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「愚か者同盟」を読んだ

 ジョン・ケネディ・トゥール「愚か者同盟」(国書刊行会)を読んだ。コメディ小説と帯に書かれているだけあって、ハチャメチャに面白かった。

 作者の経歴が表紙の裏手に書かれてある。引用する。

 1937年ルイジアナ州ニューオーリンズ生まれ。小説家。テュレーン大学、コロンビア大学大学院卒業後、大学で教鞭を取る。1961年、軍隊に入隊しスペイン語話者に英語を教える傍ら『愚か者同盟』を執筆しはじめ、除隊後、ニューオーリンズに戻り完成させる。いくつもの出版社に原稿を送るも出版に至らず、1969年、失望の中で出た旅の途中で自死。その後、母テルマが作家ウォーカー・パーシーのもとに原稿を持ち込んだことがきっかけとなり、1980年に刊行。……(後略)

 よい経歴だ。自死したのちに名声が上がる。嫌いではない。経歴が作品の質を保証するわけではないが、この作者の経歴だけで「愚か者同盟」を読んでみたいと思った。あらすじはこうだ。

1960年代。さまざまな人種と階層の人間が行き交う混沌の街、ニューオーリンズ。/無職、肥満、哲学狂、傍若無人な怠け者にして、口達者なひねくれ者の30歳崖っぷち問題児イグネイシャスは、子煩悩な母アイリーンとふたりで郊外の小さな家で暮らしながら、どこに発表するというあてもない論文を、子供向けレポート用紙に書き散らしていた。/しかしある時、ふたりで街に出かけた帰り、母が自動車で他人の家に突っ込んで多額の借金をこさえ、その返済のため、イグネイシャスはしぶしぶ就活を始める。……(後略)

 最高の主人公だあ……。読んでみると、主人公は肥満で知性のあるひろゆきという具合、詭弁に詭弁を嘘に嘘を重ねてその場その場でごまかしやり過ごし、ついに破局を迎える。破局とはいえ大団円で、後味が悪くないのも気に入った。あるべき人たちがあるべき場所におさまり、もしこの小説が作者の存命のうちに出版されていれば、何か続編があったかもしれない。主人公がまたさすらう場所で別の騒動を引き起こす一篇があったかもしれない。当時この小説を世に出さなかったのがひどく惜しまれる。

 妄想に憑かれた主人公の放言はところどころ的を射たことばもあって、それがいっそういい味を出している。あらゆる行動が滅茶苦茶な彼だ。最初勤めた事務仕事では書類を全部廃棄して仕事し終えたふりをしたり、次の職場のホットドック屋では食材をむさぼり食べたり、働きたくないという彼の一念ばかりは共感できる。あれこれやりすぎな感はあるけれども。唯一の家族の母親からもしだいに邪魔者にされてゆく彼は、なんだかかわいそうだ。やることなすことが頭のねじが外れているので同情はできないが。

 ホットドック屋に落ちぶれた息子を評して、母親は仲のいい女友達に、次のように言う。

「近所で噂になってますよ。隣に住んでる女の人からあれこれ訊かれました。コンスタンティノープル通りでは息子の噂で持ちきりです。あの子の教育にはどれだけお金をかけたことか。親が年を取ったら子供が慰めを与えてくれるものだと私は思っていました。それなのにイグネイシャスは私にどんな慰めを与えるっていうんでしょう」 

 この箇所を読みながら、私は己の母親を思い出していた。ごめんなさい、と思わず口から洩れた。ごめんね、母さん、慰めを与えてられていない、ろくでなしの息子の俺だよ。大学にも行かせてくれたのにね。

 主人公の母親は、息子を共産主義者ではないかと疑ったり、しまいには精神病院に隔離しようとする。精神病院に関しては妥当な判断であると思う。

 アンジャッシュのコントみたいに各登場人物の見ている世界が食い違い、めいめいきりきり舞いになっているのがまた好い。誰もかれも憎めない好(悪)人物で、エピローグ前の、各人に降りかかる悲喜劇は胸がすく。エピローグの章に入った冒頭が、主人公がマスを掻く場面ではじまるのはとても笑った。残りページは解説かなと思いながら開いた次で、ゴム手袋オナニーの描写がなされるのは、いかにもこの小説らしかった。どこまでも下品で、屁理屈も理屈のうち下品も品のうちであるから、絶対値にすればぶち抜けて品のある小説だ。下品といえど主人公はどこか潔癖でまっすぐで、隣人に彼がいればとうてい受け付けられないけれど、読み物の人物としてはこれ以上なく魅力的である。好い読書をした。

 表紙には主人公の似顔絵が描かれている。読み終えて見直すと、すこし愛おしく思えた。

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