒の詩人をあげることができそう。アブー・ヌワースがその人である。

三人はいずれ劣らず酒を愛し、酒を礼讃する詩を作ったが、人柄や作風には大きな相違がある。李白は酒仙の風格を帯びた大人のイメージが強く、悠々と酒の世界に遊び、酔夢の境地を豪快に吟じた。彼の詩には春風駘蕩の雰囲気があり、超俗の精神に漂っている。

他方、オマル・ハイヤームは人生の無常をあばき、束の間の慰めを酒に求める四行詩を数多く遺した。それらはペルシャ で当時最高の知識人であったオマル・ハイヤームの思索の跡を示す知的な作品で、その底流には深いペシミズムがある。表現も観念的、象徴的、あるいは比喩的で、詩風には哲学的香気が感じられる。

両者を比べると、アブー・ヌワースは俗物もよいところで、官能的快楽をひたすら追い求め、酒色に耽溺した。晩年には禁欲的な詩も作っているが、彼の真骨頂は痛快なまでに背徳的な生き様を堂々と詩に詠んだことである。表現も平明で、気取ったところがなく、機知と諧謔に富んでいる。アブー・ヌワースがアラブ世界で広く愛され、後世になると『千夜一夜物語』にも登場するなど伝説的人物と化し、数々の面白おかしいエピソードが彼の所業として語り継がれるようになった所以である。

(中略)

このように、文化が爛熟し、生活が奢侈になると、道徳の退廃も見られた。イスラムの下では、本来飲酒は禁じられているにもかかわらず、酒は半ば公然と飲まれた。ちなみに、酒はアラビア語でハムルと称され、葡萄や棗椰子などから作られる。イスラム以前のアラブ社会では、酒がかなり飲まれ、弊害が目につくようになっていたが、ムハンマド(マホメット)は賭け矢偶像崇拝、矢占いとともに、酒はサタンの業であり、信仰を妨げるものであるから、これを避けよとの啓示を受けて、禁酒に踏み切った。しかし、アラブ人が異民族を征服し、彼等の習慣に接する機会が多くなり、また物質的繁栄を享受するようになると、禁酒の戒律はあまり厳格に守られなくなり、特にアッバース朝時代にはカリフや宰相等ですら酒をたしなんだ。もっとも、アッラシードやアル・マアムーンなどは葡萄、干し葡萄、棗椰子などを水に漬けて、その汁を軽く発酵させて作ったナビーズだけを飲んだと伝えられる。これらの飲物は一定の条件の下では、イスラム法学の一派であるハナフィー派では、合法と判定されていた。そういうわけで、当時酒宴が宮廷や高官の邸宅でしばしば開かれ、そこにはお気に入りの学者、詩人、歌手などが酒友として招かれ、歓を尽くした。またバグダードの郊外にはキリスト教徒やユダヤ教徒が経営する酒家が増え、そこでは世界各地から女奴隷として連れてこられた妙齢の佳人が侍り、少女にも見紛う美童が酒の酌をした。このようないかがわしい場所に入り浸り、悪名の高かった遊蕩児の一人がアブー・ヌワースであった。

ーーーアブー・ヌワース『アラブ飲酒詩選』塙治夫編訳,岩波書店,1988年,p151-156

"Physician Preparing an Elixir", Folio from a Materia Medica of Dioscorides Translator 'Abdullah ibn al-Fadl
dated 621 AH/1224 CE

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