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美しい暮らし

 書店に行ったら「あたしンち」の新刊が出ていたので買った。愛猫家ながら猫を飼えない人がyoutubeで猫の動画に溺れるように、「あたしンち」は家庭を持てない私のかけがえのない生命線。かつてはミカンやユズヒコが私よりもずっと年上だったのが、気づけば一回りも年が離れてしまった。まだ作中のお母さんお父さんほどには年を重ねていないが、もう一回りもすればぐんと近づく。その時もまだ独り身で、あたしンちの新刊をいそいそ買っているやもしれぬ己の身の上を思うと、やるせなさが積もった。

 旧盤のあたしンちはいかにも平成の風景だが、一昨年以来連載を再開した新盤あたしンちでは、病禍の描写や当たり前にあるネット環境、そのほかの細部にわたっていかにも令和という感じがする。今巻ではユズヒコが知識人系youtuber()にハマって「だから日本はさ~~していくしかないよね」と聞きかじった言論を母親に開陳していく描写がある。()は良くない。馬鹿にしているように思われる。馬鹿にはしていないよ。私も今の世で十代だったらこんな風になっていたかなあと、冷や汗が流れているくらいだ。中田敦彦やひろゆきの切り抜き動画にふける己を想像してみる。親と口論する。その中途、親に向かって言う。「それってあなたの感想ですよね」たやすくそんな風景が思い浮かぶ。影響されやすい私だ。じっさいの十代のころは、私は古畑任三郎にハマっていたから、親と進路のことで喧嘩になると、田村正和をまねて口答えしていたものだ。やめろ思い出させるな。俺を殺せ。他人のことばを借りるのはたやすく、お手軽に自分を着飾れる方法のひとつだ。私もyoutuberの言論で自らを武装していたかもしれず、そんなifの思春期をあたしンちは垣間見させる。そんなことを思ってけらえいこは描いていないだろうけれど。

 あいにく今の世で二十代の私は、何につけても感じていた青い情熱をすっかり忘れて、ネットニュースの渦の中、何もかもどうでもいいという厭世感ばかりを掲げて、生きているようだった。あたしンちをよすがに現代の家族の断片を云々するのもばからしい。しょせんは漫画じゃないか。しょせんは物語じゃないか。そんなものに何か意味があるか。意味なんかないさ暮らしがあるだけ。

 鬱屈した暮らし、ただ腹を空かせて帰って惣菜か簡素な炒め物で満たして寝て起きて勤めて食べて、じつに充実した毎日を続けて、最近は日が早い。内地ではもう春の気配を感じているのだろうが、札幌はまだ雪景色、いたるところの雪が溶けだして歩くのも難儀だ。去年みたいに大雪がないだけ幸いである。このまままた何もない春を夏を秋を迎える。冬になって発情期を迎えまた性懲りもなく子宮を探す。ひとを子宮呼ばわりするのは止したほうがいい。どうかしてるよ。どうかしてる。まったくどうにかしてしまっている。あたしンちならユズヒコにぴしゃりと母が気の利いたひとことを言ってyoutuberとは違った価値観を取り戻させるところ、俺ンちには俺しかいないからゆがんだ考えはゆがんだまま、矯正するすべもない。もうどうしようもない。それって俺の感想ですよね。黙れ。

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 札幌で去年起こった殺人事件、Twitterで知り合った女子大生に依願されて男が当人を殺害した一件について、犯人が殺人罪ではなく嘱託殺人罪で起訴されたと報じられた。嘱託殺人罪の方が量刑が軽いらしい。朗報か悲報か知らない。私はネットニュースでようやくその事件を思い出したくらいだ。もう過半の人には忘れられていることだろう。

 事件が起こった数日後に、加害者と面識のある女性のインタビュー記事がyahoo!ニュースに載った。私はその女性と面識があった。彼女が生きていたのかと安堵した。

 彼女は加害者の宅に泊まった時のエピソードを、私にいつか語ったよりも子細に詳述していた。加害者の印象を語り、部屋の雰囲気を語り、それはほんとうか誇張されているかどうかの判別は読み手の一人としてつけられなかった。物語としては暇つぶしになる。そんな程度だ。それってあなたの感想ですよね。インタビュー記事のヤフコメは義憤で溢れていた。

 彼女と年始にLINEでやり取りする機会があった。私よりいくつか年上で、大学中退の過去がある彼女は、改めて医学部に進んで医者の道を目指したいのだという。しかし独学では心許ない。そうして縁故ある男性を頼って、彼が経営している予備校で勉強しながら再受験するという話だった。予備校代は? 訊いてみると、塾長の彼と定期的な肉体関係を結べば塾代は免除されるという。生活費は公助に頼ればいい。ここは美しい国だ。誰にでも再起のチャンスは差し伸べられている。私は彼女の前途を祈った。誰もが好き好きに物語を生きられればいい。嘱託殺人罪で起訴された加害者にも、彼の事情があるだろう。どうでもいいという心が半ば、少しだけ同情する気持ちがあって、感情ではなく法の下、彼の罪が裁かれればいいと願っている。まだ法は機能しているはずだろう? 地裁では裁判員裁判がある。

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 小説を読むのが面倒だったので、写真集を眺めることにした。飛鳥新社()から出ている「安倍晋三MEMORIAL」、三刷版である。出版不況の世で写真集がこの半年の間で版を重ねるのはすさまじい。よほどよい君主だったのだろう。写真集だからなんかエッチなやつがあるかなと思ったがなかった。脱いだパンツを履きなおして写真集を繰ってゆく。式典の場、幼少時、あるいは家庭の団欒の一コマ、そして国葬の様子等々が映されている。安倍晋三が親指を立てながら溶鉱炉に沈んでいくシーンは涙なしには見られなかった。糞みたいなネットスラング、決まり文句の焼き直しはやめろ。一冊の値段は2727円+税。この価格帯の意味を私は図りかねている。映画なら一作見ておつりがくる値段だ。そういえば「REVOLUTION+1」はまだ札幌では公開されていない。春ごろには上映する劇場が札幌にまで来ればいい。そうしたら少しはこの退屈な毎日に楽しみができる。楽しみはいくらあっても困らない。

 日記。来月公開の映画「メグレと若い女の死」の原作が新訳で発刊されたので買った。ついでにミステリマガジン3月号も。メグレ警視シリーズで知られたジョルジュ・シムノン特集号である。合わせて2220円+税。

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