退屈なのだ

 有意義な一日を送っているのだ? 送ってないのだ! 食っちゃ寝ばかりに飽かしているのだ。食べてるか寝ているかしないと余計なことを考えてしまうのだ。これからどうなってしまうのだろうというありふれた漠然とした悩みは言わずもがなななのだ。なが一個多いのだ。

 退屈を紛らすように街に出てみるのだ。春先を見据えて新しい服を買ったのだ。臙脂色のお洋服なのだ。店員さんも似合うと言ってくれたのだ。ビームスの店員さんが言うと信じてもいい気がするのだ。いつもごひいきにしてるのだ。たしかに試着したときふだんより男ぶりが上がった気がしたのだ。買い物袋にその服を下げて帰り路を歩くのだ。袋の中にいい服があると思うだけで心は鎧われるのだ。無敵なのだ。ふと家族連れとすれ違うのだ。ぴしりと音がしたのだ。カップルとすれ違うのだ。ビキッと音がしたのだ。鎧っていた心が千々にひびわれてゆくのだ。幸せそうな老若男女と行き違うたびに亀裂は深まって、心が裸になってゆくのだ。なんだか寒いのだ。厚着をしているはずなのに体の芯が冷えてゆくのだ。道中に子供服屋の横を通り過ぎたのだ。同年代と思しき一群がうじゃうじゃいたのだ。もうだめなのだ。泣きたくなったのだ。でも泣かなかったのだ。えらいのだ。早足になって帰りの地下鉄まで駆けて行ったのだ。あんなに素敵に思えた臙脂色の洋服も、帰って着てみたらなんだか色あせて見えたのだ。そっと衣装箪笥の中にしまったのだ。

 つまるところは付き合っていた女と別れて、もう己ひとりで生きていくと決意したのだ。しかしそれからひと月過ぎて、案の定人恋しさに悶えているのだ。家族連れを目の当たりにするたびに心はささくれ立つのだ。子宮がほしいのだ。女性のことを子宮呼ばわりするのは良くないのだ。そうではないのだ。自分に子宮がほしいのだ。そうしたら相手は誰でもとりあえず自分の子が産めるのだ。それはそれでどうなのだ? うるさいのだ。子供と自分さえいたらそれはもう家庭なのだ。家庭がほしいのだ。家族がほしいのだ。それだけなのだ。

 しかしどうあれ現実はのだのだ言ってる男一匹、食べたり飲んだりしていらないことを考えないようにしているのだ。暴飲暴食だけでは間が持たないのだ。それでかねてからの趣味の読書にふけったり、映画を見に行ったりしたのだ。それでも時間が余るのだ。余ったから小説を書いたのだ。

 小説を書くなんて大学以来なのだ。大学生の時は文芸サークルに所属していたのだ。箸にも棒にも掛からぬ雑文をこねくり回していたのだ。今も状況は大して変わっていないのだ。草なのだ。草じゃないのだ。生やしてる場合じゃないのだ。そろそろ人生に向き合う時なのだ。向き合ってきたのだ。向き合ってこのざまなのだ。嘘なのだ。本当に向き合っている人間は三十の齢を間近に控えてこんなのらりくらりとした文章を書いていないのだ。きちんと世事に日常茶飯事に向き合っているのだ。うるさいのだ。ためしに文芸サークルの動機や先輩後輩を思うのだ。みんな夢に邁進したり結婚したり仕事で責任を負ったりしているのだ。悔し紛れ暇つぶしに小説を書いている人間なんて一人もいないのだ。そのくせお前は何をしているのだ? 自問自答しかしていないのだ。自分しかいない場所では何も生まれてこないのだ。だからうるさいのだ。黙るのだ。           ほんとうに黙るやつがあるかなのだ。何か言ってほしいのだ。           おい、何か言えなのだ。             わかったのだ。もうお人形遊びはやめるのだ。だから答えてほしいのだ。           どうしたらいいのだ。これから先どうなってしまうのだ。教えてほしいのだ。            わかったのだ。きちんと考えるのだ。もう酒もたばこもやめるのだ。時間を有意義に使うのだ。生まれ変わるのだ。ほんとうなのだ。          信じてほしいのだ。だから何か言ってほしいのだ。誰かいるのだ? いたら返事をしてほしいのだ。          誰かにいてほしいのだ。それだけなのだ。

 映画を観たり本を読んだりする以上に、何かを書いているときは心が落ち着くのだ。効用なのだ。日記でも小説でも自分のとっ散らかった考えをいちおう整理できるのだ。考えって言っても大したものではないのだ。たいていは後悔なのだ。けど人間は学ぶ生き物なのだ。失敗や失意を数えるのだ。その数だけ強くなれればいいのだ。なれていないのだ。弱いままなのだ。未熟なままなのだ。悲劇なのだ? 悲劇なのだ!

 ハッピーエンドは難しいのだ。みんなは小説を書いたことがあるのだ? 大学時代に書いた小説もどきはぜんぶ暗い結末なのだ。ハッピーエンドは努力しないと書けないのだ。書くがまにまに進めていると展開が暗くなる方が楽なのだ。ちょうどこの文章とおんなじなのだ。暗いことばならいくらでも続けられるのだ。悪口雑言なんでもござれなのだ。卑屈にもなれるのだ。責任転嫁もできるのだ。たやすく下振れてゆくことばを御して、どうにか強いて前向きな、しかしそれでも、と続けられるような力強い信念がひとつふたつあればいいのだ。手持ちにないのだ。ならとりあえずはそんな信念を探すことから始めるのだ。退屈しのぎになればいいのだ。少しは明るい目標が見つかったのだ。

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